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メメント・モリ
全身が水の中を歩いているかのように重たく感じる中、足を引きずるような気持ちでマンションの自動ドアをくぐる。
ゾンビになったような気持ちで郵便ポストの扉を開ける。ため込んでいた郵便物がどさどさと床に落ちるのを呆然と眺めならがぼやく。
「噓でしょ。勘弁してよ」
今すぐにでもベットで眠りたいほど疲れているのにと思いながらも郵便物を拾い上げて五階の自室に帰る。繁忙期ということもあり連日の残業で疲れ切っていた。リビングのテーブルの上に郵便物を投げ捨てたところでスマホが着信音を鳴らす。
画面には彼氏である隆俊の名前が表示されていた。スマホを手に取り着信を取ると、私と同じように疲れたような声をした隆俊の声が聞こえてきた。
「もしもし? もう家に帰った? それともまだ会社?」
「今、家に着いたところ。今日は何とか帰れたわ」
「そりゃ。何よりだ」
「隆俊は?」
「俺は泊まり」
同じ業界で働いている隆俊も同じく繁忙期なので向こうも忙しいらしい。
「お疲れさま。体壊さないでね」
「それはお互い様」
「言えてる」
二人でくすくすとしばらく笑いあう。
「それで、何か用事があった?」
「里穂の声が聴きたかったからって言いたいところだけど。別の要件もある。家に帰ったってことは郵便物は見た?」
「……ああ。今テーブルの上でマウンテンになってる」
私の言葉に隆俊の苦笑する空気がスマホの向こうから感じられる。
「同窓会の連絡が来ているらしいんだよね。俺の家にも届いているっぽいんだけど、しばらく家に帰ってないから見れてないんだ」
言われて郵便物の山をかき分けると確かに高校の時の同窓会の案内のはがきが届いていた。
「ああ。本当だ」
高校の思い出が頭の中に浮かぶ。仲が良かった薫や冴子は元気にしているだろうか。
「里穂でる?」
隆俊とは高校の時に出会ってからの付き合いなので、同じ同窓会の案内が来ているのだろう。
「実は高校の時の友人の渉がさ、連絡してきたんだよ。あいつが幹事らしくてさ。返事が来てないのが俺と里穂だけなんだって。参加か不参加の連絡だけでも答えてほしいって。できれば里穂にも聞いてほしいって頼まれたんだ」
渉といわれて高校の時、隆俊と同じサッカー部の男子の顔が思い浮かんだ。
「なんで私のことを隆俊に聞くの?」
「俺たち高校の時から付き合ってたでしょ。まだ付き合ってるって話をしたらついでに聞いてくれないかって。里穂の連絡先はしらないからって」
なるほど。と思いながらはがきの内容を見ると会場は池袋で、開催日時を確認しようと視線を動かした時、思わず声が漏れた。
「再来週の日曜日!?」
「ああー。それは厳しいね」
私の悲鳴にも近い声に隆俊が苦笑しながらうめく。
「締め切り真っ只中じゃない」
「これはどっちも参加は無理かな」
「……そうだね。残念だけど今回はいけなさそう」
「渉には俺から伝えておくよ」
「渉君にはごめんって伝えておいて。もう遅いかもしれないけどはがきは返信しておくから」
「分かった」
隆俊と通話を終えて、そのままベットに倒れこみそうになるのをぐっとこらえてシャワールームに向かった。
◆
同窓会の連絡が来てから三週間後。なんとか繁忙期を乗り越えて仕事が一段落してほっとしていると、隆俊が連絡してきた。
「ああ。隆俊。お疲れ様。そっちも仕事は一段落した?」
「うん。何とかね」
「今週末とかなら時間取れそうだね。久しぶりに二人で出かけようよ」
「いいね。前に里穂が行きたいって言っていた店あったよね。あそこに行ってみようか」
「ありがとう。よーし。羽伸ばすぞー」
「元気そうで何よりだよ。ああ。そういえば里穂、結局同窓会行ったんだって?」
さらりと言った隆俊の言葉に思考が停止する。
「え?」
「同窓会が終わった後に渉から連絡がきたよ。里穂ちゃん、無茶苦茶可愛くなってたって言われたよ。里穂は前から可愛いよな」
矢継ぎ早に話す隆俊に混乱が深まっていく。
「待って。待って。待って。私、同窓会なんて行ってない」
「え? でも、会場に里穂の名前で来た女の人がいたって言ってたよ。渉が話してくれた外見の特徴も里穂っぽかったけど」
何だそれ。何だそれ。私はあの同窓会の日は会社に泊まり込みで仕事の追い込みをしていたのだ。
「誰かと勘違いしてたのかな?」
そんなのんびりとした返答をする隆俊とは裏腹に私は気持ちの悪い感覚に襲われていた。
隆俊との通話を終えたあと薫と冴子にすぐに連絡を取った。高校の頃と電話番号変わってなかったのが幸いだった。
二人共都内に住んでいたので週末の日曜日に新宿の駅にある喫茶店で会う約束をした。
日曜日になって待ち合わせの時間より一時間も前から緊張したまま待っていると薫と冴子が連れ立って店に入ってきた。
二人は私を見つけると手を振りながら席までやってくる。
「久しぶりー」と冴子が言うので、私はほっとする。やっぱり同窓会で私はこの二人には会っていないのだ。やはり渉くんが誰かと勘違いしたんだろうと納得しかけた時、薫が呆れたよう顔でつぶやいた。
「冴子何言っているんだ。この前同窓会であったじゃないか」
「あ、そうだった」
と、冴子がうなずくので私は血の気が引いていくのを感じていた。
「おい。里穂大丈夫か? 顔面蒼白だぞ? 体調悪いのか?」
私の様子がおかしいのに気が付いた薫が心配そうに気遣ってくれる。
「ううん。大丈夫。いや、大丈夫じゃないんだけと……」
私は二人にこの前の同窓会には私は行っていないことと同窓会で誰かが私を名乗っていたことを話した。私の話を聞き終わった後、薫は難しい顔をして冴子は露骨に驚いていた。
「里穂ちゃんを疑うわけじゃないけど、本当に同窓会にはきてなかったのー?」
冴子が小首を傾げながら確認してくる。
「絶対に行ってないよ。だってその時は私は会社で泊まり込みで仕事してたんだから、会社の人に聞いてもらってもいいよ」
私は必死になって言い募る。
「里穂が嘘を吐いているとは思えない。でも私たちが里穂に会ったのも事実なんだ」
「そんなことありえない」
「あの日、確かに私達は今日と同じように三人で高校時代の思い出話をしてたんだ」
「そうだよー。私達は三人しか知らないような思い出話だってしてたけど里穂ちゃんはちゃんと話についてきてたし」
そんな馬鹿な。だって私は……
「もしかしてあれじゃない?」
冴子が両手するように打ち合わせて笑顔で言う。
「あれ?」
「ドッペルゲンガーってやつ。自分そっくりの偽物が出現したんだよ」
「……お前な。オカルト好きなのは結構だが、里穂は真剣なんだぞ」
「私だって真剣なのに。ドッペルゲンガーって本当にいるんだから目撃証言いっぱいあるし」
冴子は小さく頬を膨らませながら抗議する。ああ。懐かしいなと思ってしまう。高校の時はオカルト趣味の冴子とリアリストの薫がよく喧嘩にもならないような言い争いをしてたっけ。
「里穂、最近仕事忙しいんだろう?」
「あ、うん」
「里穂の就職先が激務なのは私達も知ってる。前に会った時よりも随分痩せてるみたいだし、最近きちんと眠れてるか?」
言われてみればここ最近はまともに睡眠時間が取れていない。
「あんまり考えたくはないが一度病院に行ったほうがいいかもしれない」
確かに冴子の言う通り、疲れが溜まっているのかもしれない。一度病院に行ってみる必要があるのかもしれない。
「あんまり深刻に考えすぎるのもよくないかもしれない。まずは一度ゆっくりと休むといいよ」
「そうだよー。里穂ちゃん顔色悪いから。今日も、もう帰ったほうがいいんじゃない?」
「……ううん。二人と一緒にいたほうが安心するから」
私がいうと冴子は嬉しそうに笑い、薫も困ったような顔をしながらも優しく微笑んでくれたのだった。
◆
それからまた数週間が経過した。あれから、二人のアドバイス通りに私は有休を多めにとるようにした。あれ以来、何かが起こることもなく平和に過ごせている。やはり、疲れが溜まっていたんだろうと私の中では納得し始めていた。
そんなある日、また電話が鳴った。通話に出ると、母からの電話だった。
「あんた、帰ってくるんやったら帰るって言っといてなー」
母の元気にいい声が耳元に届く。
「何の話?」
「昨日、突然こっちに帰ってきたやないの。帰ってきてくれるのは嬉しいけど、こっちかて準備あるんやから」
「いやいや、ちょっと待って。私、帰っとらんよ」
「何言うてんの。昨日の昼にいきなり実家に荷物取りに来た言うて、お昼ご飯食べてったやないの。……まぁ。ええわ。今度はお父さんがおるときに帰ってきたってや。里穂に会えんかったってへこんどったでな」
母親言いたいことだけ言うと通話が切れた。スマホからは通話が切れた音声が無機質に流れ続けていた。そんな。一体何が。昨日は私何をしていたっけ。確かに昨日は会社は休みだった。前日に深夜まで映画を見てしまったから寝たのは朝方だった。
目を覚ますと夕方でせっかくの休日があっという間に終わってしまったと少し後悔したのを覚えている。私は眠っていたつもりだったけれど、実は実家に帰っていたとでもいうのだろうか。
◆
それからだ。時折、私が知らない場所で私を見かけたり私と行動を一緒にしている話を聞くようになった。それは友人だったり、家族だったり、会社の同僚だったりした。本当に私がもう一人いるような錯覚すら私は覚えるようになっていた。
自分の精神が病んでいるのかと思って病院にも行ったが、はっきりとした診断はでず安定剤を処方されただけだった。私は電話に出ることが怖くなり、ずっとスマホの電源を切るようになった。休みの日も外に出るのが怖くなっずっと部屋の中にいるようになった。
そんな日々を過ごしていた時、ガチャリと部屋の玄関の鍵が開いて隆俊が部屋に入ってきた。
「そんな部屋の隅に座り込んで大丈夫?」
隆俊は心配そうな顔をして私に近づいてくる。私は怯えたような視線を持ち上げると縋りつくように隆俊の腰に抱き着いてわんわんと泣いた。
隆俊は私を優しく抱きしめてくれて、落ち着くまでゆっくりと背中を撫で続けてくれていた。どれぐらい泣いていたのだろう。気が付くと日が落ちて部屋の中は暗くなっていた。
「落ち着いた?」
優しい声をかけてくれる隆俊の声が心にしみわたっていく。
「ごめん。ありがとう。心配してきてくれたんだ」
「ああ。里穂の様子が最近おかしかったからね」
ああ。隆俊がいてくれたら大丈夫だ。私はそう思った。隆俊にすべてを話そう。そう思った時、隆俊が言った。
「昨日はあんなに元気そうだったのに。何かあったの?」
私は叫んで隆俊の腕を振り払い部屋を飛び出した。私は昨日一歩も部屋の外には出ていない。
私ではない誰かは隆俊と昨日会っている。そして、隆俊はその誰かと私の区別がついていない。
それが恐怖だった。
無我夢中で暗闇の中を裸足で走りまわった。自分がどこを走っているのか、どこに向かっているのかもわからなかった。
息が切れて心臓が破れそうになり、走る勢いを緩める。ペタペタと裸足がアスファルトに張り付く足音が暗闇に響いていた。
ペタペタ。ペタ。
ペタペタペタ。ペタペタ。
ペタ。ペタペタペタ。
おかしい。足音が多い。私が歩いている歩数よりも足音が一人分多い。
本当にドッペルゲンガー。私の偽物がいるっていうのだろうか。
今、私の後ろに。
ペタり。と。肩に何かが触れた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ」
私は叫んで振り返った。そこには私と同じ顔をした私がにこにこと笑いながら立っていた。
「ドッペルゲンガー!」
半狂乱になりながら私は両手を振り回す。
「いやいや、落ち着いてくださいよ」
私はの目の前に立っていた女が私とそっくりの声で話しかけてきた。
「ドッペルゲンガーって。あのもう一人の自分が見えるってやつですか? 馬鹿言わないでくださいよ」
女は私をじっと見つめて言う。
「あ、あなたは誰なの?」
私が女に向かって聞くと、女は薄く笑った。
「嫌だな。忘れたなんて酷いですよ。先輩」
その甘ったるい呼び方に聞き覚えがあった。私は高校の時、誰にでも名前で呼ばれていた。部活の後輩だけが私のことを先輩と呼んでいたのだ。
学校帰りにクラスメイトに絡まれていたところを助けたことをきっかけにして、懐かれていた。いつも「先輩。先輩」と呼んで後ろをついてきた彼女。
「私、ずっとずっと先輩に憧れてました。学校の成績もよくて運動もできて、いろんな人たちに囲まれて慕われてる。人の輪の中心にいた先輩のことずっとずっと憧れてたんです。だから、先輩のことを真似してました。そうすれば私も先輩に近づけると思って。だから、同じ大学に行ったし、同じ洋服も買って、先輩の好きな音楽を聴いて先輩の好きな映画を見て、先輩がどんな行動をして、どんな話をして、どんな過去を持っていて、どんな生活をしているか。ずっとずっと調べて真似してたんです。だから、顔だって先輩と同じにしました。声も同じ声が出せるように練習したんですよ。私は先輩の全部を知ってます。だって憧れだから。私は先輩のすべてを持ってます。だって憧れだから。先輩の真似をして先輩と同じようにすればいいとずっと思ってたんです。
そんな生活を十年過ごしました。そして、私気が付いちゃったんですよね。先輩が邪魔だなって。私がいれば先輩いらないなって」
彼女の口が大きく開き三日月のように笑う。
「私、先輩になりたいんです。だから、今日から私が渡瀬里穂ですよ」
彼女の手の中で銀色に輝く刃物が月明りを反射していた。
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