惜別の朝 ②

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惜別の朝 ②

それがつい昨日のことだ。 「ベリスちゃーん!お茶入ったわよー!」 「はーい!」 畑仕事が一段落して淹れてもらったお茶と余ったパンの切れ端で束の間のティータイムを満喫する。 変わらない日常、穏やかな時間が流れていく代わり映えのしない風景。 つい先日まではそれが変わることなく続いていくと思っていた。 だが、自分が思う当たり前は想像以上に脆く儚かった。簡単に奪われ崩れ去るものなのだと思い知らされた。 またベイアーのような敵が襲ってくるかもしれない。そうでなくとも魔物や盗賊に襲われる可能性はどこまでも付いてくる。 この日常がいつか誰かに壊されるかもしれない。そう考えたら冒険者なんて暢気なことは言っていられない。 それに... 「わたしには何もないから...」 「ん?何か言ったかい?」 「ううん!なんでもないよ!」 言葉を飲み込むように少し冷めた紅茶をぐっと飲み干す。 ほんのりと暖かい紅茶は少し肌寒くなってきた秋口の風で冷えた体を優しく温めてくれた。 何を思い何をしていようとも時間は関係なく過ぎ去っていく。 あの事件から一ヶ月近くが経ち、村では越冬の準備が進められていた。 四方を森に囲まれたファマリ村は冬になると厳しい寒さに見舞われる。 それを乗り越えるために早いうちから越冬の準備をしておくのだ。 「よいしょー!...うん!お母さん!生地できたよ!」 「ありがとう。一緒に成形しましょう」 「うん!」 ベリスの家も例外ではない。今は来る冬に備えて保存食のパンを作っているところだ。 小麦や雑穀などを混ぜて作った生地を小さく千切って成形する。 小さな頃からやっていたのでその手つきは慣れたもの。手元を見ずに雑談を交わしていてもできるほどだ。 パン生地を成形する間、二人は様々なことを話した。 最近あった出来事、この間拾った変わった木の実のこと、昨日初雪が降ったこと。 生地を捏ねながらの雑談は思った以上に弾み、話題は瞬く間に尽きた。 話すことがなくなってきたところでベリスはずっと黙っていた秘密を打ち明ける決心をした。 「お母さん」 「何?」 「わたしね、冒険者になりたかったの...」 神妙な面持ちでフォルナの目を見ながら静かに告げる。それを聞いたフォルナは目を丸くしてしばし唖然としていたがすぐにいつもの調子に戻った。 「知ってたわ」 「そうなの!?」 「だって、あんなに楽しそうに外の話を聞いてるんだもん。あなたは間違いなくシャルの子よ」 「お父さんもそうだったの?」 「えぇ。子供の頃から冒険もののお話が大好きで外から来た人にもしつこいくらい聞いてたわ」 「なんかかわいいね」 「ふふっ、そうね」 二人は顔を見合わせてくすりと微笑む。 その辺りでパン生地の成形は終わり、次は拾った木の実を干す作業に入る。 腐っていたり虫が食っている木の実を選り分けていると横で木の実を糸に括り付けていたフォルナが声をかけてきた。 「なりたかったってことは今は違うの?」 「うん」 「どうして?」 「あんなことがあったんだもん。皆を置いて行けないよ...」 選り分けた質の悪い木の実を見ながら拳を堅く握る。 未練がないと言えば嘘になる。 だが母や村の皆を放って冒険者になるほど薄情にはなれない。 「だから決めたの。わたしはずっとここで暮らすって」 「ベリス...」 「大きくなって結婚して子供を産んで...。お婆ちゃんになるまで皆を守って生きていく。それもいいかなって」 「本当にそれでいいの?」 「うん。わたしには理由なんてないから...」 「理由?」 ベリスの言葉に首を傾げるフォルナ。 「お父さんは魔王を倒すために旅に出たんでしょ?でも、私にはそんなすごい目的なんてない...」 自分には旅に出る明確な理由がない。 それはずっと前から思い悩んでいたことだった。 父は魔王を討つべく旅に出て様々な所を巡った。 煌びやかな王都や魔物の侵攻で破壊された村、炎の川が流れる山、海に浮かぶ氷の大陸...。 そんな胸踊る冒険の話をベリスが聞けば嫌な顔一つせず話してくれた。 その話こそベリスが冒険者を志したきっかけだった。 だが、冒険者に憧れいつか旅立つ日を夢見るうちに気付いてしまった。 自分には旅に出なければならないほどの理由がないのだと。 「...」 フォルナは笑うことも怒ることもなく静かに話を聞いてくれた。 「どうして話してくれたの?秘密にしてたんじゃないの?」 「うん。でも、諦めたからいいかなって」 「そっか...」 納得したように頷くと大きく手を広げベリスを抱き締めた。 「わぁっ!...えへへっ」 小さな体をすっぽりと包む母の温もりと心安らぐ香りに安寧を覚え肩に頬擦りして甘えてみる。 フォルナはそれを快く受け入れてくれた。 「シャルはね、最初から勇者だったわけじゃないの」 「そうなの!?」 「あなたと同じように外の世界に憧れる普通の子だったわ。いつか旅に出て世界を見て回りたいっていつも言ってたっけ」 幼なじみだった母から語られる父の姿。 それはこれまで思い描いていた父とはまるで違うものだった。 「そして大きくなったシャルは旅に出たの。外に出て世界を見て回るって」 「魔王を倒しに行くんじゃなくて?」 「えぇ。でも、皆はシャルを放っておかなかった」 「どういうこと?」 ベリスから手を離したフォルナは再び木の実に糸を括り付け始めた。 「自分の生まれを知って魔物に怯える人達を見てきたシャルは家族の仇を討って皆を救うために魔王と戦う道を選んだの」 「それで勝ったんだよね!」 フォルナは静かに頷いた。 「えぇ。でも、本当に大変だったのはそこからだったわ」 「どうして?魔王は倒したんでしょ?」 「だからこそよ。魔王を倒せるくらい強い人を誰も放っておかなかったの。色んな人に力を貸して、あんなことにも協力して...自分の考えだけで生き方を選べなくなってしまったの」 「そんな...」 初めて聞く父の真実に愕然としたが心当たりがないわけでもない。 時折村に帰ってきていた父は畑仕事の手伝いや魔物退治等で皆から引っ張りだこでとても忙しそうだった。 それが世界規模ともなれば息つく暇もないほど大変だろう。 「強い人には誰だって頼りたくなるし助けて欲しいって思うものよ。どれだけ嫌がってもきっと逃げられるものじゃないと思うわ」 そう言ってベリスに向き合うと両手をベリスの肩に軽く乗せた。 「あなたにもきっとそんな日が来る。あなたはシャルの娘だもの。大きくなったら皆に頼られる強くて優しい子になると思うわ」 「...」 「だからやりたいことを遠慮しちゃダメ。その日が来るまで目一杯楽しんじゃいなさい」 「...やっぱりダメ。皆を置いていけないよ。それに、もうお母さんを置いていきたくない」 「大丈夫。皆あなた1人に全部押しつける気はないみたいよ」 「...?」 「私のことも心配いらないわ。あの時のいなくなるとは状況が違うもの。ベリスがうちを巣立ってもどこかで楽しく生きててくれるならすごく嬉しい」 そしてまた胸に抱き寄せ暖かく抱き締めてくれた。 「世界を巡るすごい冒険者になりなさい。夢を諦めたシャルの分までね」 「...っ!うん!!」 その思いに応えるかのように力を込めて抱き返す。 力が強すぎたのか苦しいと言い始めたところで慌てて手を離した。
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