1人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
勇者の娘 ②
「どうぞ」
淹れたばかりのお茶をテーブルに就いたベイアーとベリスの前に置くフォルナ。
ベリスは複雑な面持ちでベイアーを見る母にただならぬ気配を感じていた。
所在なさげにお茶を眺めているとベイアーが咳払いして話を切り出した。
「フォルナさんと...えっと」
「ベルナリスです!」
「お二人は5年前のカヌレリア侵攻を覚えていますか?」
「...っ!?」
その言葉にフォルナの表情が強張った。ベリスもその事件のことはよく知っている。
父が命を落とした最後の戦いだからだ。
今から五年前。
カヌレーニュ王国の中心である王都カヌレリアに魔王軍の残党が勢力を結集させて侵攻するという事件が起きた。
これを迎え撃ったのはカヌレーニュ王国軍と勇者シャルステッド、そして彼を支えたかつての仲間達だった。
壮絶な戦いは一昼夜続き魔王軍残党はほぼ壊滅した。
...数多の兵士とシャルステッド、そしてその仲間達の命と引き換えに。
「先のカヌレリア侵攻で各地に潜伏していた魔王軍残党を壊滅させることに成功しました。しかし、その代償はあまりにも大きかった」
「...」
カップを握るフォルナの手がわずかに震えているのに気付く。
「我々は救国の英雄、シャルステッド様とその仲間達を失いました。今日まで平和に暮らせてこれたのはその犠牲あってのものだと思っています。...ですが、状況は予断を許さなくなってきました」
「どういうことですか?」
「近年魔物達の動きが活発化していることに気づいた我々は調査を重ねカヌレリア侵攻を逃げ延びた魔王軍残党が再び勢力を盛り返そうとしていることを突き止めました」
「っ!?それは本当なんですか!?」
フォルナは向かい側に座るベイアーにテーブル越しに詰め寄った。
ベイアーが静かに頷くとフォルナは力が抜けた人形のように椅子にへたり込んだ。
「お母さん!」
「大丈夫...大丈夫よベリス」
笑顔を浮かべて気丈に振舞っているがその表情は青ざめ声も震えている。
とてもではないが大丈夫には見えない。
そんなフォルナの様子などお構いなしにベイアーは話を続ける。
「これを打倒する方法はないかと模索していた私達はシャルステッド様が生まれ故郷に己の剣を遺してきたことを知りました。フォルナさん。何かご存知ありませんか?」
「...」
フォルナはベイアーから目を逸らしテーブルの下でスカートの裾を力強く握り締めていた。
それに気付いたベリスは勢いよく立ち上がり母を守るようにベイアーの前に立ちはだかる。
「帰って下さい!」
「えっ?」
「お父さんの剣?そんなの見たことも聞いたこともありません!だから早く帰って下さい!」
息を荒げながらベイアーを睨みつける。
何故ここまで怒っているのか自分でも分からない。分からないが彼の物言いがどうにも我慢ならなかった。
ベイアーが言っていることは正しいのだろう。
だが、いくら正しかろうと母を悲しませるような無遠慮で配慮の欠片もない物言いを許すことはできない。
「ベリス!!」
押し潰されそうなほど重苦しい沈黙が家の中を支配する。
「...っ!」
フォルナは力なく立ち上がると日用品が納められた棚へと移動する。
そして棚に置かれたカンテラを開け、横に置いてあった火打ち石で中の蝋燭に火をつけた。
火がついたカンテラの蓋を閉じて持ち上げたフォルナはふらふらとした足取りでドアの前に向かい、肩越しに二人を振り返った。
「付いてきて下さい」
記憶の中の父はいつも笑顔を絶やさない人だった。
いつも自分のことより家族や村の皆のことを優先し何かを頼まれたら率先して引き受けるような強くて優しい自慢の父親だった。
ベリスはそんな父が大好きで父も惜しみない愛情を注いでくれた。
そんな父と遊ぶのが大好きだったが一番好きだったのが冒険の話だった。
自分の目で見てきた土地や人々の話、人から伝え聞いた話。
聞けばいつでも話してくれる非日常の話が何よりも楽しく、それを話す父の楽しそうな顔も大好きだった。
「ここです」
フォルナの先導でやって来たのは村の周囲を囲む森の中にある洞穴だった。
大きな岩肌にぽっかりと開いた洞穴は魔物の口のようで一寸先も見えない暗闇にベリスの背筋に冷たいものが走る。
フォルナはカンテラを掲げながら中に入り、二人もそれに続いて洞穴に入る。
外から見るとどこまでも続いているような不気味さを感じた洞窟だったがいざ入ってみるとすぐに行き止まりへと到達した。
あるのは岩を削り出したような無骨な壁面のみ。フォルナはカンテラを地面に置き行き止まりの壁を手で触り始めた。
「確かここに...」
その様子を不思議そうに眺めているとやがて変化が訪れた。手が触れた壁が大きく沈み込み、それに呼応するかのように地鳴りが洞穴の中に響き渡る。
「地震!?お母さん!」
「じっとしてて!」
慌てて駆け寄ろうとするベリスをフォルナが手で制する。その言葉に立ち止まると止めた理由がすぐに分かった。
フォルナとベリス、ベイアーの間にある地面の一画が引き戸のように開き始めたのだ。
地鳴りのような音は地面が開ききると同時に止み、二人の目の前には人が一人通り抜けられそうな地下へと続く階段が現れた。
「えぇっ!?」
「仕掛け扉ですか」
「ここを降ります。足元に気をつけて下さい」
仕掛けが発動したことを確認したフォルナは階段の前で一度立ち止まり、意を決したように降りていった。
ベリスとベイアーもそれに従ってゆっくりと階段を降りる。下へ下へと続く階段は夜の暗さも相まって一寸先も見えないほどの黒に塗り潰されていた。
まるで奈落の底に繋がっているかのような錯覚に陥る階段もついに終わりを迎え、階段が平坦な石畳へと変わる。
ここはどこなのか?
その疑問は三人を出迎えるかのように迸った光によって解決した。
「...っ!!」
朝焼けのような眩い光に目が眩み咄嗟に腕で光を防ぐ。少しして目が慣れてきたところで腕を下ろしてその光景を見た。
「わぁっ...!」
ベリスの目に飛び込んできたのは自分の家が二つは入るんじゃないかと思うほどの広い空間とその中央に鎮座する台座、そしてそこに突き刺さった剣だった。
光はあの剣から放たれているらしい。
「これがシャルステッド様の...」
「出征の前日、主人はここに剣を封印しました。万が一のことがあったらこの剣を使って欲しいと」
「何故剣をここに?これがあれば命を落とすこともなかったのでは?」
「それは分かりません。...ベイアーさん」
ベイアーをまっすぐに見据えて言葉を投げかける。
その目には強い意志と覚悟が宿り、先ほどまでの弱々しさはすっかり成りを潜めていた。
「この剣を何に使うつもりですか?」
「無論、魔物を討伐するためです」
「あなたが使うんですか?」
「私の仲間が使います。剣の腕が立つとても優秀な人間です」
「分かりました。...ベリス。剣を抜いてベイアーさんに渡して。あれはあなたにしか抜けないわ」
「えっ?うん...」
自分にしか抜けない?
どういうことかは分からないが頼まれた以上やるしかない。
剣に恐る恐る近づきついに手が届く地点に到達する。
パラポンのおかげで剣には慣れているが抜き身の剣が放つ威圧感は木剣のそれとは比にならない。
刀身には錆一つなく、つい昨日ここに刺したと言われても信じそうなほど可憐に煌いている。
「...」
大きく深呼吸をして柄に手をかける。
初めて持った本物の剣。
柄の太さは特訓で振っている木剣とほぼ同じで違和感なく手に馴染んだ。
両手で柄を持って腕と腰に力を込め...
「やぁっ!!」
一気に抜き放つ。剣は畑の野菜よりもすんなりと引っこ抜けた。
「おぉ...」
ベイアーが感嘆の声を上げる。ベリスは呆気なく抜けた剣を呆然と眺めていた。
これがお父さんの剣...?
初めて見る本物の剣は絵本に出てくる騎士が持っているような豪奢な飾りがついた派手な剣とは程遠い飾り気のない簡素なものだった。
剣とは縁遠い人生を送ってきたベリスにはこの剣と優しかった父がどうしても結びつかない。
「これが勇者の剣...。市販のそれと大差ありませんな」
歩み寄ってきたベイアーは顔を近づけてしげしげと剣を観察する。そして大仰に両手を前に出した。
「剣を渡してただけますか?」
「これがあれば魔物をやっつけられるんですよね?もうあんなことが起きないんですよね?」
「はい。この剣が希望になります」
剣に視線を落としてしばし考える。
兵士でも勇者でもない自分が剣を持っていてもどうしようもない。
母を悲しませたベイアーのことは嫌いだがこの剣を正しく使ってくれるならそれができる人の手にあった方がいい。
「分かりました...。お願いします」
逡巡の末に剣を差し出された彼の両手にそっと置いた。
受け取ったベイアーは深く頭を下げて剣の柄を握る。伏せられた口元が悦楽に歪んだことにベリスとフォルナは気付かなかった。
「さぁ。早く戻りましょう」
「お待ち下さい」
カンテラを掲げ来た道を戻ろうとするフォルナをベイアーが引き止めた。
その声に妙な胸騒ぎを覚えたベリスは足早に母の前に立つ。
「一つだけやり残したことがあります」
「なんでしょうか?」
フォルナが答えた次の瞬間、ベイアーはこつ然と姿を消していた。
「っ!?」
音と気配のする方に視線を下げる。
消えたと思ったベイアーは恐るべき速度でフォルナの懐に潜り込んでいた。
そして両手で柄を握って剣を振り被り...
「試し斬りですよっ!!」
一切の躊躇なく振り下ろした。
「お母さんっ!!」
それは文字通り無意識での行動だった。
剣がフォルナの柔肌を切り裂かんと迫る。その一瞬でフォルナの体を突き飛ばし、倒れ込むようにして斬撃を回避。
剣は空を切り、倒れ込んだベリスは石畳で強かに打った痛みに顔をしかめながらベイアーを睨みつける。
「いたたっ...。お母さん大丈夫!?」
「えぇ。ありがとう...」
「何するんですか!?」
「流石は勇胤...。この程度は造作もないというわけか」
「ぶれい...がりあ?」
「だが、強くてもここはお粗末だな」
空いた左手の人差し指で自分の頭をコツコツと軽く叩く。
二人を見下しせせら笑う彼は先ほどまでのベイアーとはまるで別人だった。
「忌々しいシャルステッドの家族がどんなものかと思ったが、親子揃って間抜けで助かった」
「騙したのね...!」
フォルナは低く唸るような声を上げながらベイアーを睨む。
当の本人はそんなものはどこ吹く風と侮蔑の笑みを見せる。
あまりにも突然の変貌に頭が追いつかず困惑のあまり視界がぐらりと歪む。
だが、目の前には武器を持った敵がいる。
勢いよく頭を振り意識をベイアーに集中させる。
「貴様らにもう用はない」
そう言い残すと踵を返し闇の中に溶け込むように逃げていった。
追いかけなきゃ!!
駆け出そうとしたベリスの足は背後から聞こえた何かが落ちる鈍い音によって押し止められた。
振り返るとフォルナが力なく地面に倒れ伏し嗚咽を漏らしていた。
「お母さん!?」
慌てて駆け寄って抱き起こす。
「どうしたの!?」
「...さい。ごめんなさい...シャル」
「えっ?」
「私の、私のせいで...!うぅっ!ああああああっっ!!」
両手で顔を押さえて泣き始めたフォルナ。
いつも優しくて胸が温かくなるような笑顔を向けてくれる母が悲しみに肩を震わせ嘆き悲しんでいる。
その姿を見ているだけで張り裂けそうなほどの痛みが胸を穿ち、目元が熱を帯びてくる。
気の効いた言葉なんて言えるはずもなくただ黙ってフォルナを抱き締める。
泣き止むまで傍にいてあげたいがそんな時間はない。
「わたしが行く」
「...えっ?」
「わたしが剣を取り返してくる。だから待ってて」
抱き締めていた腕を解いて今できる精一杯の笑顔を見せる。
フォルナは呆けたようにこちらを眺め、やがてその意味に気付いたのかベリスの服の袖を力強く握り締めた。
「駄目!殺されるわ!!」
「でも、このままじゃ逃げられちゃう」
「あなたに何ができるの!?あんな人に勝てるわけないじゃない!」
「...」
勝てるわけない。そんなことはわかりきっている。
「全部私のせいよ。私がなんとかするから今は一緒にいて」
「違うよ」
「えっ?」
「剣を抜いたのはわたし。お母さんだけのせいじゃない」
自分の胸に手を当ててそう言い放つとフォルナは縋りつくように迫ってきた。
「お願いよベリス...。お願いだから言うことを聞いて。あなたまで失ったら私は...私は...!」
悲痛な泣き声を漏らしながらベリスの腕を抱き締め泣き縋る。
母のことを思うならここで夜を明かして改めてベイアーの行方を追うべきなのかもしれない。
ベリスとしてもこんな状態の母を放っておくことはしたくなかった。
けど、それはできない。
母のためにも今ここであの男を止めなければならない。
「...ごめんなさい」
フォルナの拘束から腕を引き抜く。力強く抱き締められていた腕は驚くほどあっさりと抜けた。
そしてベイアーが去っていった方を一瞥し今出せる全力を持って追跡を開始する。
「嫌ぁっ!行かないで!ベリス!ベリスぅーーーーっっ!!!」
その背に縋りつく母の声を振り切るように。
最初のコメントを投稿しよう!