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六ヶ月、七ヶ月と順調にお腹は大きくなって。
足元に気をつけろと言われる頃には、出産するのだと言う実感が湧いてきた。
変わって行く身体と、どれほどの痛みなのかという不安。
初産の妊婦がみな感じる不安は、ちゃんと香乃にもやってきた。
家の中には男だけ、もちろん誰もその感覚も身体の重さも分からない。
香乃の母親が生きていれば、話しも聞けたのだけれど。
残念ながらそうも行かない。
病院や書籍で仕入れる情報だけでは、やはり不安はあった。
よいしょ、と声を出しながら立ち上がり、お腹が張れば座る香乃を見ていた串間と言う組員が、夕食の席で声を上げた。
「姐さん、ウチのお袋が産婆をしてまして」
「産婆さんですか?」
「ええ、まぁ生きてりゃ72ですかね」
その口ぶりだけで、串間が母親と連絡を取って居ないのだと分かる。
「もしあれなら、お袋に連絡してみましょうか」
「お願いします!」
お医者様や助産師さんの話は、いまも検診の時に聞くタイミングはある。
けれど、香乃一人だけが長い時間を使える訳では無い。
ゆっくり聞く事が出来るのであれば有難いし、何よりそれをきっかけに串間が母親と連絡を取れるのであれば嬉しかった。
前のめりで答えた香乃に、串間は頷くと席を立った。
広間から少しだけ離れた襖の陰で電話をかけているらしかった。
「ああ……俺……っ、うるせぇなぁばばあ!」
初っ端なから喧嘩腰だ。
「違ぇよ!……妊婦さんの話しを聞いてくれって話しを………俺の子供じゃねぇって!」
「ああ……今世話になってる所の奥さん……うん、いや…順調、うん……」
声のトーンが少し落ちて、串間がゆっくり話し出した。
何故か香乃も組員達も箸を止めて、その片方だけの声に耳を澄ませていた。
「そうか……うん、あー…ちょっと待って」
串間が襖の陰から戻ってきた。
手の中の携帯はまだ繋がっていて。
「親父、お袋がこっちに出てこようかって言ってるんですが……」
津城だけが、マイペースに箸を動かし続けていたのだが、それを置いて手を伸ばした。
受け取った津城が携帯を耳に当てた。
ふわり、久しぶりに見た、木の葉の様な変容。
「息子さんに、お世話になっております。津城と申します」
柔らかな声で、津城は挨拶をした。
「はい、妻が今八ヶ月に入った所でして」
香乃に対する話し方とも違う、低姿勢の津城は穏やかに電話の向こうの串間の母親と会話を続け。
「ええ、むさ苦しい所ですが妻共々お待ちしています。駅まで息子さんを迎えに行かせますので……お気を付けてお越し下さい」
ものの数分で串間の母親との話しをまとめて電話を切った。
「お前、すぐチケット押さえてお袋さんに折り返せ」
と携帯を返した。
「坂口、串間の部屋に新しい布団を用意しとけ」
「はい」
「香乃」
「はいっ」
隣の香乃に視線を移した津城が、
「瑞江さん、串間のお袋さんが様子を見に来てくれるそうだ」
と微笑んだ。
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