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「十番テーブルの料理上がってるよ! ニコラ、運んで!」  熱気渦巻くキッチンから、涼しい声が響く。  ホールから軽い足取りで戻った給仕の青年ニコラが「ウィ!」と返事をして、並んで湯気を立てている皿を見た。  マッシュポテトを添えたラムチョップのグリル、生クリームが白く孤を描くそら豆のポタージュ、バリッと皮が堅焼きのパン。食材そのものは高級ではないが、どれもこれも彩りよく盛り付けられ、食欲をそそる極上の香りを漂わせていた。 「ほんっとにシェフの料理はいつ見ても美味しそうですね。お客様の顔を見ていてもわかりますよ。皆さん幸せでたまらないって顔で食べてますし、ほぼほぼリピーターになるし、大繁盛店だし。シェフはイケメンだし」 「私語は慎んで。お客様お待たせしないで」 「はい、行きますけど、シェフ。六番テーブル」  キッチンに立ち、コックコート姿で振り返っている、金髪で細身の料理人。青い目を瞬かせた顔立ちは甘く、夢見がちな女性の理想そのもののように整っている。 「六番テーブルがどうしたの?」  よく透る声で返したその人に向かい、ニコラは愛想よく笑って言った。 「女性三人組なんですが、噂のシェフを見てみたいと盛り上がってまして……。もし手が一瞬でも空くようでしたら、ホールを一巡」 「期待しないでおいて。料理まだまだ後がつかえてる!」  明るく答えて、火にかけた鍋に向かう、すっきりと背筋の伸びた後ろ姿。  ニコラがこの店で働き始めた頃すでに料理人として一人前になっていたその人は、店の大元である商会側の人間とのこと。本来、自ら現場に立つ必要は無い高貴な身分らしいが「見ていたら面白そうで、暇だったし……」と仕事に手を出しているうちに、ついには店で一番手になってしまったのだった。  名はセシル。  裏方にいるのがもったいないほどの美貌で、滅多にホールには出ないにもかかわらず、一目見たいという客が老若男女問わず多い。  給仕のニコラとしては、セシルが忙しいのは重々承知であるものの、客同士で「見てみたい!」と会話しているのを耳にすると、ついお節介をしたくなってしまう。この自慢の上司を、とにかくいろんなひとに見て欲しい。  セシルもそれを邪険にする人柄ではないので、是非にと頼み込むと、ちらっと顔見せするくらいのサービスはしてくれるのだ。  この日も、いつも通りニコラは客の希望を伝え、了解したセシルは都合をつけてホールに出てきた。  事件はそこで起こった。  * * *
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