惜別の朝 ③

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惜別の朝 ③

翌朝。 ベリスは軽快な足取りでパライトの家へと向かう。するといつもは静まり返った家の方から賑やかな声が聞こえてきた。 「...?」 不思議に思い歩を早める。声の正体はすぐにわかった。 「えいっ!やぁっ!とぅっ!!」 「軸がブレておるぞ!一振りたりとも疎かにするでない!」 「はいっ!」 それはミデルを始めとした村の子供達だった。 パライトの師事を受けて木剣を素振りする子供達をぼんやりと眺めているとミデルが素振りをしながら話しかけてきた。 「おはよう!ベリ姉ちゃん!」 「おはよう!何してるの?」 「パラ爺ちゃんに剣を教わってるんだよ!ベリ姉ちゃんだけに任せられないからな!」 「どゆこと?」 「此奴らも村を守りたいそうじゃ」 「おはようパラ爺!今ちょっといいかな?」 「...よい面になったな」 何を言いに来たか分かっているのだろう。 パライトは底意地の悪い笑みを浮かべながらベリスの言葉を待っていた。 ベリスは左手を固く握って胸の前に置きパライトをまっすぐ見据えて宣言する。 「私、冒険者やめるのをやめる!お父さんが見れなかった分まで世界を見て回りたいの」 「ほぅ...」 「だからお願い!私にもっと剣を教えて下さい!!」 両手をお腹の前で組んで勢いよく頭を下げる。 それを見ていた子供達もベリスの下に集まってきた。 「ベリ姉ちゃんも剣やるの!?」 「じゃあ僕ら先輩だね!」 「ちゃんと先輩って呼ばなきゃダメだよベリちゃん!」 「あははっ...ど、努力します」 集まってやいのやいのと話し出す子供達。その対応に追われているとパライトは可笑しそうに大笑いした。 「はっはっは!!そこまで言うなら仕方ない!このわしがみっちり稽古をつけてやる!」 「...っ!はい!よろしくお願いします!!」 「剣も王女教育も手は抜かぬ故覚悟せい!」 「はい!...えっ?王女?」 「お主にやらせていた冒険者になる特訓。あれは王女に相応しい淑女を育てるための特訓じゃ」 その特訓なら確かにやってきた。 読み書き計算に始まり地理や歴史等を覚える特訓。 ここまではまだまともだった。問題はここからだ。 変な鎧を装備して本を頭に乗せて歩く特訓、正しい手順で食器を使わないと毒になる食べ物を食べる特訓、他の冒険者に舐められないようにするためのお茶の作法... 数え上げるとキリがない珍妙な特訓の数々が脳裏を過る。 「あれが!?」 「騙し騙しでやらせておったがこれからは本腰入れて学ばせねばのう」 「待ってよパラ爺!私がなりたいのは冒険者!王女じゃないよ!」 「弟子が口答えするでない!剣も教養も極めて損はなかろう!」 「それはそうだけど...」 「えっ!?ベリちゃん王女様になるの!?」 「スゲー!!」 「えっと、やっぱりなしで...ううん。なんでもない」 弟子入りしたことを早速後悔するも後の祭り。 楽しそうに談笑する子供達に囲まれながらこれからの日々に頭を抱えるベリスだった。 これがきっかけとなりそう遠くない未来に村人の教育、教養水準が異様にずば抜けた村が誕生することになるのだがそれはまた別の話。 それからの日々は筆舌に尽くしがたい過酷な特訓の連続だった。 基本の素振りと体力作りはまだましだった。 父のような丈夫な体に生まれたベリスにとって体力勝負はそこまで苦ではなかったからだ。 そのおかげでパライトの教えを即座に吸収し物にすることができた。 問題は王女教育だ。 やること成すこと全てが謎だらけの作法を覚えたり会話を合わせるための知識を身につけたりと剣の稽古以上に苦難の連続だった。 このためだけに村を出てグレアリオ王家に仕えていたというパライトの知り合いのもとでやること全てが作法の勉強という生活をすること二年。 最終テストと称して仮面舞踏会に参加させられたこともあった。 そこで顔も知らない友達ができたがその時の様子はいつか語ることにする。 毎日が学びと修練の連続だった日々はあっという間に過ぎ、パライトに弟子入りしてから実に五年もの月日が流れた...。 アメレア暦1420年2月 厳しい冬も少しずつ翳りを見せ春の足音が少しずつ近づいてきた頃。ファマリ村付近の森で数年ぶりの危機を迎えている者達がいた。 「Guuuuuuuu!!!」 白い靄のような息を吐き底冷えする唸り声を上げながら眼前の獲物を見据えるデッカグマ。 デッカグマは冬になると春まで冬眠をする習性を持つ。しかし、時折冬眠に失敗して早く目覚めてしまう個体が現れる。 そういった個体は往々にして気性が荒く凶暴で目についた生物を見境なく攻撃しようとする。 そんなデッカグマに見つかってしまったのは人間の子供達だった。 一人は剣を抜いてデッカグマと対峙する少年。そしてもう一人はそんな少年の背に隠れて震えている小さな少女。 「ミデル兄ちゃん...」 少女が自分を庇う少年に声をかける。少年、ミデルはそれが聞こえていないかのようにデッカグマから視線を外さない。 迷い込んだ森でデッカグマに襲われてから早五年。 ベリスや同年代の子供達と一緒にパライトから剣術を教わっていたミデルはあの頃の無力な少年の面影がないほどの成長を遂げていた。 ただ震えて怯えるだけだったミデルは大切な物を守る為に剣を抜ける男になれたのだ。 「アンナ...。俺の背に乗れ」 「う、うん...」 アンナと呼ばれた少女は言われた通りミデルの背に乗り首に手を回す。 それを確認したミデルは剣を納めた。 「俺さ、ベリ姉ちゃんからいいこと教わったんだよ」 「いいこと?」 「勝てなかったら...」 そこで言葉を切って勢いよく踵を返す。 「逃げる!!!」 そして雪が残る地面を蹴ってデッカグマから逃げ出した。虚を突かれて一瞬固まったデッカグマだったがすぐさま追走を開始。 かくして二人と一匹による逃走劇が幕を開けたのだが... 「や、やっぱ無理ぃーーーーっ!!」 「兄ちゃん!?」 早くも敗色濃厚だった。 修行を積んだはいいものの自分は平凡な人間。五年前の時点で自分を背負ったまま木に登ったり木々を跳び回っていたベリスとは地力が違い過ぎる。 「うおおおおおおっっ!!!」 力を振り絞って走るも距離は徐々に縮まっていく。 そして勝機と見たのかデッカグマが地面が抉れるほどの力で大地を蹴って跳びかかってきた。 「た、助けてーー!ベリ姉ちゃーーーんっっ!!」 今ここにいないであろう相手に助けを求めるが当然返事はない。跳びかかったデッカグマは距離を縮めて二人に...追いつけなかった。 「はぁっ!!」 背後から聞こえる聞き覚えのある声。固い物を殴りつけるような鈍い音。 何かが倒れ木にかかった雪が落ちたことに気付いたミデルは足を止めて振り返る。 視線の先には信じられない光景が広がっていた。頭に大きなタンコブをこさえて横たわっているのはミデルでは倒すことも逃げることもできなかったデッカグマ。 木剣を携えそれを見下ろすのは猪の毛皮で作られた上着をはためかせる白茶色の髪の女性。 「べ...」 「ミデル、アンナ。怪我はない?」 「「ベリ(お)姉ちゃーーーんっ!!」」 ミデルとその背から降りたアンナは窮地を救ってくれた恩人、ベリスに一目散に駆け寄り跳びつくようにして抱きついた。 「ありがとうベリ姉ちゃん!」 「ありがとう!」 「うん。無事で良かったよ」 二人を受け止めたベリスは抱き締める両手で二人の頭を撫でる。 五年の間にミデルはベリスの背をわずかに越えた。肩を上げて頭を撫でる手に少し誇らしさすら覚える。 成長したのはベリスも同じだ。 修行の邪魔だからと髪を切り、肩まであった髪は首筋にわずかにかかるほどに短くなっている。 それだけでも大分印象が変わったが背が伸びて体つきが丸みを帯びてきたことで大人の女性のシルエットに近づいていた。 修行のおかげで手足や腰などはほっそりと引き締まり彼女の母であるフォルナに似た美人へと成長を遂げていた。 それでも変わらないものはある。 前よりもずっと甘くて清涼感のある匂いを纏うようになったがわずかに香る草と土の匂いは昔のままだ。 「情けないな、俺...」 「えっ?」 抱き締められていたミデルは無意識に呟いた。 しまった...! つい口走ってしまったことを後悔するも時既に遅し。話して欲しいというベリスの視線に負け、ベリスの手を離れて話し始める。 「あの時はベリ姉ちゃんが助けてくれただろ?でも、俺は助けるどころか逃げることもできなかった。情けないよな...」 これまで何もやってこなかったわけではない。 修行という名の無茶振りを死ぬ思いをしながら何度も乗り越えたりベリスから読み書きや計算を教わったりと力をつける努力を重ねてきた。 今では同年代の子供達と一緒に教える側としてアンナのような小さい子供達を教導している。 だが、できないことができるようになったからこそ分かるようになる壁もある。 ベリスが一撃でのしたデッカグマがいい例だ。 歯を食い縛って修行した自分では手も足も出なかった怪物をベリスはいとも簡単に倒してしまった。 その現実に無力感を覚え強く両の拳を握る。 その様子を見ていたベリスはふっと笑みを零すとアンナを抱き上げ再びミデルの頭に手を置いた。 「違うよ」 「えっ?」 「アンナが助かったのはミデルのおかげ。ミデルは命の恩人だよ」 「ベリ姉ちゃん...」 「強くなったね。ミデル」 「...っ!!へへっ!だろっ?」 「うんうん!ミデル兄ちゃんすっごく逃げ足早いんだよ!もうびゅーん!って!」 「逃げ足って言うな!」 「あははっ!」 和気藹藹と雑談に花を咲かせながら村へと帰還する。 村に帰ると皆があの日のように三人を暖かく出迎えてくれた。 両親に抱きついて泣きじゃくるアンナを見ているとあの日の自分を思い出す。あの日と違うのはアンナの両親に感謝される側になったことだろう。 村に帰れてほっと胸を撫で下ろすミデル。 だが、ベリスだけは違った。 村に帰った途端真剣な顔つきになって広場へと向かったのだ。 「...」 その横顔を見た瞬間アンナを助けるのに夢中で忘れていたあることを思い出した。 「そういや今日って...」
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