【6】

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 数日間、店を休むことになった。  やぶ蛇をしてしまったのだ。  商会に用心棒の打診をした際に、セシルはとんでもない交換条件を出されてしまった。  ――シャーリーの嫁ぎ先が、今になってお前の存在を知り、騒ぎになっているそうだ。この先、行き遅れた原因が他ならぬシャーリーの結婚だとどこかに知られたら外聞が悪い。それならばさっさと結婚でもさせて、十年前から結婚していたかのように振る舞わせろ、と言ってきた。 (無茶苦茶だと思います。死んだことにするか、外国に行ってそこで幸せに暮らしていて二度と帰ってこないようだとか、何か他に言いようが……)  セシルは抵抗を試みたが、噂の原因には自分でも心当たりがあり、結局のところ受け入れることに決めた。  おそらく、エリオットの「銀の鈴亭」への日参が関係している。それで騎士の間から王宮にまで噂が拡大し、お忍びの貴族が客として多数訪れるようになり、誰かが気付いたのだ。シェフは伯爵家の末娘ではないか? と。  その誰かが誰かはまったく見当もつかなかったが、しっぽを踏まれているのに暴れても苦しいだけ。結婚しろと言うのであればそれも悪くないかもしれない。  引き際、潮時だと思った。 ** * 「ドレスに関しては心配しないでね。夫の商会は諸外国との取引に力を入れているのだけど、ちょうど東の方に、とても背の高い女王陛下が即位された国があるの。そこの商人と取引していたら、素晴らしい技法のドレスをいくつも仕入れることができたわ。あなたの目の色に合わせた青系のドレスはどう?」  見合いの席に向け、力になってくれたのはシャーリーだった。店を休むのは数日、それまでは調理場に立ち続けているというセシルの元へ、わざわざ足を運んで準備の進捗を伝えてくれたほどだった。 「いまのあなたのお立場を考えれば、私を呼びつけてくださって構わないのに」  シャーリーは準王家たる公爵家に嫁いでおり、いまやれっきとした公爵夫人。街場のレストランにおいそれと顔を出せる身分ではない。  しかし、ためらうセシルを差し置いて、シャーリーはあっけからんとして言い放った。 「私ね、昔この建物の二階で暮らしていたのよ。母がここの調理場に立っていたの。ちょうどいまのセシルみたいに。伯爵様は母の料理が好きで、お忍びで通っていたみたいね。本当の父親なのかどうか私にもはっきりわからないのだけど、あなたには迷惑をかけてしまったと思っていて……。ずっと何かでお返ししようと考えていたの。でも、あなたはあなたで結構楽しく働いていたみたいじゃない? だからお屋敷に呼び戻してもらうのはかえってお節介かもしれないし、何が良いか見つけるまで、時間がかかってしまったわ」  ふと、古参の従業員の顔を見回すと、年嵩の何人かが頷いていた。それで、シャーリーの話に嘘はないと、セシルは確信するに至った。 「ではもしかして、ときどき来て、私とは顔を合わせずに帰っていた、『からあげ』を伝授してくださったお客様は……」 「私よ、私。美味しかったでしょう。最高でしょう。お母様の味よ。あなた本当に料理がお上手。持ち帰って伯爵様にもお届けしたら、泣きながら食べていたわ。男はからあげに弱いの。女もだけど。全人類からあげに弱い。鶏さんありがとう」 (もしかしたら、私が全然気づかない間に、この方はずっと前から何年もこの店に通っていたのでは)  そのシャーリーの協力を得て、セシルの準備はきわめて順調に進んだ。  なお、エリオットはぴたりと店に姿を見せなくなっていた。セシルが拒絶し、本人が引き下がったので、おそらくもう二度と来ない。当然、見合いの話もすることはなかったが、これで良いのだとセシルは納得していた。  そして、見合いの当日を迎える。
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