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☆☆
おじさんが倒したグラスはボクの方に飛んできて、ボクのコーラのグラスも倒した。Tシャツもスラックスも椅子も茶色くなった。
「おじさ〜ん!」
「すまん、ホントすまん」
テーブルや椅子を拭いて、お店の人にも頭を下げまくって、おじさんが支払いをしてくれて外に出た。
涙は引っ込んでた。
「その格好で家に帰せねぇな…なんか買うか」
おじさんに提案されたけど、ボクはこの商店街では制服しか買ったことがない。好きな服をこんな近所で買ったらすぐ噂になる。なんとか当たり障りない服を選ぶしかない。
悩むボクを置いて、おじさんは適当になんか買ってた。ひどい。
「ほらこれ」
試着室を借りる。
「いくらなんでも大きすぎるんじゃ」
お店の人が言う。ボクもそう思うけど。
「ベルトしめときゃ大丈夫だろ」
売れ残りコーナーの、ダサTにサイズの大きなハーフパンツ。ベルトを締める。
「ボク、コレでいいよ。帰るまでの間だけだし」
内心ちょっとドキドキしてた。
キュロットスカートみたいだ、と思った。
「おじさん」
「んー」
おじさんは伸びをして、自販機でコーヒーを買い、ボクにオレンジジュースをくれた。
「ボクのこと、変だと思わないの…?」
「別に」
おじさんはコーヒーを一気飲みして、あくびをした。
「服なんて、清潔で好きなもん着りゃいい」
おじさんはもう一本缶コーヒーを買った。
「ただ、マイナーなことってのは、知られてないぶん説明が要る。もう少し自分のことが説明できりゃ、姉貴……お前の母ちゃんは無理でも、お前の父ちゃんにはわかってもらえるかもな」
「……そっか」
「俺これでも国語教師だから、上手い言いくるめ方くらいなら教えられる。けど言いたいコトやりたいコトを決めるのは、あくまでお前だ。そこは頑張ってくれ。自分のキモチって奴は、手強いぞ」
「うん」
スカートみたいなズボンをヒラヒラさせる。
どうしてこんなに嬉しいのか、ホッとするのか、まだわからないけど。
ずっとぐちゃぐちゃしてたものが少しだけ、スッキリした気がした。
おじさんはコーヒーの飲みすぎで、お腹を痛くしてボクの家で寝込んだ。
ママは「何しに来たの」「この忙しい時に迷惑かけないで」「背高くて邪魔」「部屋のエアコン切っていい?」「お粥? やだ面倒くさい、自分で作ってよ」「で、ラクトに注意してくれた?」と言いたい放題だったけど、ママがおじさんに構ってる間、ボクはひとりになれた。
パパが帰ってくるまで、ずっと考えた。
夜。
おじさんに、お粥を作って持って行く。
「ありがとな。いただくわ」
「うん」
「まだその格好してたのか」
「うん」
この格好のまま、さっきパパと話した。その方が、わかってもらえる気がしたから。
そして、だいたい伝わった。
「おじさん」
「ん」
「ボク、家を離れようと思って」
「ん」
「ボクやっぱりスカートはきたい。けど、なんでなのか、ボクもわからない。ただこういう格好したいってだけじゃ、パパも味方しにくいって……」
「ん」
「だから、一度ママから離れて、自分がどうしたくて、どうなりたいのか……考えたい」
「ん」
「パパに言ったら、条件付きで賛成してくれた」
「ん……んん?」
おじさん、勘がいい。
「おじさんトコに住むなら、転校してもいいって」
グッと気合を入れた。おじさんの説得は、きっとパパより難しい。迷惑だとも思う。自分のコトもわからない。
けど。
そのためにしたいコトは、わかっていたから。
「ボク、北海道に行きたい」
…終…
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