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死後記憶保管部員の憂鬱
殺人事件の被害者の死の直前の体験を完全な形で復元することは、法医学においては長らく至上命題であった。そのため、近年の科学の発展によって人間の脳の記憶機関である海馬に残された記憶の復号ができるようになったときに、まず考えられたのはそれだった。
しかし、被害者の記憶の復号が試みられるにつれ、困ったことがわかってきた。完全なコントロール下にある動物実験と、大きなイレギュラー環境に置かれる殺人事件の被害者では、記憶の残り方に大きな違いがあるということだ。
特に、強いストレスに晒された脳は、その記憶の廃棄に努めるようだ。殺人事件や大きな事故の被害者では、死後一時間であれば死の直前の記憶を再現できるが、死後八時間も経てば完全に消え去ってしまう。これは、特に死の直前の記憶において顕著であり、それまでの長い時間を過ごしてきた人生の記憶については、劣化に対してある程度の耐性がある。これは、人間の脳が自身の死を認識した際に分泌する幸福物質エンドルフィンの作用とも関係しているようだ。
しかし、一つ奇妙な点がある。このような記憶の劣化傾向の偏りは、肉体が生命活動を停止した後にも続くということだ。肉体が死に至り、酸素が行き渡らなくなって死んでいく脳にとって、人生の幸福な記憶を留めることに価値はあるのだろうか。それは研究者にとっての議論の的になるとともに、科学的な話題に関心のある一般市民の間にも哲学的動揺のさざ波を引き起こす。純粋に科学的に議論するならば、不幸な記憶や失敗の記憶は、その生において同じ失敗を避けるために必要なものであり、生命活動が停止することが明らかであれば廃棄されるのは理に適っているとも言えるのだが。
いずれにせよ、このような生命科学における根本的問題は、科学捜査における死んだ脳からの記憶の再現の限界を端的に表していると言える。そのため、現代ではこれと異なる方式が考えられており、実用化段階にあって社会への浸透普及が進んでいる。
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