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【4】
閉店後、セシルは明かりを落とした店内でテーブルについていた。いつの間にか眠りに落ちていたらしく、ドアのノックを耳にして覚醒した。
(不審人物……)
だったらどうしよう、と思いながら席を立ってドアへと向かう。誰何をする前に、向こう側から、「エリオットだ」と名乗られた。
鍵を外してドアを開けると、夜の暗がりに星明かりを背負ったエリオットが立っていて「遅くなって申し訳ない」と深々と頭を下げてくる。動きに沿って肩に流した黒髪がさらりとこぼれた。
「大丈夫、待つと言ったのは私です。約束通りに来てくれたんですから、それで十分ですよ。お腹は空いていますか?」
「とても」
顔を上げたエリオットは、表情はさして変わらないのに目だけが切実に空腹を訴えていて、セシルは噴き出した。
「入って。ドアには内側から鍵をかけて。酔っ払いが入ってきても面倒です。客席に明かりをつけると外から見えるから、調理場までどうぞ。食べたいものはありますか?」
「君が作る料理ならなんでも。昨日は支払いをさせてもらえなかったが、今日はきちんと請求して欲しい。財布は持っている。君の料理を食べに来たんだ」
先を行くセシルの背を、エリオットの低い声が追いかける。顔に、血がのぼってくるのを感じて、セシルは振り返ることができない。
(わぁぁぁ、料理を褒められることはあったけど……。エリオットさんの褒め方は、まっすぐすぎる。あんな小さなきっかけで知り合っただけで、こんなにも守ろうとしてくれるし。私が人並みの女の人だったら、好きになっちゃったかも)
もちろん、セシルは自分が人並みではない自覚はある。身長が高くなり、ドレスがどれもこれも似合わなくなったときから、女性であることを諦めた。社交界では可愛い女性が好まれていて、身の置所がなかったせいだ。
そうこうしているうちに、シャーリーに末娘の立ち位置を取って代わられ、実家での居場所も無くした。無くしたと言っても、それはセシルの被害妄想でしかなく、戻ろうと思えば戻れたのも知っている。実際に、何度となく父や兄から声をかけられていたのだ。嫁いだシャーリーからも。それでも、戻らなかった。選んだのはセシル自身。
そして現在、この国の女性としては完全に行き遅れの三十歳手前。料理の腕は上がったが、それは貴族の娘に必要とされる技能とはほど遠い。もう本当に、家族は自分の存在を闇に葬り、二度と思い出さないで欲しいと切に願っているくらいだ。
女性としての引け目が影を落としたきらいはあるが、恋愛にも興味がないまま生きてきた。過去、良い出会いがあればとほのかに憧れもしたものの、それなりに自由な環境にもかかわらず、仕事に明け暮れているうちにそんな気もなくなったのだ。
だから、昨日知り合ったばかりのエリオットに、恋心など抱かない。そう信じていたのに。
調理場の一部にだけ明かりを灯し、あらかじめ運び込んであった椅子をすすめる。行儀よく待つエリオットに、セシルは手際よく料理を作って運んだ。
「スープはマリガタニーです。香辛料多めの野菜のスープ。野菜の切れ端全部使って、カリカリに焼いたベーコンと固茹で卵を刻んだのをのせてます。あの……。普段余り野菜を使った料理なんて召し上がらないかもしれないんですけど」
見たこともない料理かもしれないと説明をしたものの、食欲を無くさないだろうか、と気にしてセシルの声は段々と小さくなる。
エリオットは気にした様子もなく、スパイシーな香りのする湯気を楽しそうな表情で吸い込み「匂いだけで好きなのがわかる」と破顔した。間近で見て、息が止まりかけた。
(うわ……、いまの表情。私がひとりで見て良かった? 見たい人いるよね?)
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