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タイツ愛好家。ロバート・デニールの朝は早い。
庭も駐車場もない戸建ての家。窓はあるものの殆ど日の差さない一室。シングルサイズの布団と小さな本棚ひとつ、それが精々という狭い空間で彼は目を覚ます。
未だ夜明けには程遠い午前三時。
僅かに濁る意識を明確とするため、朝はきまって熱めのシャワーを浴びる。そうして出社するまでの時間、いや、彼が今宵就寝するまで、僅かな弛みもなく行動するのである。自意識に裏付けられた緊張感が、彼を油断のない男にしていた。彼は紳士である。
気の済むまで意識と身体とを覚醒せしめた後、彼は一度トレーナーやジャージなどに着替える。家を出る直前まで決してスーツを着ない。彼はYシャツは白と決めていて、それは努めて清潔でいなければならない。それがルールだった。
時刻は間もなく四時を迎える。彼は今日の夕食、家族全員分の料理の最中だった。
長い独身生活の中で培われた料理のレパートリーは多岐に渡るが、彼はとりわけ和食を好んだ。食材の切り口ひとつで味が変化する、その繊細さが好きなのだ。静けさの中、リズミカルな包丁の音と、食材の焼ける音が響く。
夕食の準備がすっかり整うと、平行して勧めていた朝食をリビングのテーブルに並べる。バリエーション豊富な夕食と異なり、朝食は毎日同じメニュー。
小さなフライパンにオリーブ油、程よく温まるのを待ちまずは厚切りベーコンを焼く。それを皿に移した後、出た油でそのままオーバーハードのフライドエッグを作る。フライパンを傾け寄せた油をスプーンで掬い卵の上から何度もかける。そうして白身のきわをカリカリに焼くのが彼流である。仕上がったフライドエッグを、ジャムを塗ったトーストに載せて醤油を数滴。フライパンに残った油は、電子レンジであたためたブロッコリーに適量かけ、その上からハーブソルトを少々。長年崩す事のない彼の習慣である。
朝食と共に、苦みの強いコーヒーを砂糖とミルクたっぷりで摂る。舌に絡みつくような濃厚な甘みが彼の身体を温め、気力を充実させる。
洗面所にて丁寧に歯を磨き、一枚刃の髭剃りを念入りにあてる。トイレを終えたところで午前五時。彼はリビングから繋がった、寝室でない、もう一つの部屋に赴く。
六畳一間のフローリングに設えられた、品の良い椅子に腰掛ける。目前にある机の上には、沢山の記号と数字が書かれた大きな箱が四つ。
深く呼吸して、ゆっくりと箱を開く。
中身はサイズの揃った多種多様なタイツ。今日の家族を、彼は選びはじめた。
家族の選定。
昨晩就寝する前に決めておいた居住人数に従い、家族構成とそのタイツを選んでいく。彼の目は鋭く、その手は慎重である。
今日の家族は彼を除き大人二人、子供二人。前日の時点では細かい家族構成を決めていない。それは朝の雰囲気に依るものと、彼は考えている。暑いのか寒いのか、天気は、湿度は、気圧は。それは環境だけでない、タイツにまつわる汎ゆるものを考慮する。
例えば小学生男子は、朝方だけの雨でタイツを履くか。と、いう事。
いたずらに水たまりを踏み、泥水が跳ね膝下まで濡れたタイツを、教室の同級生がいる前で脱いだりするだろうか。彼の想像する小学生男子は、そんな目に遭うくらいなら、はなからタイツなど履かない。
当然、季節に矛盾するものでもいけない。そのため夏場であると、男性がタイツを履く機会は極めて限られるため、どうしても家族構成が限られてしまう。
今は冬、老若男女を問わず、誰もがタイツを履く季節。
彼のシーズンである。
妻なのか、父母なのか、兄か、妹か、同居人か、実息か、義娘か。汎ゆる組み合わせを検討し、その日にあった家族と、そのタイツを選び出していく。
彼がまだ若い頃は、理想的な伴侶というべき、魅力的な女性のタイツばかりを愛していた。
過去、想像の海で躍っていた彼女達はみな美しく、貞淑で、蠱惑的な象をなしていて、彼女たちの足を彩るタイツは一様に、とても滑らかな曲線を描いていた。豊かで柔らかい腰に僅かくびれを造る境界線。肌と布とが織りなす現代絵画のようなツートーン。タイツから匂い立つ甘美な幻惑に胸を躍らせて、心ゆくまで没頭し、埋没し、浸り、讃え、汚し、3200通りのデニールの海に溺れた。
しかしある時期から、彼の趣味は迷走し、爛れていく。
だらしないのが寧ろ、なんか?逆に?グッとくる的な?今までの彼の美意識ではとても許容されないような嗜好に目覚めたのだ。
もちろん従来持っていた好みも棄て去りはしない。そこを少し、だらしなくするのが生活感があって何かとっても最高なのだ。なるべく油断のない中、僅かに緩んだ腰のたるみに、綻んだタイツが造る毛玉に、言い様のないエロスを見出したのである。
そうエロス。生命の存続故の劣化。それまで彼が愛していたものはタナトスだった。恒久的な美しさ、崩れない曲線。それらは、では一体、彼にとって何時まで美しいのか。
永遠に美しいタイツに包まれた、永遠に美しい足があったとする。彼は死ぬまでそれを美しく感じるだろうか。
彼の出した結論は否であった。理想的なものが目の前にあったとして、生涯、満足し続ける事などない。より美しい、よりタイツに適合する足を求めるだろう。彼の探求は止むはずもない。
タイツはエロスなのだ。その日その時に合ったものをチョイスする、変化する美なのだから。タイツの美はエロスの美。タナトスではない、そこに行き詰まりを感じた。
理想は追求している時点こそが唯一の完璧であり、頭の中から目の前に現出した途端、理想の方が変質してしまう。
彼は、自分が変質者である事を理解したのだ。
生ける象に美を見出してしまったばかりに、分からなくなってしまった。気付きを得たばかりに、弛みや劣化、経時的な変化もちょっと良くなってきちゃったのだ。
彼は苦悩する。タイツとは何か、美とは何か、デニールとは誰か、ミリで表してはいけなかったのか。自分は変質者だった。夏場は薄いものが良い、寒いなら厚手のものを履くだろう。素材だって刻一刻とベストは変わる。状況も鑑みるべきである。TPOは弁えなければならないが、時には大胆に無視してみるのも良い。オールシーズンとは、選択できるという意味でしかなく、推奨される訳ではない。
懊悩、煩悶、救いを求める日々。それまで休日は、自宅でタイツと共に過ごす事が常であったが、この頃は、変質者である自らに不信感が募り、答えを探しさまよい歩いていた。
不惑を越えて未だ惑っていた彼は、ある日美術館を訪れる。とある印象派画家の回顧展。街でポスターを見かけたのだ。
その芸術家はバレエの踊り子を多くモチーフとして扱っており、そこにはタイツも描かれている。だが、彼はその画家の描くタイツに興味が湧かず、この展覧会が彼の苦悩を解決するなどという期待はしていなかった。
その理由はごく単純なもので、好みでないからである。
彼にとってその画家の描くタイツは美しくない。先ず年齢が幼すぎる。次に肉の付きが細すぎる。何より印象派の描く線はどれも曖昧過ぎて、彼の肌にはとても合わなかったのだ。それって貴方の印象ですよね?
とはいえ、写実的なタイツに行き詰まりを感じていた彼である。踊り子に執着した芸術家、そのタイツへの印象は如何ばかりかという、試すような心持ちで赴いた。
結果、膝から崩れるほど、打ちのめされる。
好みでないから何だというのか、今にも躍動せんばかりの踊り子の、そのタイツは美しかった。エロスとは、生命とは動くのだ。
彼にとってタイツを愛するということは、所詮性欲を基盤とした浅ましいものだったのだ。これまでの彼の美は、いやらしい気持ちでいっぱいだった。その画家がどうだったのかは別として。
彼は目が覚めた。もっと純粋な愛でタイツに向き合わねばならない。性欲はそれに最も遠い場所に位置するものである。とても不潔なものに感じた。
以降、彼は努めて疾しい気持ちを追いやる。
新しいステージに辿り着いたのだ。
清潔な時間に身を清め、潔癖に手順を行う。雑念が入らぬよう、穢れが混じらぬよう、厳しく整頓された工程を踏み、家族のタイツを選ぶ。
それが考え得る限り、最も性を忌避したやり方だった。
そういった積み重ねや試行錯誤を繰り返し、彼は今日も、高潔な心持ちでもってタイツを選ぶ。
今朝は少し寒い。午後から雪がちらつく可能性もあるという。選択した家族は義父、同年代の妻、連れ子の兄妹。
義父は今日外出の予定はない。エアコンをつけるだろうから防寒よりもとにかく関節の動きを補ってくれるタイプのものを選んだ。同年代の妻やその連れ子は、各々外出はするだろうがいずれも暖房の効いた中で過ごす。やはり厚さよりは質感を優先して選んで良いだろう。上の子は白いタイツを恥ずかしがる。以前体育の授業で着替えをしていた際、バレリーノみたいだとからかわれてしまったのだ。だが下の子は寧ろそう言われてみたいようで、自分でタイツを選ばせるといつも白色を選択する。言うと機嫌が良くなるので、妻はその手をよく使う。
なお、彼の選ぶ家族は必ずしも幸福とは限らない。幸せな家庭ばかりを想像するのは、やはり理想の追求に他ならず、それはタナトスの美に近しいと感じるからである。
観察者である彼が自らを厳しく律するほど、うまく行かないという想像にもまたリアリティが産まれるのだ。
それこそが、彼が遂に到達したエロスの美である。
午前六時。選択したタイツをひとまず机の上に並べ、大量のタイツが保存されている箱を持ち立ち上がる。向かったのは部屋の壁一面に設えられた棚。性別、年代ごと区分けされたスペースに箱を戻し踵を返す。
選出したタイツを恭しく持ち上げ、次に彼が向かったのは階段を上がり二階。二間ある内の手前の部屋へと足を運ぶ。
部屋の中に置かれていたのは、大量の球体関節人形のパーツ。余人には悍ましくさえ映るだろう、それらは全て下半身のみを構成するためのものだった。
今日の家族を現実に顕すためのレシピは、既に頭の中で組み上がっている。ひとつの家族を現出せしめるのに五分とかからない。彼は丁寧に今日の家族を組み合わせていく。
そうして完成した家族達に、選出したタイツを履かせてゆく。弛みなども計算の内である。締め付ける場合には、腰骨の辺りにくびれのあるパーツを選ぶ。
午前七時。その時刻までに、家族は必ず完成していた。
タイツを履き終えた家族をその部屋の隣、たっぷりと日が注ぎ込む部屋に運び込む。机や椅子、台座やクッション。ところどころの床や壁から棒が生えている。タイツを履いた下半身を立たせるためのものだろう。
想像したアイデンティティに沿ってポーズをつけていく。日本人である義父は座布団が落ち着くのだが、足の具合が良くないので椅子に腰掛けている。対面で妻が寛いでいる。子供二人は祖父の傍らに立つ、妹の方は遊んでくれろとしきりにせがむが、兄は祖父の足を心配してそれを咎めている。
彼の思い描いた通りの情景がそこにあった。家族達が呼吸を始める。
そうしてひとしきりの象を与えた事に、彼は満足気にもうひとつ頷き、その後、両手を腹に当てた。
すうと、大きく腹に息をためる。
我は進むる 野中に百合
きよらに咲ける その色愛でつ
飽かずに眺む
色すら薫る 野中に百合
静寂が包む部屋の中、彼は『野百合』を朗々と歌いはじめた。
たった今誕生したばかりの、新たな家族を祝福し、讃美する。
手折りて進む 野中に百合
倒さば倒せ 置きし思いは
胸に差さん
色すら薫る 野中の百合
彼の歌に呼応するように、差し込む朝の日がタイツを装飾し、きらきらとした挿し色を加えていく。
彼はタイツを愛好している。愛とはつまり押し付けでしかなく、故に純粋であるのだ。彼は詠い上げる。その瞳に涙すら浮かべて。
そうして、出勤時刻のぎりぎりまでかけて、精一杯、家族への愛を伝える。
一階に降り、スーツに着替える。午前八時。
出かけに妻がキスをしてくれた。子供達にからかわれ、少し照れる。義父が二階に居てくれて助かった。殆ど動く事のない彼の口角も、この時ばかりは幸福に綻んでしまう。
ああ、生きている。
タイツ愛好家、ロバート・デニール。
薄く微笑んだ彼は愛しきタイツ達に別れを告げ、意気揚々と仕事へ向かうのだ。
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