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津城と邦弘
津城はスーツでホテルに移動した。
寛げないんじゃないかと思った香乃だったけれど。
部屋に入ると津城はすぐに備え付けのローブに着替えてソファーに腰をおろした。
「晩飯は、ルームサービスにしようか」
「はい」
二人のプライベート空間が無いわけでは無いけれど、こうして本当の二人きりに、香乃の頬が緩む。
とりあえずお茶を入れて津城の横に腰をおろす。
「…明日は朝ご飯はやめて、駅弁食べましょうね?」
軽い旅行気分な香乃に、津城が苦笑いを返した。
「肝が座ってるねぇ、香乃」
邦弘に結婚の承諾を得に行く身の津城としては、とてもそんな楽しみを思い浮かべる気にはならないのだろう。
「大丈夫です、絶対」
根拠の無い自信だと思ったろうか、津城がふ、と笑い。
微笑んでいる香乃を抱き寄せた。
「どうかねぇ……相手が俺だからなぁ、でも」
抱いた肩を指先で撫ぜながら、津城は深く胸に染み込む様な声で囁いた。
「絶対、許しを得て帰る」
「はい」
本当は、許しを得なくても構わないと思っていた。
誰に許してもらわなくても構わない。
津城さえ、隣に居ることを許してくれるなら何も怖い事はないのだ。
不思議なものだ。
人の顔色を伺いながら、俯いて小さくなっていた自分が嘘のように、今は強く居られる。
受け入れてもらえて、手を貸してくれる今の家の組員の人達ですら…多分よそよそしくても大丈夫だった様に思う。
津城に必要とされ、彼の傍に居られなかった時間を乗り越えた事が香乃を強くしてくれた。
「もし、駄目でも…構いません」
「うん?」
「多分、おじいちゃんが駄目だと言うのならそれは私を心配しての事だと思うんです」
「…うん」
前の家で過ごしていた頃は、この津城の穏やかなポーカーフェイスの下の気持ちを感じる事も難しかった。
今津城は、申し訳ないと思っている。
きっと一緒に居る時間の最後まで、津城は自分を引き入れた事を悔やむのだろう。
「でも選んだのは私ですから」
「……」
いくら言っても、津城の胸の奥のその気持ちを変えられない事も…もうわかる。
でもそれは、彼に愛されているからだ。
「私が、秋人さんじゃなきゃダメなんです」
それを伝えに行くだけです、と香乃が微笑む。
「秋人さんじゃなきゃ、お嫁に行かないって…おじいちゃんに駄々をコネに行くんです」
津城がふう、とため息をついた。
悲しい様な、嬉しい様な…透明な微笑を浮かべて香乃を見つめた。
「…貴方のそばに居る事を、誰に何を言われる筋合いもありません、それがおじいちゃんであっても」
凛とした瞳で香乃は津城の頬に触れた。
大好きを乗せて、優しく撫ぜる。
「だから、秋人さんも私をそばに置いてくれる事を迷わないで下さい」
香乃の手の温もりを感じたまま、津城が目を閉じた。
うん、と小さく頷いた声と…本能に従って引き寄せる腕に身体を預ける。
体温を分け合えるこの距離を、もう手放したりしないと香乃は目を閉じた。
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