私たちが見た殺人

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 寒々とした夜が、すっかり景色を隠してしまっていた。  たくさんのヘッドライトが飛び去っていく。通りを歩く人も、ウインドウの中の服も。  澄玲は聖人の車の助手席で外の夜を見ていた。警察で臨時にドアの窓に張ってもらった半透明なビニールのシートも、隙間から入り込んでくる冷たい風も気にならなかった。澄玲の頭の中には何か真人と話しをしなければならないという思いしかなかった。 「今晩、どうする?」  聖人がさらりと言った。  え? 何、急に。まさか。 「何?」  なるべくさりげない様子で澄玲は聖人を見た。 「誰か友達のところに行くか、来てもらったほうがいいぜ」  ああ、何だ。何勝手に心配しているんだ。澄玲のバカ。  澄玲はとりあえず自分を叱りつけておいた。 「そうか。でも、まさか」 「人を殺した男だぜ。しかも執念深そうな男だった。警察は当てにならなさそうだし。このままで済むとは思えないな」 「うーん」  そう言われると心配になってしまう。夜中にアパートの窓がガタガタ鳴って、カーテンの影から手がぬっと現れる。闇の中でナイフがきらりと光って・・・・・ 「桃子に来てもらおうかな」 「同じアパートの人?」 「うん」 「大丈夫かなあ」  う。その投げやりな言い方。まるで一人殺すのも二人や三人殺すのも一緒って言っているみたい。 「大丈夫よ」 「誰かいるだろ、林とか、横田とか、もっと頼りになりそうな奴が」  え? 澄玲は一瞬思考が止まった。  澄玲の顔を見ていた聖人は真面目な顔になった。 「冗談だよ、冗談」  聖人は慌てて柄にもない笑顔を作って言った。  でも澄玲は悲しかった。  聖人はそんな風に思っていたんだ、私のこと。誰とでも、どこへでも行く女だと。もちろん林君や横田君や木戸君や石井君ともデートしたことはある。けれどそれで私を決めつけちゃうわけ? まだ誰とも深い仲になったわけじゃないのに。  女の子は女の子らしく、おしとやかに土曜日や日曜日は部屋に閉じこもって暇を持て余していなさいとでもいうの?  「どうした?」  澄玲は何も言えなかった。腹が立った。それよりももっと違う熱いものが体の中に広がって、それが目にまで伝わってきた。  こらえきれなくなって、でもそれを聖人に見られたくなくて、波打つビニールシートの向こうの景色を見るふりをして、そっと涙をぬぐった。 「へー、こんな所に住んでいたのか。結構いい所だな」  聖人は車のフロントガラス越しに澄玲のアパートを見て言った。 「おやすみなさい」  なるべく嫌味っぽくならないつもりで言って、車から降りた。  聖人も車から降りてきた。 「おい、本当にどうするつもりだよ」 「誰か呼ぶからいいわよ」 「だから、さっき言ったことは冗談だって」 「誰を呼ぼうと私の勝手でしょ」 「それはそうだけど」  聖人の声からだんだんと力が抜けていく。  澄玲はできるだけいつも通りに話そうとするけれど、うまくいかない。 「それじゃ、おやすみ」 「ちょっと待てよ」  歩き始めた澄玲を聖人が呼び止める。 「話したいことがあるんだ。部屋に行っていいか?」 「私、そんな女じゃないわよ!」  澄玲は走った。また涙がこぼれてきた。  桃子はいなかった。また友達のところにでも行っているのだろう。静岡出身だから同じ静岡から来ている友達がたくさんいる。  澄玲は寒々とした部屋に戻ると、パソコンの電源を入れて冷蔵庫から缶酎ハイを出してきた。別にお酒を飲みたいわけじゃないし、おいしいとも思わない。たまに一人で格好つけて飲んでいるうちに、飲むというポーズを作ることが好きになっていた。  一人だって寝られる。子供じゃないんだし。いざとなれば大きな声を出せば隣の部屋くらいには聞こえるだろう。第一こんな街の中で人殺しみたいなことができるわけがない。  澄玲は酎ハイをグイッと飲んで、あー不味いと思った。
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