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着慣れない着物の小さな歩幅で、瑞江が串間の視界に現れる。
串間が目を見開いた。
「……」
瞬きで戻ってきた串間が、ガシガシと後ろ頭をかいた。
いつも出かける時は軽く整えている髪も、今日は自然に下ろしたままで、その仕草で乱れてしまったのだけれど。
「…待ってろ」
ブスっとした顔でそれだけ言った串間はくるりと踵を返して母屋へ戻って行った。
着崩れないように瑞江をソファーに座らせてしばらく。
ほんの15分程で串間は戻った。
縁側に座ってモズを撫ぜていた津城が、瑞江さんと声をかけた事でそれを知った三人が奥の部屋から顔を出す。
「……わぁ」
串間は少し光沢のあるグレーのスリーピースのスーツに着替えていた。
瑞江の藍鼠色の訪問着と合わせたそれは、良く似合っていた。
綺麗に整えられた髪と、手には矢田が用意したであろう瑞江の草履が握られている。
もう片方の自分の革靴を縁側から下ろし、串間は中庭に下りた。
「お袋、行くぞ」
串間は瑞江の草履を沓脱石の上に下ろした。
少女のように面映ゆい顔をした瑞江がそばに歩み寄ると、彼女が育てた体格のいい串間が、下からその手を差し出す。
彼が母親の手に触れるのはいつぶりなのだろうか。
瑞江が少し驚いた顔をした後、隠しきれない嬉しさを押し殺した顔で不器用にその手に触れた。
きゅ、と串間がその指先を握り、
「慣れねぇ格好して…コケんなよ」
瑞江が草履を履くまでその手を支え、離した串間が顎で中庭から母屋の横へ続く方向を指した。
「裏に車止めてあるから」
「そうかい」
瑞江の数歩先を歩き出した串間だったが、立ち止まって振り返った。
きゅ、と締められた濃紺のネクタイの上の顔が照れてより無愛想になる。
「借りもんの着物、汚したらまずいから……」
「え?」
聞き返した瑞江に背を向けた串間が、ん、と肘を出した。
「掴まれっつってんだよ、ヨタヨタ歩くなよババァ」
ボソボソと、反抗期の少年のような不器用な言葉と、それとはチグハグな仕草でエスコートして。
串間はゆっくり歩いて瑞江と中庭を出て言った。
「……」
「……」
「……」
「……くくっ」
ジーンとしている三人と、含んで笑う津城。
きっと、二人は離れた時間を取り戻して帰ってくるだろう。
二人の背中を見送った香乃はうん、と一つ頷いた。
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