第一章 兎と虎は戦場で出会う

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第一章 兎と虎は戦場で出会う

 ピイイイーーーッ……  ピイイイーーーッ……——。  消え入りそうな、それでいてはっきりと耳に届く口笛の音に、老虎(とら)は弾かれたように顔を上げた。  隣にいた狐族のシェイドも老虎を見つめ、それから緊張した面持ちで小さくうなずく。  老虎は未だに鳴り止まぬ口笛の音を頼りに、その方向へ向けて駆けだした。シェイドもそれに続く。そこにいた数名みなが、彼に続いて駆けだしたのだった。 (クソ。)  老虎は心の中でそう呟き、入り組んだ裏路地を機敏に駆け抜ける。長距離戦は向かないが、こういった瞬発力でカバーできるものであれば、彼の右に出る者はいないだろう。 (音が近い。そろそろだな)  そう判断した彼は、速度を落とし、それから足を止めた。後ろから遅れて駆けつけてきたシェイドたちを腕で後ろに下がらせる。 (ここで待機)  そう目で合図を送ると、シェイドは頷いた。  日中は人で溢れかえり、賑やかな雰囲気を醸し出す王都だが、ひとたび日が落ちれば、闇を好む者たちの世界に姿を変える。  人間たちは、夜行性の獣族が闊歩する夜の街を怖がった。日没とともに、一斉に自宅に引きこもり、門戸を固く閉ざす。  老虎たち、地下組織のメンバーからしたら、闇夜は活動にはうってつけの環境だったのだ。だがしかし——。それもつい数か月前までの話だ。王宮が老虎たちの取り締まりに本腰を入れてきたのだ。  地下組織「革命組」の取り締まりに乗り出したのは、軍事省と魔法省の二つだった。  しかし不思議なことに、なぜか二つの省庁はばらばらに行動しているようだった。  革命組と二つの省庁が鉢合わせとなり、省庁同士の仲間割れが起きたことで、自分たちは難を逃れたこともあったのだ。  まるで縄張り争いでもしているようだ。老虎には王宮の仕組みはわからない。同じ目的なら、争う必要はないはずだが。王宮の考えることは、いまいち理解ができなかった。 (今日はどっちだ? どっちが出てきている?)    特に厳しい取り締まりをしてくるのは魔法省だ。彼らは、軍事省よりも狡猾で、老虎たちの作戦を逆手に取り、仲間をかたっぱしから拘束し、なんの手続きも踏まないままに投獄していった。 (魔法省じゃねぇといいな。クソ。おれたちは犯罪者だとでも言いたいのかよ)  確かに、王宮に反旗を翻す自分たちは危険分子なのかも知れない。しかし、そう手荒な真似をしているわけでもなかった。投獄されてしまうような理由は見当たらないはずだ。  ジリジリと歩みを進め、老虎は裏路地から、表通りの噴水広場に視線を遣った。そこには、白いローブの男たちが見えた。魔法省の役人たちだ。  月明りだけが頼りの夜だ。目を凝らして様子を伺うと、役人たちは、老虎の仲間数名を捕まえていた。彼らは老虎の仲間たちをそこに跪かせ、両手を背中で縛り上げているようだった。 (ち、捕まりやがったか)  自分の仲間たちが、こうして拘束され連れて行かれるのを、みすみす見逃すわけにはいかない。 (ひい、ふう、みい……大した数じゃねーな)  魔法省の役人は四名ほどだった。いくら魔法を使うとはいえ、所詮人間だ。獣族である自分の身体能力を活かせば、難なく乗り切れる。そう判断した老虎は、シェイドを振り返った。 「おれはあいつらを助けに行く。万が一の時は、お前はここにいる仲間を連れて、アジトに引き返せ」 「でも、老虎は」 「おれは一人のほうが動きやすい。任せておけ。このおれ様が、今までヘマしたことがあったかよ」  シェイドは不安げに老虎を見ていたが、「わかった」と頷いた。その返答を受け、老虎も大きく頷くと、闇夜に紛れ広間に足を踏み出した。 「この者たち、いかがいたしましょうか」 「すぐに地下牢に入れるのです。一刻の猶予も与えてはなりません」  凛と透き通るような声が耳に届く。丁寧な物言いであるにも関わらず、有無を言わせぬ高圧的な口調だった。 「しかし、本当によいのですか? 本来であれば。司法省を通さないと……」 「構いません。宰相(ピス)からの直々のご指示です。あなた方は疑問を持つ必要はありません——」  指示をしていた男の声に応えるように、老虎は「そうかよ」っと叫び、役人たちに掴みかかった。  意表を突かれたのか、役人たちは魔法を発動させる暇もなく、老虎の下敷きになり、悲鳴を上げた。  彼は人間とは比べ物にならないくらいに発達した爪で、一人の役人の服を切り裂き、それから首の後ろのところを手刀で強打した。  男は地面に突っ伏し、そして動かなくなった。仲間のその様子を見た役人たちは、後ずさりをする。 「ひいいい!」 「と、虎だ!」 「次の相手はどいつだ? かかってこいや!」  老虎は腰にぶら下げていた剣を抜くと、次々と役人たちを叩き切った。 「老虎!」  拘束されていた仲間たちは、涙を浮かべて喜びの声を上げた。しかし、それも束の間だった。  仲間たちの足元が歪んだかと思うと、あっという間に彼らはその闇に落ち込んでいったのだ。 「た、助けてく——」 「おい! お前ら!」  まるで底なし沼みたいだった。彼らがもがけばもがくほど、沈む速度が上がる。老虎は手を伸ばしたが遅かった。彼らの姿を飲み込んだ闇は、あっという間に消失し、そこには冷たい石畳しか残されてはいなかったのだ。 「クソ野郎——っ!」  老虎は、そこに一人佇む男を睨みつけた。 「!」  老虎を見据えている双眸はまるで宝玉のように真紅に煌めいている。ふわふわの長い耳と、白い髪は月明りを受け、銀色に輝いた。そこにいたのは、人間ではなかった。その姿形は——兎の獣族。 「おやおや。私のことを覚えた、とでも言うのですか? 戦いしか好まない野生の虎が」 「馬鹿にしやがって! おれは一度見た奴の顔は忘れねーんだぜ! ——あんたは一体、何者なんだ!」  兎族の男は、ほっそりとした白い指先を顎に当て、それから小首を傾げる。 「下賤の者に名乗る名はありませんよ。残念でしたね。お仲間は確保いたしました。そう心配する必要はありません。すぐに貴方も一緒に来ることになるのですから……」 「捕まってたまるかよ! そしておれは下賤なんかじゃねー。なんなんだよ。獣族のクセに。あんた、人間に加担するっつーのか?」 「おや。それはおかしな発言ですね。貴方がた革命組も人間と獣族で構成されているではないですか」 「そ、そいつは……そうだけどよぉ。王宮に獣族はいねーって聞いているぜ」 「それは誤りです。現に私はここにある——。貴方とのお喋りは無意味です。さあ、一緒に来てもらいましょうか」  兎族の男は、口元に人差し指を当てた。 (魔法がくる!)  老虎はそう直感して、思わず身を翻した。案の定、彼の周囲から放たれた蒼白い光は、老虎の立っていた場所を焼き尽くす。 「あぶねぇじゃねーか」  老虎は兎族の男を睨み返した。
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