変人たちの狂詩曲

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 幼い頃に親と買い物に行く途中に捨て犬を見つけたことがあった。放って置いたら死んでしまうかもしれない。その頃から酷く死に対する恐怖があった僕は、血の気の引く思いで親に言ったのだ。  〝連れて帰りたい〟と――  だけど親は僕の手を引いてこう言った。 「一度助けた命は最後まで責任を持たなきゃいけない。だけどうちには、その責任を負えるだけの環境がないから」  今の僕にはその責任が持てるのかと聞かれれば、それは否だ。だけど、僕が逃れたかった死の恐怖から唯一、解放された存在がこの男なのだ。それに、あの時見捨てた命に対する罪悪感は何年経ってもしこりとなって、胸にへばりついている。この男を見捨てればきっと、もっと大きな瘤が生まれていたとも思えてしまう。  男との生活が始まり、一緒に寝起きを繰り返す中で男は自由気ままに生活をしていた。  起きたいときに起きて、寝たいときに寝る。食事の内容に不満は漏らせども、他のことは特に無関心なようだった。  機嫌が良い時には、僕の質問にも答えてくれていた。特にお金を渡した時には「何が知りたいんだ?」と、男の方から問いかけてくれる。  不老不死になったと気付いたのはいつなのかという質問には、「食った瞬間」と男は答えた。 「すぐ分かった。だから折を見て、村を出た。それからは放浪の旅ってな感じで……見た目が若いし衰えないから、仕事には困らなかったな」  それから男は早く村から出てれば、人魚を食う必要はなかったかもなと付け足した。 「……後悔してるんだ」  僕の中で言い知れぬ小さな怒りが浮かぶ。やむにやまれぬ事情とはいえ、不老不死という神に等しい力を手に入れているのに。男の言葉からは、それを甘んじて受け入れるという感情がなかった。 「……後悔してるに決まってるだろ。そうじゃなかったら、あんなとこから飛び降りようとは思わない」 「僕だったら……後悔しない」  死んでいるとはいえ、食べられてしまった人魚に対する哀悼の意も含めて僕は断言した。 「そうだろうな。お前はずっと生きながらにして、もう死んでるようなもんだからな」  男の目が本棚に向けられる。ずらりと並んだ「死」という文字の書籍。大学のテキストだけが唯一、自分と世の中の〝正常〟を結びつけていた。 「死が怖いのに、死から逃れようと死を選ぶ。哲学的だね」  男が独りごちる。僕はそれには答えずに、ただ死が漂う棚を眺めていた。
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