幼少期

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幼少期

1991年 神奈川で生まれ、生まれてすぐに 兵庫県稲美町に引っ越し育った、愛実。 名前の由来は聖書からとられた。 祖父祖母は小さな教会で伝道をしており 専業主婦の母と大手貿易会社に勤める父と 7つ離れた姉がいた。 私たち家族は、他の家族とか違う。 キリスト教のプロテスタントを信じており、 毎週日曜日に教会へ行っていた。 日曜日のアニメが見れなくて 母親の前で行きたくない!アニメみたい!とよく泣いた。 教会にいくと、同じ年の子たちが3人いた。 自分以外の人たちは、毎週は教会へはきてなかった。 幼稚園児だった愛実は、 とても恥ずかしがり屋で、全然話すような子ではなかった。 自分を良く見せたい欲が強く、嘘をつき自分の株をあげていた。 母親には神様を信じていると言っていたが、 本当は信じていなかった。 神様を信じていると言えば、母親は喜んだからいつもそう言っていた。 勉強もしなくていい。 教会さえ、行けばなにもいらない。 それが我が家の教育だった。 養ってもらってる以上、何も言えなかった。 教会へ行きたくないです。と言えば 両親が悲しんでしまう。 そう思うと言えなかった。 小学生の時は、 日曜日が運動会なら親は来てくれなかった。 なぜなら教会へ行かないと行けないからだ。 中学生の時は、 通学途中で聖書が配られていたら 「愛実の家だよね?いらないんだけど」 とクラスメイトから言われ学校に行くのが嫌になった。 姉は宗教を理由にいじめられていた為、学校へは行ってなかった。 「私たちは神様を信じているから学校へ行かなくていい」 私はそう思っていた。 中3の時、 人を笑顔できる仕事がしたいと思い、栄養士になりたいと思った。 成績や出席日数が足りず、ギリギリだったが公立高校へ進学できた。 合格できたのは神様のおかげだと思い込んでいた。 毎日祈り、聖書を読み、教会へも行っていた私は神様から「祝福」をうけてると思っていた。 ※祝福(しゅくふく)→神からくれる幸福 私は誰よりも幸せだ!神様を信じてるから そう信じていた。 しかし、高校生になり 宗教へ疑問をもつ。
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