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それぞれの気持ち
冬の日、ゆっくり目のお昼ご飯を食べた。少し食休みをして毎日の日課の散歩に出かけることにした。
佐藤 健次、里子夫婦は、今年で還暦を迎える。
健次は早期退職という名のリストラで2年前に会社を辞めた。里子はずっと専業主婦だったので、夫が職をなくしたとはいえ、パートやアルバイトなど、短い時間の仕事もできるとは思わなかった。
健次は職を失った後、しばらくうつ状態が続き病院に通院していた。
その症状も大分落ち着いたので昨年から二人で自宅の近所を散歩するのが日課となっていた。
住んでいるニュータウンには散歩コースが定められていて、市のホームページからも印刷できるし、市役所に行けば印刷された地図も置いてある。
ようやく外に出られるようになった夫の為に、普段は自分からいろいろと動かない里子が地図を市役所に行って手に入れてきたのだ。
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里子は正直言って、夫が早期退職になるなんて思ってもいなかったし、会社と言う者は大きなミスさえしなければ定年まで勤められると思い込んでいたので、最初は夫の早期退職を受け入れられなかった。
『会社でなにか大きなミスをするか、上司の方に嫌われたのかしら?』
そんな風に思っている間に夫の健司はうつ病にかかり、朝ベッドから起きられなくなった。里子は心配もしたが、うつ病の知識もなかったので
『会社に行かなくなった途端に朝も起きてこないなんて。』
と、少々腹を立てていた。毎朝、里子はいつも通りに起きて朝ごはんを作り毎朝無駄にしていたのだから腹を立てるのもわからないでもない。
そのうち、食欲も全くなくなってしまった夫をようやく病院に連れて行くことに気づいた。
『そう、健次さんは怠けるような人ではないわ。私ったら仕事が亡くなったからってなんだか意地悪になっていたわね。』
病院では心療内科に回され、うつ病と診断を受けた。そして、夫の診察の後、里子が診察室に呼ばれ、うつ病に対する注意事項をいろいろと説明され、周囲がしてはいけないことのプリントももらった。
里子はプリントの通りに、健次にいろいろ無理強いすることもなく、かといって突き放すでもなく静かに寄り添って、健次の体調に合わせて食事の支度をした。
半年もたつと、薬の効果もゆっくりと現れ、健次は朝も起きられるようになり、食欲も徐々に戻ってきた。
そして、1年が経つ頃には薬も減り、一緒に買い物に行って荷物を持ってくれたりするようになった。
医者の勧めもあり、一日一度、外に散歩に出ることにしたのだった。
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健次は自分が職を失ったことが大変ショックだった。特に目立ったミスをしたこともなく、上司や同僚とも上手くやってきたつもりだった。
しかし、会社からは早期退職の話がいち早く持ってこられ、実際に退職するよりは破格の退職金が提示された。退職金はともかく、同僚の誰よりも早く自分に退職の話が廻ってきたことがとても耐えられることではなかったので、会社を辞することとしたのだ。
しかし、会社を辞めてしまうと、特に趣味もない健次は家で何をしたらよいのか全く分からなかうなってしまった。
『妻の里子はずっと専業主婦なので、健次が家ですることは何もない。』
『自分は家でも会社でも邪魔ものになってしまった。』
こんなことばかりぐるぐると考えていた健次は、いつのまにかうつ病にかかっていた。朝、ベッドから起き上がることができなくなり、里子がそれをこころよく思っていないことも何となく感じられた。
しかし、どうしても起きられなかったのだ。そして、食欲もなくなり、もう死んでしまっても良いのではないかと思い始めたときに、里子が突然、
「あなた、病院へ行ってみましょう。」
と、言ってきた。言われてみれば、これだけ調子が悪いのだし、病院に行くべきだったのかと、その時初めて思い浮かんだ。
病院へ行くと決めてからも、なかなか起きることができずに病院へ行くと決めてから何日かしてようやく病院へ行くことができた。
診断はうつ病だった。たくさんの薬が出され、里子も自分の診察の後、医者に呼ばれ、あれこれと指示を受けているようだった。
自宅での投薬治療が始まったが、今日明日で治ると言うようなことはなく、ようやく半年くらいたつと朝起きられるようになり、食事もとれるようになってきた。その間、里子は文句を言う事もなく健次の時間に合わせて生活を送ってくれるようになった。
そして、少しずつ里子の買い物について行って重いものを持ったりするようになった。
薬も減ってきたある診察日に医者から、一日一回ご夫婦でお散歩に出かけたらいかがでしょうと言われた。
里子も特に散歩に行くことに異論もないようで一緒に散歩に行くことになった。
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