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たった一つの命を懸けた一世一代の大勝負が時代を画する一大決戦である人間は少なく、そういった場面に立つ好機に恵まれたとしても、そこで歴史に残る名言を繰り出せる例は極めて稀である。
秦帝国滅亡を招いた大乱の嚆矢となった陳勝呉広の乱の指導者である陳勝は、秦の圧倒的な軍事力を恐れ反乱にしり込みする農民たちに「王侯将相寧ぞ種あらんや」と呼びかけて決起を促した。王も貴族も俺たちも同じ人間だ、血統主義なんかクソくらえ! という意味であろう。陳勝は古代中国の人だが、言っている内容は十八世紀の北米植民地でイギリス軍と戦った独立運動指導者やブルボン王朝を転覆させたフランスの過激な革命家たちの発言を連想させる。陳勝は秦末漢初の英雄であるだけにとどまらず、二千年後に誕生する闘士たちの魁でもあったのだ。武運拙く敗死した陳勝だが、彼の武装蜂起がなければ、その後の歴史は変わっていたに違いない。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と合わせ、切れ味鋭い短文を作れる名コピーライターの才能も並外れたものがあったと評して間違いないだろう。能力を決めるものが家柄だけではないことを、彼自身が証明していると言っていい。
承久の乱における尼将軍北条政子の「最期の詞」もまた、素晴らしい。「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い」と御家人たちの情に訴えかけながらも「ただし、後鳥羽上皇側に立って参戦したいと言うなら引き留めはしない(存分に掛かって参れ)」と啖呵を切って武家の棟梁、今は亡き鎌倉殿の未亡人としての威厳と貫禄を示す。これほどの姉御肌を魅せた令夫人は映画『極道の妻たち』シリーズの岩下志麻ぐらいのものだろう。この女傑の名演説で承久の乱の勝敗は決した。敗れた朝廷側の威信と財力は激減し、日本の権力中枢が西の近畿から東の関東へ移動する。鎌倉時代の始まりである。日本の新時代が訪れたのだ。
日本の戦国時代の始まりとされる応仁の乱において、何かパリッとした名言や兵卒の士気を高める名演説が無いものか……と探してみたが、なかなか見つからない。あったとしても私には読めなかった(苦笑い)。丁寧に調べたら現代語訳を発見できるのかもしれないけれども、そんな時間はない。手元にある怪しげな資料に基づいて話を進める。
骨皮道犬という人物がいた。東軍に属する足軽大将である。その男が、こういった趣旨の言葉を述べていたらしい。
「敵の主力が戦場の前面に出ているとき、それがチャンスタイムなんだ。連中が前のめりになればなるほど、こちらのチャンスが大きくなる。前の兵隊が増えれば、その分だけ後ろの兵力が減るからな。敵の背後を狙う俺たちにとってはボーナスステージよ。俺たちの攻撃を防ぐ予備の奴らまで駆り出されたとなったら、そこはまさにラッキーゾーンってなわけ。何でもかんでも盗み放題、取り放題、じゃんじゃんバリバリ取ります取らせますってな具合よ。どう、おわかり? ドゥーユーアンダースタァンド?」
分かりやすいよう私なりの言葉を使い現代語風に訳してみた。しかし、なに言ってんだコイツ? という感じが否めないので、補足して説明する。
まず足軽とは何か? という話からだ。
足軽は軽装備の歩兵である。装備が軽いので素早く動けるのが最大の特徴だ。長い距離でも駆け足で移動できるので作戦行動可能半径が広がる。敵にしてみれば思いもかけない場所が奇襲されることになる。奇襲攻撃を受けた地点に重装備の反撃部隊を派遣しても、足軽たちは逆襲を避けて既に撤退している。追撃しようにも、早く走れる足軽部隊には追い付けない。深追いするのは危険だ。逃げ出した足軽たちを追いかけて、疲れ切ったところを敵の本隊に待ち伏せされたら一転、大ピンチに陥る。このようにヒット&アウェイ即ち一撃離脱の奇襲戦法で敵を翻弄するのが足軽の最も効果的な使い方なのだ。しかも、ただ逃げるだけならまだしも、足軽たちは敵の持っている金目の物たとえば高価な貴重品や軍需物資または軍資金あるいは兵糧さらには人間も搔っ攫っていくから始末が悪い。武器や金や食糧が無ければ戦おうにも戦えない。それをずっとやられると、どんな強力な敵も衰弱していく。足軽たちの後方かく乱作戦が成功したのだ。
足軽大将つまり足軽たちのリーダーである骨皮道犬が語っているのは、この部分である。
骨皮道犬は、新たに足軽の仲間に加わった者たちに、足軽としての戦い方そして足軽ならではの楽しみを語っていたのだ。
それから骨皮道犬はふっくら丸々とした顔を、傍らに立つ長身の男に向けた。
「馬切衛門よ、他に何か付け加えることがあるか?」
馬切衛門を呼ばれた男は無精ひげの生えた痩せた頬を撫でてから言った。
「逃げるタイミングを間違えないことが大切だ。引き時を見誤ると死ぬ。慣れないうちは、この見極めが難しい。まあ、俺の命令に従っていれば間違いはない。生き延びたければ俺の後ろについてこい」
奇襲攻撃を可能とする足軽の軽装備は、逆に弱点となりえる。重装備の敵との正面衝突は敗北必至だ。強敵が来たら、さっさと逃げろ。これが鉄則である。しかし人間は楽しいことに夢中になっていると注意力が散漫になりがちだ。気が付いたら敵に囲まれていた、なんて悲劇の主人公になるのが嫌なら、もう一人の足軽大将である馬切衛門の下知に従え、ということらしい。
骨皮道犬は横一列に並んだ新入りたちの表情を順々に眺めた。その中の一人のところで視線が止まる。人差し指で指差す。
「そこのお前、お前だよ。いや、後ろを向くんじゃない。右の奴でも左の男でもないよ。空の上を見上げたって誰もいやしないし、両方の足の裏を眺めたって泥で汚れた土踏まずしかない、そうだろ? 足の底にも顔がある奴は世間に一人か二人ぐらい、もしかしたら三人はいるかもしれないけどよ。多分、それはお前じゃない。だから、お・ま・え、お前だってばよお。顔色がメッチャ悪いけど、何なの? もしかして病気? それとも元からなの? それかさあ、この世の者ではないとか、そういうの俺マジで苦手なんだけど」
いきなりのご指名のため、元々かなり緊張していた顔がビクビクプルプルと更に激しくけいれんした人物の前に、馬切衛門が現れて相手の瞳の奥を覗き込む。
「ふうむ……おぬし、ひどく怯えているな。これが初陣か?」
異様なまでに真っ青だったのは初めての戦で緊張しているからだと分かった骨皮道犬がカラカラと笑って言った。
「なーに、戦っつったって、いつものアレと変わらない。いつも通りやれば平気だって」
馬切衛門が続けて言った。
「左様じゃ、足軽といっても、我らが戦場でやることは普段と変わらぬ盗賊稼業。好きなように暴れ、好きなものを略奪し、好き放題の最後は放火で締める。それだけよ」
とんでもない話だが、それが足軽の実態だった。応仁の乱が発生していた室町時代中期の足軽とは、山賊とか押し込み強盗といった無法者と同義である。その存在は、地上に生きとし生ける者すべてに害をなす、まさに魑魅魍魎とか百鬼夜行そのものだった。迷信深い時代のことだ、人間ではなく悪鬼羅刹の類だと誤解している者も世間にはいたのではあるまいか。そのような誤解もあながち外れではない気がする。これらの外道にしてみれば室町時代中期の混沌とした地獄絵図のような状況は願ったりかなったりだった。このような邪悪な鬼畜どもにとって応仁の乱とは、生業の火付け強盗をやればやるほど自軍の総大将からの褒美が頂戴できるという、願ってもない最高のビジネスチャンスなのである。
この稼ぎ時を逃す手はない、というわけで足軽大将たちは新兵を募集し手勢を増やした。そういった面子を相手に足軽大将の骨皮道犬と馬切衛門は合同で、足軽の何たるかを説くビギナーズセッションをしていたわけだが、そこにいた挙動不審で通報すべきかどうか悩むような風貌の人物を目に留め、注意したのが現段階までのお話。
いつも通り残虐の限りを尽くせと言われても新入りの足軽が困惑したままなので、馬切衛門が問い質す。
「ふうむ……おぬし、不安が取れぬようだが、もしや、盗賊をやるのも今回が初めてか?」
骨皮道犬がヒャハハと笑った。
「そんなわけないって! この世に生まれた連中はどいつもこいつも、盗人よっ。生まれたときから母ちゃんの乳を盗んで大きくなっているんだ、盗人呼ばわりされるのが母ちゃんに乳を嫌なら返せよって話だ」
それはそうかもしれないが、哺乳類すべてが盗人なのかという疑問や、卵から生まれる動物は無辜なのか、植物はオールセーフなのかという謎が湧いてくるので、聞かなかったことにする。
さて、足軽の前身は様々で盗賊は勿論のこと、追いはぎ、辻斬り、暴行魔、放火魔その他いっぱいあるが、普通の農民というのもある――というより元は大半が農夫だ。当時の人口の大半が農村で暮らし農業関連の仕事に携わっているのだから、肩書はそうなる。ポイントは、そういった農民たちが武器を手にして土一揆といった暴動を起こしては富裕層の邸宅や蔵を襲撃し略奪していたことにある。特に京都周辺の畿内は凄まじかった。弱体化した室町幕府の軍事力では乱暴狼藉を止めない暴徒に手出しできない場合が多々あったという。いうなれば当時の農民はアマチュアの強盗あるいは副業で盗人をやってます! みたいな輩だらけだった。ちなみに、この状況が変化するのは兵農分離が進む戦国中期以降であり、この物語とは何の関係もない。
「で、どうなのだ? これが初めての強盗か?」
馬切衛門に重ねて問われ、新入りの男は「初めてです」と正直に言った。
二人の足軽大将、馬切衛門と骨皮道犬は顔を見合わせた。そんな奴が足軽に入って来るとは想定していなかったのだ。しかし実入りの良い仕事であることは知れ渡っているので、まったくの犯罪初心者だが足軽をやりたいという希望者は今後も増えることが予想された。こういうケースがこれから続発するのであれば、足軽大将としては対応を考えねばならない。これからに備え、それなりの対処法をここで確立しておくのは重要なことだ。
「ああ、わかった、わかったよ。誰だって最初は初心者だ。ニワカだからって意地悪したり邪険に扱ったりは絶対にしない。モタモタしていたらどやしつけるかもしれんけど、パワハラって言うなよ。教育的指導だからな。そこんとこヨロシク」
何やら言い訳がましい口調で骨皮道犬が言うと、馬切衛門が後を引き取った。
「それなら今日は見学な、と言いたいところだが実戦の現場で観戦だけってのは無理な話だ。戦ってもらう。ただし、俺の傍を離れるなよ。それから勝手な真似はするな。何をやるにせよ、俺に一声かけてからにしてくれ」
一緒に得意先回りへ出かける新入社員にベテラン営業マンが注意を与える風のセリフである。食い扶持を稼ぐために戦場へ向かうというスタンスに変わりはないので、それも当然か。
「そうだ、おぬし、名は何と申す?」
命令を下すにも相手の名前を知らないと不都合であると、馬切衛門が新入りに尋ねた。新入りの男は考え込んだ。考えても考えても、自分の名前が出てこない。その様子を見て不安を感じたようで、骨皮道犬が自分の唇を指で撫でた。
「大丈夫かよ、お前、もしかしたら何か悪い病気に掛かっているんじゃないの?」
疫病が蔓延している時代である。骨皮道犬が心配になるのも無理はない。新参者の足軽は「それは大丈夫だと思います、ですが自分の名前が思い出せないのです」と言った。
「自分の名前が思い出せないんだろ? 大丈夫じゃないじゃん」
骨皮道犬に言われ、新入りの胸は恐怖に震え心拍数が再び上昇した。傍から見ても分かるほど不安と緊張の色が出ているのは、足軽として戦場に出るのが初めてだから、というだけではなかったのだ。この物語が始まってから、この男はずっと混乱したままである。それも無理はないことだった。気が付いたら今ここにいた。自分が誰なのか分からない。骨皮道犬と馬切衛門の話を聞いて、ここが応仁の乱の頃の京都で、自分が足軽のグループに新しく加入したということは分かったけれど、それで安心したかというと、そんなことはない。これから戦場へ出て暴行殺人・略奪・放火するからついてこいと言われ、落ち着き払っている方が異常だろう。
果たして自分は何者で、何のためにここにいるのか?
殺人集団の頭目、骨皮道犬と馬切衛門と名乗る男二人から鋭い視線を浴びせられ、脳の中で火花が散る。スパーク&スパーク! 閃光に続く閃光! それでも答えは見つからない。出口のない脳内迷路で駆け巡る思念の奔流は遂に、遂に解決の糸口へつながる狭いトンネルを見出し、そこに殺到した。頭蓋内でのたうちまわっていたエネルギーがトンネルの向こうに消えたことで、雑念の渦巻く頭に多少の落ち着きがもたらされた。何か、見えてきた。気分スッキリのおかげで、何かが分かってきた! トンネルの向こうから木霊が聞こえてくる。その声に耳を澄ます。
「あなたは、わたしぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――」
なんやねん、なんやねん、なんじゃぁ、なんじゃそれッ! と心の中で叫んだ瞬間、あなたは思い出した……そうだ、自分は、悪役令嬢が転生して義理の妹を愛でるハートフルストーリーの中に転移するつもりだったのだ、と。
あるいは、それが無双の力を持つ賢者に転生しモンスターが徘徊する異世界でスローライフを送る物語であったとしても、特に問題はないだろう。
大事なことは、あなたが足軽になって、今から戦場へ出る、それだけだ。
こうして新兵相手のレクチャーが終わり、出撃の刻限が来た。
池に張った氷に、あなたは自分の姿を映して見る。黄土色と茶褐色がまだらに染まった下帯一つしか身に着けていない。上半身は裸である。ちなみに今は真冬だ。道理で寒いわけである。両手で素肌をゴシゴシこすり、それからあなたは鼻水を啜った。その間、股の間に挟んでいた木の棒を持つ。武器はこれだけだ。刀を扱ったことがないと言ったあなたに骨皮道犬と馬切衛門は呆れ果て、それだけしか持たせてくれなかったのだ。あなたに与えられた武器は木の棒、そして防具は変色して異臭を放つ下帯だけだった。ロールプレイングゲームの初期装備より多少はマシといったところだろうか。しかし味方からも恐れられる色鮮やかな下帯は、必ずや敵を震え上がらせることだろう。おおそうだ、忘れていた。あなたが素晴らしい靴を履いていた。愚か者には絶対に見えない透明な靴だ。一見したところ、あなたは裸足で、ひび割れた足の裏から血が流れているけれど、あなたの目にはハッキリと、素敵な靴が見えている。あなたは賢者である。何も見えないなんてことが、あるはずがない。
装備を確認したところで、次は冒険の地図を開こう。
京の都は東西両軍が分割して支配下に置いている。両陣営を隔てているのは一条大路で、そこには満々と泥水を湛えた掘り割りや急ごしらえの土塁が築かれ、逆茂木が乱雑に置かれている。そこを通る者はいない。野良犬や野良猫も殺気に怯えて通るのを避けるので、行き交うのは空高く飛ぶ鳥ぐらいだ。それらの鳥も低空は飛ばない。腕試しとばかりに弓矢の的にされるのは御免だと、小さな頭なりに考えているのだろう。
小さな頭なりに考えるのは人も同じで、足軽も人の一種なので考えて行動する。骨皮道犬と馬切衛門は東西両陣営の主力部隊が睨み合う洛中は避け、京の都の郊外である洛外で活動している。狙うのは東軍と敵対する西軍の陣地に送り届ける補給物資が詰まった土倉の蔵だ。土倉はどぞう、とも、つちぐら、とも読む。中世の質屋または高利貸しであり、その蔵には銭があふれている。今回のターゲットは西軍に属する大名の委託を受けて年貢米の運送と保管そして販売を担当する問丸と呼ばれる業者でもあったので、そこを襲撃して兵糧や軍資金を奪えば東軍の総大将から褒美が貰えるのは間違いなし! と二人の足軽大将は大いに意気込んでいた。
ただし、今回の襲撃は簡単ではない。金持ちの土倉は一揆のたびに貧乏人から狙われるので、独自に軍隊を所有している。金で雇われた傭兵部隊が土倉を警護しているのだ。それを排除して土倉から金品を奪うのは至難の業である。そこで骨皮道犬と馬切衛門は共闘することにした。二つの足軽集団の合同で、大きな獲物を襲うのだ。
その土倉は京の都の南方、現在の京都市伏見区にあった。淀川の水運を利用し瀬戸内海を越えてきた西日本からの物資を集積する土倉の蔵が川岸に並んでいる。その中に宝が詰まっているのだと考えるだけで、そこへ向かう足軽たちの足取りは軽くなった。ただでさえ軽いというのに! その行軍速度は、さらに速まっていった。
その団体さんの中には徒歩で移動する者だけでなく、馬に乗っている者も数名いた。ほんの数頭だが、確かに馬である。足軽風情が馬に乗るなよ! と、当時の人間なら差別意識丸出しで罵るのかもしれないが、馬上の連中は足軽と馬借と呼ばれる運送業者を兼業していた。馬の扱いに慣れているのである。その騎馬集団の先頭に馬切衛門がいた。彼は元々、この辺りで馬借をやっていたが、とある寺社仏閣と揉め事となって刃傷沙汰を起こしてしまい、お尋ね者に成り下がった。その馬切衛門を追捕する役回りだったのが、室町幕府の侍所所司代に仕えていた骨皮道犬である。彼は、盗賊になった馬切衛門が自分より良い暮らしをしていると知るや、その後を追って盗人業界入りした。その世界の水が合っていたようで、まもなく骨皮道犬は斯界の有名人に成り上がった。その名声、いや悪名を聞きつけて足軽として自軍にスカウトしたのが細川勝元、東軍の総大将である。西軍の間抜けどもをお前の不埒な悪行三昧で、散々痛めつけ、きりきり舞いさせてやれ! と仰せつかった骨皮道犬は、盟友の馬切衛門も東軍に参陣させた。それは盗賊同士の仁義とも友情とも思えるが、誰に説明したわけでもないので胸中のほどは分からない。
そんなことを書いている間に目的の土倉が見えてきた。高い土壁と深い掘り割りに囲まれた、小さいながらも難攻不落の砦である。
馬切衛門は馬の横をトボトボ歩くあなたに言った。
「俺たち騎馬隊は先行する。おぬしは後から道犬たちを一緒に来るのだ」
足自慢の足軽だが、馬には劣る。徒歩の足軽たちを置いて、馬切衛門ら馬上の男たちは先に土倉へ向かった。土倉の門の上にある見張り台に立って警戒していた雇い兵が、近づいてくる騎馬の男たちを見つけ、陣鐘を叩こうとしている。馬切衛門は手を振って止めた。掘り割りに架かる木の橋の前で馬を止め、大声を張り上げる。
「違う、違う、我らは敵ではない。我らは西軍の者だ。預けてある兵糧米を西陣へ運びに参った。門を通してくれ」
木製の橋を渡ったところにある門を警備する歩哨たちは「そんな話は聞いていない」と馬切衛門らを中に入れるのを拒んだ。馬切衛門は抗議した。
「おかしいな、そんなはずはない。奥へ行って話を聞いてもらえないだろうか。とにかく確認してくれ。ここまでやってきて手ぶらで帰ったら、我らがどやされてしまう」
そんな押し問答をしているうちに、徒歩の骨皮道犬一行が到着した。
「船岡山の西軍本陣へ送り届ける荷駄を受け取りに参った」
骨皮道犬は、そう言うと抜刀し、歩哨の一人に斬りかかった。馬切衛門も馬上から別の歩哨を斬り伏せる。それを合図に足軽どもが一斉に刀を引き抜き、開いたままの門へ殺到した。門の中へ突入し警備の兵たちを切り結ぶ。
「歯向かう者は容赦せぬ! 殺せ! 殺せ!」
馬上の馬切衛門が吼える。遅れて土倉の敷地内に入ってきた骨皮道犬が続く。
「降参しろ、早く降参しろ、降参したら命は取らない! さっさと降参するんだ! こっちが欲しいのはお前らの命じゃない、銭だ銭! 金を出せ、有り金を全部だ!」
剣戟の響き、人間の怒号に悲鳴、それらが重なり合って大騒ぎの中に、あなたが遅れて現れた。門の前に辿り着いたはいいが、突然始まった戦いにビックリ仰天し、腰が抜けてしまったあなたは、転んだはずみに橋から落ちて、土倉を囲む掘り割りの水に沈み、変な味の藻や現代では絶滅したのかもしれない得体の知れない水生昆虫たちの幼虫がたくさん泳いでいる水をガブガブ飲み続けながら、掘り割りを這い上がれずにもがくこと十数秒、そのまま死ぬかと観念したが、どうにか陸に上がり、変な匂いのする水草の塊を載せた頭から水をボタボタ滴らせて土倉へ入り込んだ。あなたは疲れ切っていた。敵と戦う前に伏見の水と戦い、勝ったはいいが疲労困憊である。これは悪い夢に違いないと思う。寝たら元の世界に目覚めるかもしれないな……と門の横の壁に背中をもたれて目を瞑りかけたら、目の前を足軽二人が凄い速さで飛んで行ったのを見て、目が覚めた。
足軽たちが飛んで行った横の方を見ると、その二人が重なったまま壁に変な姿勢で固定されている。二人の足は宙に浮いていた。あなたは不思議に思った。すると、また足軽二人が重なった状態で目の前を飛んで行った。今度は二人を目で追うことができた。二人は一本の矢で射抜かれ、そのままの格好で壁に釘付けにされていた。保元の乱で大活躍した強弓の使い手で鎮西八郎こと源為朝という豪傑が、射殺した人間の死骸を二つ重ね二人羽織みたいにして壁に貼り付けたと何かで読んだことがあるけれど、応仁の乱の頃にも、そんな怪物がいたのだな……とぼんやり考えていたら、また一本の矢で射られた二つの死体が横っ飛びに眼前を過ぎ去り壁の花となった。足軽たちは声もなく立ち尽くしている。そして大音声が鳴り響いた。
「このわしがいるところを襲い掛かって来るとは不運だったな。お前らのような屑どもに、わしの弓を馳走するのはもったいないが、この凄まじい武芸を冥途の土産にあの世へ行け」
門の上の見張り台に立つ鎧兜の武者が弓をビュンビュン射っている。足軽たちは見張り台からは死角となっている蔵の中や陰に逃げ込んで、そこから出られずにいる。一歩でも出たら射殺されるのだから動きようがない。馬切衛門と骨皮道犬も同じだった。二人は他の騎手たちや馬と一緒に土倉の屋敷内へ入り、これまた出るに出られずにいた。敷地内の敵はあらかた制圧したようだが、一番の強敵が現れて形勢が逆転したようである。
前述したように、足軽は軽装である。鎧らしきものを身に着けているのは骨皮道犬と馬切衛門だけで、他はぼろを羽織っているだけだ。二人の足軽大将が着ているものだって、胴丸という簡易的な鎧である。本格的なですらどうだか分からないのに、その薄い防具で、この強弓を防げるとは誰だって思わない。こういう強敵と戦うのは絶対に避けるというのが足軽戦法の鉄則だと馬切衛門は言っていたが、逃げたくても物陰から出たら射殺されるのが現状である。出入口は門が一つしかなく、そこは頭上に荒弓を使いこなす猛者がいて、門に近寄ったら射殺されるとなれば、これはもう、詰みという状況だろう。
それなのに、ああ、それなのに! あなたは立ち上がった。門の正面に進み出る。当然、門の上の見張り台に立つ鎧武者に気付かれる。鎧武者は、あなたに向けてキリキリと弓を引きながら、面当ての下でニヤリと笑った。
「ウフフフ、死ねっ」
覚醒した力が、あなたの鼻の角栓の隙間から迸った。喉の奥から必殺技の名前も迸る。
「喰らえライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ!」
喰らえが必殺技の名前に含まれるのか、あなた自身にもはっきり分からないまま出てきた力の束が、一直線に飛んできた矢の前進を止めた。空中で静止した矢を、その場にいた多くの者が信じられないという思いで見つめた。信じられないながらも、その事実を受け止めた鎧武者は、二の矢三の矢を続けざまに発射した。
「再びの喰らえライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ!」
二の矢も三の矢も空中で止まった。鎧武者は、四の矢を放たなかった。弓矢を投げ捨てると、腰の刀を引き抜き、見張り台から飛び降りた。地に降り立った鎧武者は、あなたの方へまっしぐらに向かってきた。刀を振りかざして絶叫する。
「矢で射抜くことができないのなら、刀の錆びにしてくれるわ!」
あなたは変な踊りを優雅に舞いながら叫んだ。
「感じる、湧き上がる技と力を感じるっ! 今までより遥かに凄い技を編み出したぞ。新たなる力の覚醒だ! 行くぞライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー!」
必殺技の名前が無駄に長いと危険だと、あなたは痛感することとなった。技の名前を全部言い終える前に、鎧武者の刀があなたの頭にザックリと刺さり刀身がめり込んだ衝撃で両方の目玉がポンと飛び出てボロンと落ちたのである。幸い視神経は切れなかったので二つの眼球は地面に落下することなく、頬の辺りを左右にプラプラ揺れるだけで済んだ。しかし残念なこともある。鋭い刃は、あなたの顔の半分くらい、だいたい鼻のあまりまで切断して、そこで止まった。頭部の上半分を真っ二つに斬られ、あなたは前後不覚の状態で倒れた。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §
自分の体が揺れていることに気付いて、あなたは目覚めた。
「しっかりなさって、どうかしっかりなさって、お義姉様!」
誰かが自分の体を揺らしている。おかげで目が覚めてしまった。もう少し寝ていたい。そして夢の続きを見たかった。また寝よう。夢の世界へ戻るのだ。そう心に決めて、再び瞼を閉ざす。
「お気を確かに、お義姉様! ここは安全な場所です! 怖いことなんて、何にもございませんわ!」
いやいや、そんなことはない。自分はついさっき、鎧の武者の刃で頭を叩き割られた。真っ二つにされたのだ……いや、待てよ。あれは夢か。夢の中の出来事か。
あなたは目を開けた。あなたの義理の妹が、あなたの顔を覗き込んでいる。ホッと小さくため息を吐いた、その美しい顔に安堵の色が浮かぶ。
「ああ、良かった。ずっとうなされていらしたので、とても心配でしたのよ。どこか具合のよろしくないところはございませんか? 吐き気や頭痛はございません?」
あなたは首を横に振り、ゆっくりと体を起こした。そしてベッドから足を下ろそうとして、強い眩暈を感じた。ふらついたあなたを見て、あなたの義理の妹は慌てて細い手を伸ばし、義姉の小さな肩を支えた。
「大丈夫ですの、お義姉様! どうか、しっかりなさってくださいませ。ご無理をなさらないでくださいませ!」
少しふらついたが大丈夫だと、あなたは答えた。ベッドから再び降りようとする。しかし、あなたの義妹が必死で止めた。
「お願いです、お願いですから、ご無理をなさらないでくださいませ! 御用がございましたら、私が代わりを務めますから」
大自然の呼び声が鼓膜だけでなく全身を震わせている。太古から続く魂の木霊が、あなたを招いている。大河の激流が、大海への出口を求めて今、霧に眠る湖から溢れようとしている。おおよそなところで、そういった説明をすると、義妹は納得した。それでも一人では行かせないと頑張り、あなたの体を抱きかかえるようにして洗面所まで同伴した。あまりにも密着しているので、正直に言うと歩くのに邪魔だった。だが、義妹の厚意を拒むのは、あなたには無理というものだった。そんなことをしたら、心優しく、とても繊細な義妹は大層傷つき、食事が摂れなくなり眠れなくなって、元の塞ぎ込んだ哀れな娘に戻ってしまうだろう。そんな姿を、あなたは、もう二度と見たくないのだ。
「召使いたちがお食事をご用意していますの。もしもよろしかったら、お義姉様。私と一緒に召し上がっていただけません?」
義妹はそう言って、あなたに食事を勧めた。あなたは食欲がまったくなかった。ここで食べたくないと言えたら、どれほど気が楽か? だが、言えない。しょうがないことは、どこにでもある。気が進まないながらも、あなたは食事を摂ると言った。二階のこの自室から階段を下りて一階の食堂まで行くのは面倒なので、本当に食事は結構なのだ。その思いを顔に出したつもりはなかったけれど、義姉はあなたの心の内を読んだのか、召使いたちに命じてあなたのこの部屋へ二人分の食事を運ばせた。あなたの分の食事はベッドの上に架けたオーバーテーブル上に置かせる。自分用の食事はベッドサイドに食卓を用意させ、その上に載せるよう召使いたちに指示を出す。
その姿を見て、あなたは義妹の成長を感じ取った。召使いたちに的確な指示を出すなど、これまでの義妹にはないことだった。自分の家族はもちろん、使用人たちに対しても自分の意志を伝えられず、いつも自信なさげにオドオドとして人の顔色を窺っている。それがこれまでの義妹だった。それが今では、どうだろう! 食べたくなくても食事を摂らないと、義姉であるあなたの体力が衰えると分かっているので、何としても食べさせようとしている。これまでの義妹なら、どんなに大事なことであっても、他人の意志を無視してまでやり遂げようはしなかった。しかも、無理強いの形を取らない賢さまで備わっている。二人で一緒にご飯を食べましょうと自分に言われたら、義姉は断るに断れない。そういう計算が働いているのである。
逞しくなった。そう言ってもいいだろう。とても可愛らしく、優しく、美しく、賢く、そして強い娘へと、義妹は生まれ変わったのだ。あの弱々しかった少女が……と、あなたは義妹を眩しいものでも見るかのように目を細めて眺めた。
その義妹が、少々ではあるけれども、あなたの残した食事が載った皿に厳しい視線を送った。口元には笑みがある、しかし硬い口調で彼女は言った。
「お義姉様、お食事はお口に合いませんでしたか? こんなに残されるなんて……料理長に命じて新しく作り直させましょうか?」
あなたは慌て、何度も首を横に振った。美味しいとか美味しくないという問題ではなく、ただ単に食べたくないのだ、といった趣旨の発言をするが、それを義妹が承服したかというと、まったく違った。
「お義姉様……僭越でございますが、もしもよろしければ、私がお料理とお菓子を作って差し上げましょうか?」
義妹がお菓子作りや調理の方面に強い関心を抱き、色々な料理を料理長や他の料理人から教わり、自分でも様々なレシピ本を読んで学んでいることを、あなたは知っている。これまでの内向的だった義妹は、たとえ自信のある料理を作ったとしても、それを絶対に他人へ勧めようとはしなかった。それが自らの作った料理やお菓子を召し上がりませんか? と言い出すまでになったのだから、義姉のあなたは驚かざるを得ない。
それは、とても嬉しい変化だった。
同時に、寂しくもある。
もう自分の世話は必要ないのでは、と思えるからだ。
悪役令嬢だったあなたが、その死後、物語の初期段階に戻った元の世界へ生まれ変わり、前世で虐めまくった義理の妹を、今度は逆に可愛がるハートフルストーリー。それが今、あなたがいる世界線だ。この世界は、あなたが望むように時が流れ、人々は動き、物語が進んでいる。いうなれば、ハッピーエンドで向かって一直線なのだ。過酷な運命に翻弄され、人生に絶望していた義妹は、義姉であるあなたの優しさや、ただ甘いだけではない強い愛情に育まれ、しっかりした娘に成長しつつある。それは嬉しい、とても嬉しいのだ! しかし、寂しさはときに息苦しさを感じるほど心の中で体積を増やしつつある。この圧迫感に耐えられない。そんな感じは、日に日に強くなってきた。
そんなあなたの胸中を覗くすべなき義妹は、ふと昔のような哀れを感じさせる表情を浮かべて、呟いた。
「やっぱり、私が作ったものなんか、お出しできませんわね」
そんなことはないわ、いただかせてもらいますよー―と、あなたは言うほかなかった。
料理長の料理には遠く及ばないけれども、普通に食べれる義妹を腹が裂けるほど大量に体内へ取り込んだあなたは、妊娠していないのに妊娠三か月くらいの大きさに膨らんだ腹を両手で抑えながら窓際の椅子に腰を落とした。ベッドに横になりたかったが、腹が苦し過ぎて逆に横になれないのだ。げっぷをしたら音が大きすぎて竜籠の中のミニドラゴンが怯え巣箱へ逃げ込んでしまった。暗闇の中に隠れたミニドラゴンが出てくるように、大好物の砂糖菓子とミントチョコレートで作った双頭の鷲のビルチェモールドゥ(筆者注:魔界から人間界に伝播した焼き菓子の一種で、人間が一度に大量に摂取すると幻覚を見る作用があり、食品安全管理局から警告されている)を竜籠へ入れてあげたが、無反応である。
あなたは窓の外を眺めた。丸々とした胴体の飛行船が、高い塔の最上部に係留され、風に吹かれて揺れているのが見えた。あなたたち姉妹の暮らす城館から、それほど離れていない。いつか、あの飛行船に乗ってみたいと、義妹がいつか言っていたことを思い出す。遠い昔の話だ。いや、あれは、つい最近のことだったろうか? どうも記憶が曖昧で困る。その原因は……きっと眠いからだ。人は満腹になると眠くなる。胃の中に入った食べ物を消化するためだ。消化のために脳の血液が胃へ流れ、その分だけ頭の働きが鈍くなり、眠くなるのだ。自然の欲求に逆らってはいけない。そう思ってベッドへ向かいかけたが、また窓辺の椅子へ逆戻りする。食べた後すぐに寝ると太ると亡くなった実の母に躾けられたのだ。あの母が亡くなり、新しい継母が来て、義妹が生まれ、私は家庭の中に居場所が無くなった……と、私は思った。事実がどうだったかはさておき、少なくとも私は、そんな気がしたものだった。
考えてもしょうがないことばかり考えてしまうと、あなたは思った。実母には悪いが、ちょっと休むとしよう。そう決めてベッドへ向かいかけて、またも窓辺へ後戻りする。最近、寝るといつもと言っていいくらい変な夢を見る。嫌な夢なので、見たくない。仮眠でも見てしまうから性質が悪い。毎回毎回、内容はほぼ同じだ。夢の中であなたは、ほとんど裸の強盗団の一員となって、やりたい放題やりまくっている。やっていることは、本当に無茶苦茶だ。暴行・殺人・略奪・放火といった残虐行為のオンパレードである。
そんな夢を見るのは、欲求不満の表れなのか、とあなたは不安を抱いている。義妹を可愛がるという慣れない行為を無理して続けている副作用かもしれないとも考える。あまりにも心配になったので、モンスターが徘徊する異世界でスローライフを送っている無双の力を持つ賢者に転生した親友に手紙で相談した。その返事はまだ来ていない。郵便屋さんも人手不足のために業務に支障が出て大変らしいから、異世界まで手紙が郵送されていないのかもしれない。あるいは、異世界からの手紙の配達が遅延しているのだろうか? スマートフォンで連絡を取りたいところだが、相手は「完璧なスローライフを送るためには、スマホに代表される文明の利器を徹底排除しなければならない」と言って携帯電話の類を契約解除している。困ったものだ……とため息を吐いたら、目の前にあるテーブルに置いたままになっていたスマホの着信音が鳴った。
「もしもし」
電話の相手は無双の力を持つ賢者に転生しモンスターが徘徊する異世界でスローライフを送っている親友だった。
「どうしたの?」
「いや、そっちが手紙を書いてきたから、返事をしようと」
「スマホで? スマホって、持っていなかったんじゃないっけ?」
「黒電話ならある。それで、例の件だけど。その夢、今も見ているの?」
今も夢は続いているとあなたは答えた。
「夢占いとか夢判断を本職でやっている賢者じゃないから、確かなことは言えないけど、それでもいい?」
「良くない。あんた、賢者でしょ? 確かなことを言えない賢者って、賢者でも何でもないじゃない。賢さが売りなんでしょ? いいかげんなこと言わないで」
「それじゃ電話を切るよ」
「ちょ、ちょ、待て、ちょ、ちょ」
「ちょっと待つから落ち着いて」
不思議な夢について、スローライフを満喫している賢者は主観だらけの個人の感想を述べた。
「欲求不満の表れという、あなたの想像は外れていないと思うの。でも、それが義妹虐めができない代償という考えは違う気がする。義妹を虐める代わりに、異世界の住人にあなたが危害を加えているのではなく、別の理由があるはずよ」
「たとえば?」
「いずれ、あなたの義理の妹さんは、あなたから独立していくわ。自立した大人としてね。それは当然のこと。それは、あなたにとっても喜ばしいこと。でも、淋しさはある。あなたの継母、つまり義理の妹さんのお母様が亡くなった後、あなたは妹さんのことを実の妹のように可愛がってきた。母親代わりと言ってもいいわよね。それが、あなたの元から巣立ってしまうわけだから、淋しさがあっても当然のことよ。でも、深層心理では別。あなたは義妹といつまでも一緒にいたいの。義妹が巣立ってしまうと、あなたは自分が見捨てられたと感じることでしょう。それは、とてもつらいこと。だけど、避けられない。その日は、いつか必ず来る。その日が来ることは、物凄いストレスだけど、避けることはできない」
そのストレスを解消しようとする心の動きが、変な夢の中での殺戮なのだ、と賢者は結論付けた。
「そういうことだからね、それじゃ」
電話を切ろうとする相手を、あなたは呼び止めた。
「ちょい、ちょい待ち。今の話だと、私は凄いサディストみたいなんだけど」
「物凄いサディストじゃん。あなたの義妹虐めの話、前世で聞いたときドン引きだったわよ」
その自覚が無かったので、あなたは少なからずショックを受けた。
「でもね、今は違うから。全然逆だっから」
舌の先を嚙んだあなたは「うはっ」と変な声を出してから話を続けた。
「それにね、さっき見た夢なんか、もう大変だったんだから。サドの逆。マゾ。頭を刀で斬られて、そうしたら血がビャーっっと出て、うわ~っってなって、ホントにもう、吃驚だったんだから」
「殺し回ってんだから、逆に殺されても文句は言えないって」
「文句ありまくりだって。夢の中だって怖いし、やられたら凄く痛いしさあ」
「それはマゾ気質の表れ」
「マゾどころの騒ぎじゃないって、こっちは殺されてんだけど」
「殺されたいって欲求があるんじゃないのかしらねえ」
「テキトーなことばっか言ってんじゃねえよ、このバカ賢者」
「バカって言うやつのほうがバカなんよ」
「あんたより私の方がずっと学校の成績が良かったの、もう忘れたの? それでよく賢者なんて言っていられるわね」
二人は電話口でしばらく罵り合った後、顎が疲れてきたので話を切り上げることにした。
「とにかくね、夢の中のことで色々悩んでもさ、無意味じゃないかって考えて方があるわよ。結局、何もかも夢の中じゃない。もしかしたら、今ここにいるこの世界だって夢の中かもしれないんだし」
「あるいは、誰かの書いている小説の中かもしれないよね」
「そうそう、私たちがフィクションの中の人だって可能性、あるよ」
「だからさ、好き勝手にやればいいんじゃない。気の済むまま、突き進めばいいのよ」
「やって、いいのかな?」
「いいに決まってんじゃない。あなたの夢なんでしょ?」
ここまでの論理だと、自分が見ている夢は自分の夢ではなく、他の誰かの夢である可能性を否定できないわけだが、それについてあなたは、あまり深く考えないことにした。
「そうね、これは私の夢。それなら、やりたいことを、やれる範囲でやることにする」
「それでいいんじゃない。まあ、何かあったらまた連絡して。電話でいいから。用があって出られないときがあるけど、そのときはまた電話して」
「留守電サービスとか、ないの?」
「スローライフ特約とかで、あった気がする。今度、電話会社に聞いておく」
親友の賢者から自宅の電話番号を教えてもらったあなたは、それをメモしてからベッドに入った。相談に乗ってもらったおかげで、夢に対する不安感が薄らいだ。そして逆に、夢を見ることを待ち望む気持ちが強くなっていた。
夢の中で、色々と試したいことがあったのだ。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §
夢の中へ戻ったあなたは、自分がさっき見た夢の場面にいることに気付いた。斬殺される直前だ。あなたは、このときを待っていた。叫ぶ。
「行けライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー!」
必殺技の名前を若干ではあるが短縮したことによるプラスの効果が現れた。鼻の角栓の隙間から迸った力の束が、鎧武者の振り下ろした刀を空中で止めたのである。相手は渾身の力を込めて刀を動かそうとしたが、びくともしない。刀をパッと話すと、鎧通しと呼ばれる短刀を腰の鞘から引き抜き、すぐさまあなたに突き立てようとする。
「ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー!」
必殺技の名前を更に短縮してみたが、効き目に変わりはなかった。鎧通しは空中でピタッと静止した。鎧武者が全力で押しているが、ピクリとも動かない。いや、動かなくなったのは鎧通しだけではないようだ。鎧武者もいつしか身動きができなくなっていた。
あなたは静かな声で言った。
「ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー、緩徐に解除」
緩やかな速度で鎧武者に掛けられた必殺技が効果を減らしていく。最終的に必殺技の物体静止作用はゼロにまで減った。しかし、どれほど力を込めても絶対に動かない己の体を動かそうと全身全霊でもがき続けていた鎧武者は、己をつなぎ止める力が消失した頃には精魂尽き果てていた。ドゥ! と音を立てて地面に倒れる。
恐るべき異次元の力を目の当たりにして動けなくなっていた足軽たちも動き出した。あなたは足軽たちに言った。
「今のうちに、お宝を持って逃げよう。この鎧武者は西軍の本隊の人間かもしれない。この近くに本隊がいたら、大変なことになる」
ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツーを食らったわけでもないのに動けなくなっていた足軽たちは急いで活動を再開した。連れて来た馬たちに加え、土倉にいた馬の背中に兵糧米の詰まった俵や銅銭でいっぱいの木箱を載せる。略奪品の搬出を下知していた馬切衛門が出発を命じた。骨皮道犬は鎧武者が落とした刀と鎧通しを拾い上げ、それから抵抗する力を失った鎧武者の着ている鎧を剥ぎ取った。
「よっしゃ、これは上等の武具だ。高く売れるぞ。いや、待てよ、自分で着るのもいいな」
室町幕府の侍所所司代に仕える前は皮革業を営んでいたという噂のある骨皮道犬は防具の目利きでもあった。立派な鎧をゲットして満足したようだが、その欲望はそれだけにとどまらない。刀を倒れた鎧武者の首に当てる。
「誰だか知らないが、きっと名のある武士に違いない。この武者の首をかっ切り、御大将の元に持参して、恩賞を貰おう」
「待ちな」
あなたは骨皮道犬の手から刀を奪った。
「鎧兜も、この刀も、鎧通しも持ち去って構わない。だが、その武者は勘弁だ。許してやってくれ」
骨皮道犬はあなたを睨んだ。
「おいおいおいおい調子に乗ってんじゃねえぞ新入り。誰に向かってもの言ってんだボケ。俺は足軽大将だ。この隊の頭目なんだよ。それをな、お前、何だと思っているわけ? なあ、言えよ。どう思っているのか、をよ。入ってきたばっかりの奴になめた口を叩かれて、それでも口答えができなくて、悔しくて悔しくて、便所でぽろぽろぽろぽろ泣いているような、そういう男に見える? そうか、そうだよな。うん、でもよ、やっぱり意地ってもんがあるのよ。たとえ足軽だとしてもよ。いつかはさあ、一国一城の主になってみたいなあ。そんな風におもったりするわけよ。この混乱した時代にさあ、自分の旗とか立ててみたいって、夢見るわけよ。ははっ、笑っちまうだろう? でも、夢を見たっていいじゃない。夢を見ることは人の自由だと、信じているのよ。甘いって言われるかもしれんけど。夢を追いかけてばかりじゃなく、現実を見ろとか、言われたりもするけどさ。でもでも、夢追い人を応援します、みたいなフレーズを見聞きするとさ、思うのね。あ、これって、俺のこと言ってんじゃねって。応援されているって。わかるかなあ、こういうの。わっかんねえだろうなあ。わかるんならね、首を掻き切りたい気持ちがわかるってことだかんね。こいつの」
骨皮道犬の足元にいた鎧武者は既に立ち上がっていた。あなたに鋭い視線を向ける。
「助けてもらってかたじけない、とは決して申さんぞ」
あなたはグスッと笑った。
「礼を言われたって迷惑だ。とっとと去ってくれ」
思いを込めたせっかくのセリフを無視された骨皮道犬が鞘に納めてあった鎧通しを引き抜いた。鎧を脱がされた鎧武者は、突っ込んできた骨皮道犬をサラッとかわすと、その顔面に拳を叩き込んだ。殴られた骨皮道犬は空中で一回転半して地上に頭から落ちた。元鎧武者は自分で落とした弓を拾い上げた。
「この強弓はやれない。くれてやったところで、わし以外の誰も引けないから、無駄なことだ」
そう言って門を出て行く武者を止める者は、誰一人いなかった。素手の相手だが、その腕っぷしの強さは尋常ではない。足軽が持っている、ろくに斬れない刀では斬りかかる気になれないのだ。
それに、あなたが警告していた事態が起こりつつあったことも、足軽たちから戦意を奪っていた。西の方から大軍がこちらへ向かってきていたのだ。味方の東軍なら良いが、西軍なら足軽たちの命運は尽きる。少なくとも、せっかく略奪した物品全部を投げ捨てて逃げないと追いつかれるだろう。ただ働きは誰だってしたくないのだ。ここは逃げるに限る。
しかし馬切衛門が戻ってきた。倒れたままの骨皮道犬を蹴る。
「いつまで寝ている。さっさと起きろ。もう逃げないと危ない」
それでも骨皮道犬は起きない。馬切衛門は倒れた男の首筋に手を当てた。それから口と喉を胸を見る。最後に、その目をじっと見つめる。掌を軽く合わせて、目を瞑り、それからあなたに言った。
「死んだ」
あなたの胸の中に冷たい風が吹いた。
§ § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §
骨皮道犬が死んだ後で、彼が首領だった足軽の一団は、馬切衛門の集団に吸収された。あなたも馬切衛門の配下に入った。あなたが骨皮道犬を直接殺したわけではないが、骨皮道犬を直接殺した鎧武者をあなたが庇ったことがそもそものきっかけ、という囁きは聞こえてくる。顔を合わせて言う者は誰もいない。あなたの必殺技を見て、それでも何か言ってくる奴は、もっと凄い必殺技の持ち主だけだろう。そして、そういう技の使い手は足軽の中にはいなかった。
あなたは自分の編み出した必殺技、ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツーに、更に磨きを掛けていた。最初にやったのは発現頻度を高めることだった。「ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー」と声に出しても何も起こらないことがあったのである。技の空振りは、刀の空振りより恥ずかしい。あなたは素振り千本でも千本ノックでもなく、ツッコミ担当の漫才師が一人でよくやる千本ツッコミならぬ千本ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツーの修行を行った。それを朝昼晩と寝る前にやるのだ。
「ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー」
「ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー」
「ライトニングシャイニングエターナルフォースブリザード・ジィ・オーヴァードライブレッドスネークカモン・カモンエブリバディ・マークツー」
三回やっただけでお腹いっぱいになる修行を千本である。これだけやってどうにかならなかったら、次は二千本か。名球会入りでもできそうな本数である。それはさておき修行の甲斐あって、ライトニ(以下略)は唱えるとほぼ毎回できるようになった。後は効力のアップや、射程距離の延長である。そんな修行の日々が続く間も応仁の乱は収まらず、それに伴って足軽たちの破壊活動は今まで以上に勢いを増していった。その暴虐さは目に余るものがあったようで貴族の一条兼良は自著『樵談治要』の中で「足軽は度を越した悪党であるので、その長期的な運用は差し控えるべきである」と主張している。
ここで一条兼良が足軽の残虐性を認めながらも、その使用を全面的に否定していないのは興味深い。継続的な足軽の雇用は許し難いと述べているが、今すぐ解雇しろとか、もう絶対に雇うなとは言っていないのだ。
それは即ち足軽の有用性を一条兼良も認めているということだ。
足軽が戦場の主役となる時代が、幕を開けたのである……と書いたところで二万文字を越えた。あなたが、この先どうなっていくのか? 今後、執筆の時間が取れたら続きを書くことにする! と力強くお約束しておこう。とりあえず今夜はここまで、それではさようなら。
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