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大罪人
して・・御公儀はなんと言っておるか?
はっ来月は如月が四日と決まりに至りまする。
如月かと・・せめては弥生にて櫻を見せてやりたいものよぉなぁ。
しかし公方綱吉様とて武士の極みとまで言って居られるものを・・柳沢吉保の強い一存も分からんでは無いが・・!
『伊予松山藩十五万石藩主松平隠岐守定直』は御公儀より大罪人なる浪士を十名なるを預り収監になりましょ。
他には『肥後熊本藩五十四万・石細川越中守綱利』
『長門長府藩五万石・毛利甲斐守綱元』
『三河岡崎藩六万石・水野監物忠之』
この四藩にて御公儀より大罪人にへの御沙汰待ちにての収監でした。
御公儀ではこの大罪人の刑罰を巡って論争が起こります。
争点は大罪人を武士として扱うかそれとも謀反人とするかになります。
忠義無罪論
そもそも武士道から成れば言われなき侮蔑なればその仇を討つことは至極真っ当な行いとなす。
大罪処罰論
戦国から埜々気が緩める昨今にてこの様な暴挙を無罪放免に居たするならこれに乗じて同じ事が繰り返すことは明白なり、強いて言えば幕府に弓を撃つ事になり得ると至る。
また老中柳沢吉保の裁断は決まっておりました。
老中柳沢吉保は敢えて外様大名に大罪人を収監せしには外様大名が大罪人の肩を持ちてあらぬ策略を起こすかを見極める事にもその様な思惑があり申しました。
ただここで大罪人を罪人にて処罰に至れば外様大名の要らぬ反発をも有り得るとしここで大罪人らの面目を立てつつも助命を排除としてと切腹という処罰を選ぶことに成り申しました、成れば公方綱吉に武門者としての刑罰をとの進言をいたします。
二年の時期を得て大罪人四十七名の処罰が決まりまする。
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