その後荒川十太夫

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その後荒川十太夫

この後の荒川十太夫は赤穂浪士が祀られし高輪泉岳寺に供を連れて墓参を将来欠かしたことは無かったのです。 自ら介錯を務めた武門者堀部安兵衛武庸には仏となりしても最後まで「お馬廻役二百石」者として「偽り」を通しまする。 これが藩主松平隠岐守定直の耳に入りて荒川十太夫その咄嗟の気配りから石高加増(シュツセ)にて取立てられました。 大石主税良金辞世の句 「江戸の地にしばしやすらふかひもなく君のためとて捨つる身なるをや」 堀部安兵衛武庸辞世の句 「忠孝に命を捨つる武士の道矢たけ心の名をや残さんなりや」 〜終焉〜 参考 ☆ウキペディア ☆赤穂浪士討ち入り ☆神田松之丞講談 ☆忠臣蔵 dc6cc25a-3386-48ab-b84f-f4da3f64f556 歌川国貞画「仮名手本忠臣蔵」
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