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妻に。
「もし、このお見合いで双方が合意した場合、そういった未来も考えられなくはないですが。つまり、私とあなたが、結婚すると決めた場合です。でも、エリオットさん、相手が私だなんて思わずにここまで来ていますよね? 合意なんて」
早口になった。それはエリオットも同じで、猛然とした勢いで語りかけてきた。
「それはそうです。釣書を見て、セシルだなんてあなたと同じ名前であることに怒りを覚えていたし、女性であることにも腹を立てていました。女性のセシルさんがいるなら俺が結婚したいくらいだって。何を言っているかわかりますかこれ。自分でもわかりません。だけど、俺が欲情を抑えきれなくなって無理矢理に唇を奪ったセシルさんが、俺と結婚してくれたらいいのにってどれだけ考えたことか。結婚します。しましょう。今すぐ結婚したいです。俺ではだめですか? 断らないでください」
「落ち着いて……ください。私も何がなんだか」
エリオットは、一度も目を逸らしていない。まるで、目の前の「伯爵令嬢セシル」と自分の知る人物が同じであるか、何がなんでも見定めようとしているようだった。どこかに間違いがあるのではないかと。強いて間違い探しと言えば、コックコート姿ではまったく目立たないが、ドレス姿では無くもない、ささやかな胸。エリオットの視線がそこに向かい、セシルも気付いたところで、エリオットは顔を背けて横を向いた。頬が赤い。
「本当に、あなたなんですよね。シェフのセシルさん」
「はい確かに。私で間違いありません」
「そばに寄って、触れても良いでしょうか」
セシルは返答に迷い、長く沈黙した。やがて、逃げてはいられないとようやく腹が据わり、椅子から立ち上がる。
エリオットの目の前まで歩いて行き、いつかのように手を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
かすかに震えた声で礼を言い、エリオットはその手に手を重ねた。
風が吹く。
花が香る。
二人だけの空間を、静かに時間が流れていく。
ため息とともにエリオットはセシルの手を取り、指に口づける。
「もう一度、あなたに触れたいと思っていた。いま、俺の夢のすべてが叶っています」
何度も指に口づけを落とし、ついにはセシルへと視線を投げかける。
「エリオットさん、蕁麻疹はどうですか?」
「全然。どうしてあなただけ大丈夫なんだろう。この手に料理を作ってもらったときに、自分から触れてみたいと思ったせいだろうか。この手が好きです」
その一言一言に、口づけのひとつひとつに。
怖いくらいに、体が熱を帯びていく。ようやくすべてに現実感が出てきて、セシルは上ずった声で確認した。
「私の手が好きなのは、私の料理が好きだから?」
「あの夜のキス以来、店に行けなくて本当に辛かった。後悔もしました。でもあのとき、思いを伝えないという選択肢はやはり俺にはなかった。あなたのことが好きです」
長い口づけの末に、エリオットは言ったのだ。「あなたが好きです」と。セシルはそれを拒絶した。エリオットの人生を滅茶苦茶にしてしまうと思ったせいだ。
「あのとき、断ってしまってごめんなさい。私もあなたが好き。あなた以外なら誰と結婚しても同じだと思って今日この場に来ていたけど、相手があなたで良かった。結婚します」
「店は?」
「え?」
余韻に浸る間もなく、間髪おかずに尋ねられて、セシルもまた真顔で聞き返してしまった。今なんと言いましたか、この方は、という。
「『銀の鈴亭』です。俺の見る限り、あなたがいなくても二番手、三番手が育っているように思ったのですが、しかしシェフのあなたがいての銀の鈴亭といいますか。もし仕事を続けられるようでしたら、部屋がないなどと言わずぜひあの二階に俺も住ませて頂きたく」
「仕事は……、少し休んでもいいかと思っていました。もしかしたら、またやりたくなるかもしれませんが、少し勉強の時間を取りたくて。諸外国に食べ歩きですとか、新メニューの開発ですとか。これも結局仕事なんですが」
「いいですね。旅行の手配も試食もお任せください」
エリオットは、真面目くさった顔で胸に手を当て、力強く言った。
セシルはそこで、ふきだしてしまう。
「あなたは食べることにはどこまでも前向きですね。私はそこが好きです。実は今日のお茶会用のお菓子も、私が作らせてもらっているんです。お見合い相手に興味はなかったんですけど、美味しく食べてもらえたら、好きになれるかもって思って。召し上がりますか?」
「喜んで。世界一美味しそうに食べます」
彼らしからぬ浮かれた物言いに、セシルは再び明るい笑い声を響かせた。
(お見合い相手に向けて作っていたはずなのに、あなたの顔ばかりが浮かんでいた。世界一美味しそうに食べるあなたの姿だけが見えていて。食べてもらえるんだ。良かった)
「それで、今日のおやつはなんですか?」
少年のように目を輝かせて促され、セシルは「今日はですね」と笑顔でメニューの説明を始めた。
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