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惜別の朝 ⑤
アメレア歴1420年 3月
何をしていようとも時間は平等に流れていく。
雪で閉ざされていたファマリ村も雪解けを迎えついに命が花開く春がやってきた。
新しく生まれてきた命が世界に出会う季節。それは同時に別れと出立の季節でもある。
「わぁ~!かっこいい!!」
「どう?重くない?」
「うん!すっごく軽い!これがお父さんの鎧...!」
春を迎えいよいよ旅立ちの日を間近に控えた夜。ベリスは鏡に映る自分の姿を思う存分堪能していた。
その身に纏うのは手足を守る篭手とすね当て、そして胸部を覆うブレストアーマー。
王家の剣のように見る角度によって色彩が変化する淡い青を湛えた防具一式はベリスの体にぴったりでまるで服を着ているかのように軽い。
もう一つ特筆すべきは鎧に合わせて作られた服。
フリルやシルクといった豪奢な飾りはないものの鎧と合わせても印象が剛毅になりすぎず動きを阻害しない機能性とかわいらしさを両立させた逸品だ。
「うん。ぴったりね」
その後ろで様子を見ていたフォルナは防具のサイズが合っていることにほっと胸をなで下ろす。
「よく似合ってるわ。ベリス」
「えへへっ!ありがとう!」
「お礼はパライトさんに言いなさい。鍛冶屋に持っていってくれたのはあの人よ」
「でも、服はお母さんが作ってくれたんでしょ?すっごく嬉しいよ!」
「ふふっ。どういたしまして」
フォルナにお礼を言い改めて鏡の中の自分を見る。
そこにいるのは村娘ベリスでもグレスカンドの王女でもない。
明日から冒険者としての一歩を踏み出そうとする夢見る少女、ベリスだった。
「王家の家宝らしいから大切に使うのよ」
「う、うん...」
パライト曰くこの鎧はグレアリオ王家に代々伝わる家宝なのだという。
かつては顔も知らない祖父が使いそれを父が受け継いで魔王との戦いから父を守り続けた。
今度はその娘である自分が受け継ぐ番だ。
「シャル、お義父様。どうかベリスをお守り下さい...」
ブレストアーマーに手を当てたフォルナはここにはいない家族に祈りを捧げる。
「お父さん何か言ってた?」
「任せて!だって」
「あははっ!そっくり!...どうしたの?」
フォルナの視線に気付いて問いかける。
「ううん。シャルに似てきたなーって」
「お父さんに?」
「えぇ。シャルが女の子だったらこんな感じだったかもしれないわ」
「そうなんだ。みんなはお母さん似だねって言ってくれるよ?」
「そうなの?自分じゃわからないものね...」
そう言うとフォルナは右手をベリスの頭に伸ばして優しく撫で始めた。
「えへへっ...」
「この髪の色も青い目も全部シャルのものよ」
ベリスを撫でながら瞳を覗き込むフォルナ。
その瞳なら覚えている。
幼い頃の記憶に残っている父は相手の目をよく見て話す人だった。
一緒に遊んでいる時、冒険の話をしてもらった時、危険なことをして叱られた時。
父との思い出を振り返るとあの青い瞳も一緒に蘇る。
「ねぇ、お母さん」
「何?」
「そろそろ話して欲しいな。勇胤って何なの?」
撫でる手が止まり何かを考えるかのように黙り込む。
「もう子供じゃないよ」
ベリスの覚悟を受け取ったのかフォルナはテーブルに就くよう手で促した。
言う通りに座るとフォルナは真剣な眼差しをベリスに向ける。
「本当にいいの?幻滅するかもしれないわよ?」
「いいところしか見られないなんて家族じゃない」
「分かったわ...」
慈しむような笑みを向けた後、フォルナはゆっくりと語り始めた。
「全ては復興の手伝いをしていたシャルが王様に呼び出されたことから始まったわ」
「王様に!?」
「呼び出されたシャルは王様からこんな提案をされたの。魔物の脅威に備えるために多くの子を成してその血を残してほしいって」
「それで子沢山...」
「そんなの不誠実で人の道に反してるって最初は断ったそうよ」
「じゃあなんで受けたの?」
「将来を心配する気持ちが同じだったからよ。私達の約束のことは覚えてる?」
「村に戻ったら結婚しようって約束でしょ?もう聞き飽きたよ」
それが旅に出るシャルステッドがフォルナと交わしたという約束だ。
二人共その話を事あるごとにしてくるのですっかり覚えてしまった。
「引き受けたのはその約束を守るためでもあったの」
「どういうこと?」
「お貴族様や外国の王族にも求婚されてたって言えばわかるかしら?」
「あー...」
その言葉で完全に理解できた。
そういうことなら平民であるフォルナと結婚したいと思っても周りが許さないだろう。
「だから王様に条件をつけたの。最初の1人を自分で決めてその人と結婚するって」
「それでわたしが生まれたんだ...」
あの頃のフォルナが言ってた通りこれは子供の自分には理解できなかったかもしれない。
改めて今自分がここにいる奇跡に心の中で感謝するベリスだった。
「お母さんは...お父さんのこと好きだったの?」
「えぇ。大好きよ」
「じゃあ、どうして許したの?嫌じゃなかったの?」
余計なことを聞いてしまった...。
失言を後悔しているとフォルナがしばしの沈黙を経て口を開いた。
「嫌じゃなかったって言えば嘘になるわ。いい気はしなかったわね」
「じゃあどうして...」
「私が嫌なら断るって言ってくれたわ。でも、将来生まれてくる子供...あなたを守るためには必要だと思ったの」
「わたしを?」
「魔王を倒してもすぐに平和は戻らなかった。この村も若い男手はほとんど兵士に取られて残された私達は毎日のように怯えて暮らしてたわ」
「...」
昔は今以上に魔物の数が多く村から出て狩りに出るどころか木の実を拾うことすら一苦労。
更に盗賊等の外敵に備えて毎日が戦争のようだったと村の老人達から聞いたことがある。
「ピンと来ない?」
「えっ?...うん」
話には聞いていたがいまいち実感が湧かない。
魔王は恐ろしい存在だったと教えられてきたがそれはあくまで知識でしかないからだ。
「だからかな?シャルの血が欲しいって人達の気持ちも分かったの。魔王を倒せるほど強い人の子供なら自分達を守ってくれるかもしれないしね」
「お父さんすっごく強かったもんね」
生前のシャルステッドは村人の頼みでよく近辺の魔物退治をしていた。
ベリスが覚えている限り父が魔物退治で負傷したことは一度もない。
デッカグマだけでなくどこかから迷い込んできたオークの群れやオーガすら無傷で討伐してみせた。
魔物に怯える村人にとって父はまさしく勇者だったのだ。
「そんな子供が世界中にいれば強い魔物を倒してくれるし魔王が復活しても皆で力を合わせれば倒せるかもしれない。そうなれば私達も安心して暮らせるって思ったの」
「そっか...。大変だったんだね」
「そうね。大変だったわ」
激動の時代を生きた当人達にしか理解できない価値観があるのだろう。
数え切れないほどの勇胤を生み出した事実を知りながらもなお真っ直ぐな目で大好きだったと言える母の強さを再確認したベリスだった。
その話はここで終わり、取り留めのない話をしているとドアを叩く音が室内に響いた。
「誰かしら?」
「私が出る」
席を立ちドアを開ける。漆黒の闇が広がる外には人の姿どころか気配すら感じられなかった。
「誰だった?」
「誰もいないよ。風じゃ...」
風じゃない?
そう言い切らないうちに右腕を水平に上げ人差し指と中指を広げて後ろに向ける。
次の瞬間、広げた指が振り下ろされた木の棒を捉えた。
「見ずに取るとは...。相変わらず鋭い勘じゃのぅ」
「こんばんは。パラ爺」
真夜中の訪問者、パライトは木の棒を放り捨てると二人に向けて恭しく一礼した。
「王妃様、王女様。夜分遅くに拝謁する無礼をお許し下さい」
「こんな時間にどうしたの?」
「王女様。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
フォルナに視線を送ると快く頷いてくれた。家を出て家の裏手に回るとパライトがベリスに向かって跪く。
「いよいよ明日ですか。本当にご立派になられましたな」
「あ、ありがとう」
「老骨に鞭を打ち鍛え上げた甲斐がありました。今の貴女様であれば立派な冒険者となれましょう」
今夜のパライトは師匠ではなく近衛騎士として来たらしい。
それに気付いたベリスは咳払いをして背筋を伸ばし改めてパライトに言葉を贈る。
弟子のベリスではなくグレスカンドの王女として。
「パライト」
「はっ!」
「これまでの働き、誠に大義でした。今の私があるのは貴方達の尽力あってのもの。私達を影ながら支え見守って下さりありがとうございます」
「もったいなきお言葉...!身に余る光栄にございます」
「留守は貴方に任せます。お母様や村の皆様をどうかお守り下さい」
「はっ!その任、身命を賭して全う致します!」
ベリスの言葉を胸に刻み込むかのように深々と頭を下げるパライト。
赤ん坊だった父をファマリ村に連れてきてから今日までずっと傍で見守ってくれた忠義に報いられるものが言葉だけしかないのが心苦しい。
今はまだ何も渡せないが冒険者稼業が安定して金ができたら形に残る褒美を取らせよう。
旅に出る理由がまた一つ増えた瞬間だった。
「今宵は渡したきものがあって参りました」
そう言うと腰のベルトに挟んで持ち運んでいたものを抜いてベリスに差し出した。
それは五年前に見たあの王家の剣だった。
「これは貴女様の物でございます。どうかお納め下さい」
ベイアーが持っていた時のようなただの鉄の剣と遜色ないそれを手に取った。
...その時だった。
「...っ!?」
刃が眩いばかりの光を放ち輝き出したのだ。
あまりの眩しさに目が眩み危うく剣を取り落としそうになる。だが、抜き身の剣を手放しては危ないという思いが柄を握る手に力を与えてくれた。
どれほどそうしていただろうか。
光が鎮まるまで薄目で耐えているうちにようやく光が弱り周囲が元の静けさを取り戻した。
恐る恐る目を開けると予想だにしない変化が飛び込んで来た。
「綺麗...!」
ベリスが握っていた剣はほんの一瞬で大きく様変わりしていた。
市販の鉄の剣と何ら変わらなかった刀身はあの日と同じように見る角度によって色が変わる極彩色に染まっている。
変化は刀身だけではない。
柄頭には刀身と同じ色の丸い宝石が納まっており、飾り気がまるでなかった鍔には薄い皮膜と鋭い翼爪を持った何かの羽が大きく広げられた意匠が凝らされている。
その羽には見覚えがあった。ドラゴンの羽だ。
大きく姿を変えた王家の剣を天に掲げる。まるで木の棒を持っているかのように軽い。
「剣が本格的に主と認めたようじゃな」
掲げていた剣を下ろすと村人に戻ったパライトは一呼吸置いて話し始めた。
「心身共に強くなったお主を主と認めたことで新たなる権能を使えるようになったんじゃ」
「お父さんの剣もこんなだったの?」
「うむ。またこの姿を拝めるとは...。お懐かしゅうございます」
感極まったのか俯いて目頭を押さえるパライト。
「これで皆を守ってきたんだね」
「うむ。だからと言って陛下と同じ道を歩む必要はないぞ。今はお主が契約者じゃ。剣を振るう意味は己で考えよ」
「うん!...ねぇパラ爺」
「なんじゃ?」
「これって鞘とかないの?」
どんな名剣も抜き身では持ち運べない。
これほど立派な剣だ。さぞかし立派な鞘があるのだろう。
そんな期待を込めた視線を向けるもパライトの返答は思いがけないものだった。
「ない。というよりいらぬ」
「えっ?」
「剣を貸せ」
言葉の意味が分からず困惑しながらも言われた通りに剣を渡す。
パライトがそれを手に取ると剣は再び光に包まれ瞬く間に鉄の剣へと戻った。
彼はその切っ先をベリスに向け...
「逃げるでないぞ!」
「えっ!?ちょっ!?」
情け容赦ない刺突でベリスの胸を貫いた。
「っっっ!!?????...あれ?」
目の前で繰り広げられた凶行。その結果は予想とは全く異なるものだった。
剣で胸を貫かれる瞬間を見ていたにも関わらず刺されたはずの胸には痛みも出血もなく服すら破れていない。
この時点でおかしいことだらけなのだがそれ以上におかしいのは王家の剣だ。
先ほどまでパライトが持っていたはずの剣が忽然と消えてしまったのだ。
「剣は?」
「剣を持つ姿を思い浮かべてみよ」
「えっ?う、うん」
右手を軽く握りそこに剣を握る姿をイメージする。
イメージはあくまでイメージ。いくら思い浮かべたところで現実は何も変わらない。
しかし、現実は時に想像を凌駕する。
「えぇっ!?」
剣を持つ自分を思い浮かべたその刹那、剣はベリスの右手に納まっていた。
まるで最初からそこにあったかのような納まりの良さを見せる剣に戸惑うベリスにパライトはからからと笑いながら説明する。
「王家の剣に鞘はいらぬ。契約者が鞘となり体内にしまっておけるんじゃ」
「大丈夫なのそれ!?」
「うむ。陛下も前陛下も怪我一つなくピンピンしておったぞ」
「へ、へぇ...」
重さを感じずに持ち運べていつでもどこでも抜けるのは確かに便利だろう。だが、体内に剣が入っているというのはどうも落ち着かない。
「しまう時はどうするの?」
「体のどこかに押し込めばしまえるぞ」
試しに掌に押し付けてみる。
パライトの言う通り剣は掌に刺さらず底なし沼に沈んでいくかのように体内に潜り込んでいった。
最初はおっかなびっくりだったが異物感や痛みはない。
何度か出し入れを繰り返してみたが特に変わったところはなかった。
「最初はちょっと怖かったけど、慣れるとすごく便利だね!」
「陛下も同じ事を仰ってたのぅ。年を取ると帯剣も億劫でなぁ...。本当に羨ましい限りじゃわい」
「ありがとね。パラ爺!」
パライトにお礼を言い剣を胸にしまい込む。そして家に戻ろうとするベリスの背にパライトが小さく呟いた。
「最後の団欒になるやもしれぬ。心残りのないようにな」
「うん...」
「なんだったの?」
「お別れの挨拶だって。...ねぇお母さん」
「何?」
「今日、一緒に寝ていい?」
想定外の言葉に面食らったのかきょとんとした顔でベリスを見つめていたがすぐにふっと笑みを零した。
「うん」
「やった!」
この夜、ベリスはフォルナと一緒のベッドで身を寄せ合って眠った。
夜が明ければ一介の村娘だったベリスは冒険者ベリスとなってこの村を巣立っていく。
ベリスが憧れる冒険者はたやすい仕事ではない。
時には魔物や人間と命のやり取りをすることもあり最悪命を落とすこともある。
まさに明日をも知れぬ身だ。
だからこそ母と寝る夜を思う存分記憶に刻み付けた。
その匂いを、柔らかさを、温もりを...。
これが最後になるかもしれない母と過ごす夜は瞬く間に過ぎ去っていった。
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