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(今日も一日、何も変化がないまま終わったな)
達樹は教科書をカバンにしまって、クラスメイトに気配を悟られない様に教室を後にする。
一瞬視線を、とある青年に向けたがすぐに逸らした。
高校三年の冬。
卒業まであと二か月を切った。
昔から人付き合いが上手く出来ず、友達と言える存在は誰も居なかった。
父を早くに亡くし、母もずっと仕事に出てしまっているので、常に達樹は孤独を感じていた。
そんな彼の心に寄り添ってくれる存在。
それは本であった。
達樹は学校が閉まるまで、図書室に籠り、あらゆるジャンルの本を読み漁っていた。
「今日も熱心ね。達樹君」
司書の大谷先生が声を掛けて来た。
いつも気にかけてくれる優しい人だ。
「はい。僕にはこれしかないから」
「そう…」
大谷はとても寂しそうな顔で彼を見つめる。
そう。
僕には本の空想の世界にしか生きる意味を見つける事が出来ないんだ。
あんな報われない片思いをしたところで、一体何の意味があるって言うのか。
【達樹くん。気を付けて帰ってね】
たった一言、自分の名前を呼ばれただけで、胸がグッと締まる想いを初めて抱いた二学期の秋頃。
クラスの人気者で誰からも慕われる長身の青年。
名を康陛。
バスケ部のキャプテンを務めている文武両道を兼ね備えた達樹の初恋相手だ。
自分は根暗だし、見た目も優れている訳ではない。
こんな自分が彼と何かある訳は絶対にない。
これは、絶対に胸の内に秘めておかなくてはいけない気持ちなのだ。
まして、康陛には彼女が居たのだ。
彼の幸せを願えば横取りする必要もないし、第一、自分から告白する勇気も度胸もない。
何も変える事ができない虚しい想い。
達樹は何で同性に恋心を抱いたのか分からずにここまで過ごして来た。
(いけない。こんな事、考えている事自体、無駄な事なのに)
達樹はそう思い、すぐに本の文字に視線を落とす。
ページを捲る度に、本の世界へと引き摺り込まれていく。
自分と同じ歳の青年が悪の組織に立ち向かう冒険ファンタジーだった。
普段あまり読まないジャンルの本だったが、軽い気持ちで読んでみたが、とても面白い本に巡り合えた。
物語の終盤に差し掛かった時である。
(んっ?)
ページの間に一枚の切れ端が入っていた。
ノートを慌てて破り捨てたようなメモ。
メモを裏返してみると、何か文字が書かれていた。
【達樹へ。卒業式が終わったら、図書室で待っていて。必ず尋ねて来る人が居るから。その時に、キミの想い。その人に勇気を出して伝えるんだ。未来は何処までも明るく、素敵な世界が待っているよ】
一体誰の悪戯なのだろうか。
だが、しっかりとした筆跡で自分に向けて書かれたメモに、達樹は全く動けなくなってしまった。
(僕の未来が明るい…)
そんな事、ある訳ないのに。
だが、何故かその文字だけで、彼の心が救われた気がした。
もう、先程まで読んでいた物語の内容は何処かに行ってしまった。
達樹はそのメモを、自分の生徒手帳に大切に挟むと、さっきまで読んでいた本を閉じた。
すぐさま立ち上がって、本を戻し、図書室を後にする。
「達樹君、気を付けて帰ってね」
「はいっ」
達樹は、いつもは見せない、優しい笑みで答えてみせた。
それから、達樹の頭の片隅にはいつもあのメモの内容が居座り続けた。
嫌な事があっても、メモをこっそり見る度に、気持ちが穏やかになった。
それから何も変化がないまま、卒業式の日を迎える。
無事進学先も決まり、高校を巣立つ事が出来るハレの日だ。
母親は仕事の為、来る事が出来なかった。
でも、それも自分の為だと思うと感謝しかなかった。
達樹は少し薄暗い図書室でいつものように本を読んでいた。
司書の大谷も居ない(彼女は別の女子学生と別の場所で談笑しているらしい)人気のない空間。
だが、メモの内容の通り、何時間も待っているが夕方に差し掛かっても、誰も訪れる人が居なかった。
「あのメモ、やっぱり悪戯だったのかな」
達樹は大きくため息をつき、静かに立ち上がった。
本を戻して帰ろう。
悪戯だったみたいだけど、今日まで楽しく過ごせたよ。
だが、そんな時である。
突然、図書室の扉が開いた。
(えっ…)
一冊の本を抱いた康陛がやって来たのだ。
今日で彼の学生服姿が見れなくなると想うと何処か寂しく感じた。
すると、康陛はまさか人が居るとは思って居なかったのか、驚いた表情を見せた。
「びっくりしたぁ。達樹君。こんな所に居たんだね」
「康陛君…。ど、どうしてここに?」
「借りてた本、一冊返し忘れててさ。最後に、返そうと思って」
「そう、だったんだね」
「達樹君は?」
「えっ?」
「一人で本、読んでいたの?」
「…うん。最後に、読みたい本があって」
達樹は小さな嘘をついた。
本当は自分に会いに来る人を待っていたなんて言えない。
まさか、その人物が康陛だったなんて。
「本当に達樹君は本が好きなんだね」
康陛は優しい笑顔を見せた。
その顔を見た時、達樹の心の奥がドクンと跳ねた。
(僕は本が好きって訳じゃない、康陛君の事が好きなんだよ)
達樹はそう想った時、ふと、あのメモの文字が脳裏に浮かぶ。
【キミの想い、勇気を出して伝えるんだ】
「それじゃあ、俺、そろそろ行くね」
彼は本を所定の位置に置くと、スッと踵を返した。
(あっ…)
このままでは、康陛と一生会えないと思えた。
(それだけは、嫌だ!)
次の瞬間、達樹は自然と声を発していた。
「僕、康陛君の事、好きなんだ!」
今まで発した事のないくらい大きく気持ちが籠った声だった。
まさかの言葉に、思わず康陛は足を止めた。
「達樹、君?」
「え、あ、そ、その…。最後にどうしても伝えておかなくちゃって想って。ご、ごめん、びっくりするよね」
勢いに任せて彼に告白をしてしまった事に、恥ずかしさの余り、顔だけでなく、身体中が熱くなって来た。
康陛がゆっくりと近づいて来た。
こんなに近くで彼の顔を見た事がなかったので、達樹は照れてしまう。
本当に整った顔だなと、噛み締める様に心の中で言葉にした。
「あのさ、俺、同性からそんな事言われた事無くってさ。こんな時、どうしたら良いか分からなくて」
「そう、だよね。僕、変だよね」
「いや、全然。変じゃないよ。誰かを好きな気持ちって皆、あるからさ」
「えっ?」
「でも、今すぐに達樹君の想いに応える事は出来ないかな。ごめん」
「…うん。寧ろ、僕の言葉を受け止めてくれて、本当に嬉しい」
達樹はそう言って、ニコリと笑って見せた。
康陛は初めて見る彼の感情のこもった表情を見て、再び動きを止めてしまった。
「そ、それじゃあ、俺。行くね」
「うん。最後に康陛君と話が出来て良かった」
達樹の言葉に、彼は大きく頷いて見せた。
そして、図書室を康陛が後にする時。
「俺さ。実は、〇〇大学へ進学するんだ」
「えっ? 〇〇大学?」
それは、達樹と同じ進学先だった。
「康陛君…」
達樹は目に涙を浮かべていた。
また彼と会える機会があると分かると、嬉しくなって自然と泣いてしまっていた。
「それじゃあ、また」
「うん。またね」
そう言って、彼は達樹に大きく手を振ってから、友人達の元へと帰って行った。
薄暗い図書室に夕日の優しい光が差し込んだ。
達樹は生徒手帳に挟んだメモを手にとる。
「このメモ。やっぱり悪戯じゃなかったんだ」
すると、夕日の光に触れると、そのメモがゆっくりと消えて行ってしまったではないか。
思わぬ事に、達樹はあっと声を発してしまった。
あのメモは泡沫の夢だったのかも知れない。
だが、ずっと秘めていた気持ちを伝える事が出来て、達樹の心は晴れやかだった。
「素敵な世界、か」
達樹は図書室の窓を開けて、春の夕方の風を浴びた。
「そうなるように、僕、頑張ってみるね」
達樹はそう思いながら、未来の自分へ想いを馳せるのだった。
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