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「何やってんだアイツは…」
半分笑いながら、横の椅子を引いた津城の声に香乃は慌ててバッグを引き取る。
「さっさと行け、恥ずかしい」
聞こえてもいないのに津城はそう言って、しっしっと手で鶴橋に合図を送った。
鶴橋は、にかっと笑ってまた手を振って。
来た時と同じに唐突にビルの軒下に姿を消した。
「籍入れてきたっつったらアレだ…何で俺よりリアクションデカいんだかね、デケェ図体して」
喉の奥で笑って、クスクス笑う香乃の横に腰を下ろした津城がコーヒーカップに口をつける。
「心配かけましたから…喜んでもらえて、嬉しいです」
「ああ…近々、矢田の所も集めて飯でもって、都さんが言ってるらしい」
「わあっ、嬉しい!」
鶴橋が張り切りそうだな、と津城が苦笑いを浮かべ。
その視線を鶴橋が踊っていた辺りに落とした。
恋人から夫に変わった津城の横顔は、より男らしく見えて、香乃はキュンと胸を鳴らした。
邦弘に向かって頭を下げてくれた背中を思い出す。
「今日は、ありがとうございました」
津城の視線が香乃に戻り、いや、と答えて少し微笑む。
「…ここで、コーヒー飲んでる香乃を見た時」
あの日の香乃を見上げた津城を思い出して、香乃も微笑む。
「あの時、そっちにカップルが座ってたの覚えてる?」
津城が視線で示したのは、同じ一枚板の反対側の端の方の席だった。
「いいえ」
津城の姿を見逃すまいと、あの日の香乃には他のお客の事なんて目に入っていなかった。
「…一人で座らせてるのが、嫌だった」
膝の上にあった香乃の手を取って、テーブルまで引き上げた津城が、その爪の手触りを確かめる様に遊ぶ。
「一人でポツンと座らせてるのにここまで上がって来られない…隣に誰か座っても、文句も言えない自分にもムカついたなぁ」
穏やかな声は、あの日の苦々しさを乗せては居なかったけれど。
香乃はあの日の津城に大丈夫と、首を振った。
「見つけてくれました」
「うん?」
「まっすぐ、迷わずに…私を見つけてくれて、凄く嬉しかったです」
鼻から息を吐いた津城が、目尻に笑いジワを寄せて香乃の指先を見ている。
「あんな事は…もう無い」
もう見つけてはくれないのかと、それともあれはマグレだったと言うのかと、香乃が勘違いしかけた時。
ジャケットのポケットに手を入れた津城が、箱を取り出した。
片手で開いて、並んだシンプルなリングの小さい方を取り出した。
ポカンと見ている香乃の前で、左手の薬指へ滑らせた。
ピッタリはまったそれをひと撫ぜした津城は、頷いて。
「探さないといけない所に、もう二度と香乃を置かない」
津城はもう一度、自分に言い聞かせる様に頷いた。
「あんな思いは二度とさせない」
甘くない声は、やけに真面目で誠実に響いた。
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