第一話  秋風 1-1

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第一話  秋風 1-1

第一話 秋風 五代将軍綱吉の治世になり八年目 元禄元年、今から約三百九十年前の江戸の話である。三年前の貞享二年には生類憐みの令が出ている。  三河以来の直参旗本二千石、菊池左衛門吉行の三男 菊之丞十九歳、二つ下の妹弥生は後妻みとの子である。先妻とよの子、太郎左衛門二十四歳、次男 次郎座衛門二十二歳とは年の差があまりない。  幼いころから学問と剣術が生きがいの三之丞と、おきゃんな弥生が、芝 鍵屋長屋の寺子屋で、江戸市中の様々な人々とふれあい、ひょんなきっかけで事件に遭遇し、駆け抜け成長してゆく。    さて、ここは神田の旅籠 泉屋六郎の居間だ。一帯の香具師の元締めだ。 「若旦那少しは考えてもらわないと困りますよ」  角の張ったあか顔の六郎。 「そうは言ってもさあ、仕方ないのさ」  と越後屋の跡取り息子幸太郎はうそぶく。 「私だって、表向きかどかわしなんてことはできやしませんよ。こうして頭を張ってるんですから。何をおっしゃっているのか、お分かりですか。いくら両国の賭場で大損をしたって、そりゃねえ、大事になるんでござんすよ」  苦虫をかみつぶしたあかい顔でたしなめる泉屋六郎。 「勘当されたにしろ、心を入れ替えて真面目に家業に精を出すと、親に泣きつけば、江戸でも有数の両替商越後屋の跡取りの身ですよ。今は 文無しでも・・親分に損はさせませんよ。そこを・・頼んでるんじゃないですか」  幸太郎には罪の意識がまるでないようだ。 「そういうことなら、ま仕方がない。少し手をまわしてみましょうかね。私の名前がこれっぽっちも表に出ちゃ困りますからね」 「わかってるって事よ」  越後屋幸太郎は何を企んでいるのか。  泉屋六郎は、自分で手を下すわけにはいかない仕事は、昔から懇意の浪人原田典膳に、それとなく依頼していた。今回もそのやり方でやむを得まいと、女房のおきみを使いに出すつもりにした。 「親分・・では 頼みましたよ。江戸から姿を消してくれればいいのさ・・でもね・・あとでみつかちゃ・・困りますよ。そこのところは よろしくね。お礼はたっぷりさせてもらうからね」  と長身細面の幸太郎は足早に泉屋の居間を出て行った。  深川の門前仲町から清住通りを少し東に下った、心行寺の脇を入りその先に、三味線師匠の看板がある。浪人原田典膳はこの二階で居候を決め込んで、すでに四か月がたっていた。神田の泉屋からは女房のおきみが来て仕事を依頼していったが、気が進む仕事ではなかった。 ーーーそれにしても、恐ろしいことよ。あさましい世の中じゃ。実の兄が妹をかどかわし、家督のために消してくれとはなーーー  馬ずらの典膳は己の生きざまを棚に上げて、どうしたものかと思案していた。 ーー女子供をいたぶる仕事はな・・ここは、芝浦でとぐろを巻く、橋本や上原にやらせようかのうーー  泉屋には年に数回は裏の仕事を頼まれ義理もある。こうして今のところのんびり暮らせるのも金があるからで、師匠のおよねとねんごろに暮らせて、そのおよねは文句も言わない。ここでもまたしても仕事を横振りの原田典膳だ。 「おい。ちょっと芝浦あたりまで出かけてくるぞ」 「今日はね。河岸からいい魚が入ったんですよう。煮つけや焼き魚にしようかとね。お早いお帰りを」  およねの屈託のない声をあとにする。 「橋本、上原、そうゆうわけで、女どもをな・・気が進まねえかもしれねえがこれが前金だ。十五日の昼前に娘は女中と二人で、増上寺にお参りに出ることも掴んである」  典膳は三両を二人の前に置く。 「原田の旦那。いっそ女中を含めて二人をバサッとやっちまったほうが、早いのでは」  上原は面倒が嫌いな性分であった。 「そうもいくまい。痕跡や死体が出ちゃ困るんだよ。お調べですぐに事情がわかってしまう。女中はやっても、どこか江戸市外の遠くに・・さらにその娘は・・また遠くに始末してもらわねばならん。その手筈とやりようが仕事さ。ここ十日ほどで片付けたら残りは七両。どうだね」 「原田さん。まかしてくれ。足はつかないように処理しようじゃないか。このところ何かとものいりでなあ」  兄貴分・作州浪人橋本が請け負った。あたりは芝から西に品川方向へ、右に上がった山の奥、うっそうと茂る林の奥の廃寺だ。土地の漁師も寄り付かない。芝浦の海辺までは坂を下ってすぐの距離だ。      十四日の宵。門前仲町の居酒屋で、原田典膳と作州浪人橋本三之助は明日のかどかわしについて、段取りの打ち合わせであった。 「原田さん。準備はできていますよ。上原は伊豆の郷士で船も達者だ。かっさらた後はすぐに寺へ連れ込んで、翌朝明ける前に芝浦の浜から二人を大型の葛籠で運びますよ」 「まさか、江戸湾に沈めようというんじゃなかろうな。ちかまの海はだめだぞ。浮かび出ることもあるからな」と原田。 「そんなドジはしませんよ。少し遠いが品川を回って大磯で、女中を浜の奥の山中に。真鶴、熱海から、網代まで運んで、網代の山奥に娘を。二人ともしっかりと埋めてきますよ」  濃い髭ずらの橋本は自信顔だ。 「それなら心配なかろう。残金は帰った後でな」 「ところで、どこの娘ですかね!」と橋本。 「おぬしらも知らぬほうがいいだろう・・拙者も知らん」  「そのほうがお互いに・・安全というわけですね」悪い奴らだ。
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