はじまらない冒険

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 僕に向かって話しかけてきたのは、朝から隅のテーブルで酒を飲んでいた老人だった。  大きなツバの帽子を被っているため、表情はよく見えない。 「おぬし、魔法の指輪に興味はないか?」 「魔法の指輪?」  関わってはいけないとは思いつつも、つい反射的に聞き返してしまった。 「そうじゃ、この指輪じゃ」  老人が右手の甲をこちらに向けて見せる。五本の指全部に指輪がはめられているので、どの指輪の話かわからない。 「あの、僕急いでいるん」 「ほう、ワシの魔力が気になるか?よくぞ見破った。ワシが大魔法使いと言われたのはずいぶん昔の話じゃ。そうじゃな、酒の一杯でも奢ってくれたらワシの冒険譚を聞かせてやろう」  いや、魔法の指輪の話はどこにいった。  完全に話し相手がほしいだけのご老人じゃないか。  相手にしている暇はない。僕は丁寧に断ることにした。 「お聞きしたいのは山々ですが、僕はこれから旅に出ますのでまた今度聞かせてください」 「そうか、それは残念じゃ。今ならこの特別な魔法の指輪をただでやろうと思ったんじゃがのう。次に会う時にはもう他の人にあげた後かもしれんのう」  扉を開けようとする手がピタリと止まった。  装飾品に興味があるわけではない。だが、『ただ』というフレーズは気になる。剣はコナーから買った。回復草もモカ姫からもらった。だけど魔法は使えない。強力な魔獣の中には魔法を使うやつもいると聞く。魔法相手に剣では戦えないのではないか……? 「この指輪についた石は北の大地にあるエメラルドマウンテンにしかない希少な魔法石でな。魔法使いたちの間では喉から手が出るほど欲しがる貴重な魔法石じゃ。ちょっと話し相手になってくれるだけでいいのに、もったいないのう……」  老人が中指から外した緑色の石のついた指輪を手元でいじくりながら寂しそうにつぶやく。 「……その魔法の指輪というのは、魔法攻撃を防いだりすることもできるのでしょうか?」 「当然じゃ。この指輪を持っていさえすればいかなる魔法攻撃も防げるわい」  はたしてそんなに都合のいい魔法道具なんてあるのだろうか?  魔法道具に詳しくないことをいいことに変な物を売りつけ……いや、ご老人は売るとは言っていない。無料(ただ)でくれると言ったか。 「ワシは自分で言うのもなんじゃが、一昔前にはそこそこ名の知れた大魔法使いでのう。現役を退いて隠居の(かたわ)ら、趣味で魔法道具を作っておったんじゃが、なかなか良いものが出来たんじゃ」 「そんなにいいものなら、売ったらいいんじゃないですか?」  コナーの時と同じように聞いてみた。 「ワシぁ、金には困っておらん。だがもう世間とは関わりたくない」  老人はスプレモと名乗った。  老人が冒険者界隈で活躍したのは十年以上も前のことらしい。当然、僕はまったく知らない。  一時、最強の魔法使いとして名を馳せ、金と名声を欲しいままにしたはいいが、甘いものに蟻がつくように、私利私欲のために自分を利用しようとする者ばかりが集まりるようになった。自身も欲に目が眩み、調子に乗っていたら家族も友人も離れていってしまった、という。 「まあもしこの指輪を売ったら王都の一等地に家一軒は軽く買えるくらいにはなるじゃろうな」 「ちょうど僕も情報収集をしたいと思っていたところなんです。大先輩のお話し、ぜひ聞かせてください」  僕はカウンターで素早く酒を買い、老人のテーブルについた。  ……スプレモの話しは三時間にも渡った。  聞いているだけでも疲れたし、ところどころ胡散臭い。  壮大な冒険譚ゆえすべてが真実とは限らないが、それにしても燃え盛る火山でサラマンダーと死闘を繰り広げたとか、海底神殿迷宮で三年も迷子になっていたとか。  現実に役立つ話というよりは、小さな子供たちに寝る前に話して聞かせたら喜びそうな話だった。  気がつけば日が暮れかかっている。ギルド兼酒場も旅を終えて戻ってきた冒険者たちで賑わっていた。  とにかく魔法の指輪はもらったし、そろそろ旅に出なくては。 「貴重なお話し、どうもありがとうございました。それでは僕はこれで」  そう言ってギルドの扉に向かって歩き始めた、その時。  部屋の中の景色がぐにゃりと歪んだ。  なんだ?めまいか?  急に凍えるほど寒くなったかと思ったら今度は砂漠にいるかのような暑さ。おかしい。酒は奢ったが僕自身は飲食はしてないし毒はありえない。  いったいどうしたことかと頭を振り、周りを見回す。するとカウンターの向こうにいたはずのギルドの受付のお姉さんの姿はなく、それどころかさっきまで話していたスプレモの姿もなくなっていた。他の客も誰もいない。  みんないつの間にいなくなったんだ?       すると足下の床に妙な光の円が描かれていることに気づいた。  自分を中心にぐるりと円状に描かれた光の文字が、どんどん広がってゆく。これはたぶん魔法陣というやつだ。  顔を上げると巨大な魔獣が立ちはだかっていた。  頭部の左右から立派な角を生やし、赤々と光る目が四つ。巨大な牛かバッファローのようだが、背中からは蝙蝠のような羽が四枚生え、竜のような長い尾も見える。 「見つけたぞ、我が宿敵よ」  魔獣が言った。 「我が名は魔獣の王グアテマラ。我ら魔獣族を滅ぼす者よ。貴様が力をつけて我のもとに辿り着く前に、貴様の命を貰いにきた」  名前と目的をわざわざ自分から言うとは律儀な魔獣だ。状況がわかりやすくて助かる。と、思っていたら魔獣王が攻撃してきた。  グアテマラの攻撃は最初から容赦なかった。長い尾のしなる攻撃を聖剣コピルアクでなんとかしのぎ、炎のブレスから逃げ回りながら秘薬カ・フェインをがぶ飲みし、回復草を(むさぼ)り食った。  尾とブレスの攻撃をかわすのに慣れてきた頃、魔獣王は今度は魔法攻撃に切り替えた。呪文を唱え四つの赤い目が光ると、鋭い風の刃や氷の(つぶて)が飛んでくる。すると右手中指につけていた魔法の指輪から緑色の光が発光し、魔法攻撃を霧散させた。 「おのれ、いつの間にそんな力を……!」  魔獣王が苛立ち混じりに言う。  いつの間にって、今日だ。  僕は無我夢中で戦った。    激戦の上、十本目のカ・フェインを飲み干した頃、僕は魔獣王グアテマラをついに倒した。 「なんということだ……、やはり我は貴様に倒される定めだったというのか……」  魔獣王が捨てセリフを吐きながら身体が魔法陣の光と共に消える。  光が消えたと同時にギルドの部屋は元どおりに戻った。消えてしまっていた人たちも、みな気を失っていたが戻ってきた。  息を切らしながら僕は剣をしまい、カウンターに向かって歩く。  魔獣の王は倒し、姫も取り返した。  ——冒険者は割りに合わない  ——有名になっても寂しい老後  迷いはない。  僕は目を覚ましたギルドの受付お姉さんに新品の冒険者カードを差し出した。 「転職します」        ー END ー
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