人生移行屋

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 生まれながらにして選ばれし人間は、確かに存在している。  「見て、東条さんよ。」  「流石だわ、歩いているだけでお美しい・・・」  「あ、こちらに微笑まれたわ!」  戦前の旧財閥系の一家にして、戦後の日本復興を中心となり支え、現代経済の屋台骨を担う存在。それが東条家。そんな東条の長女にして、才色兼備、文武両道の女子高生を地で行くのがこの私、東条美紀。  校内を歩くだけで周囲はざわつき、存在だけで相手を惹きつける。はっきり言って、これは私が自分で手に入れた能力ではない。たまたま生まれ持ってしまっただけなのだ。  「ただいま帰りました。」  「お帰りなさいませ、美紀お嬢様」  屋敷に戻った私は手に持っていたカバンをメイドに手渡し、そのまま自室へ向かう。  「・・・ふう。」  私は多くを持った存在としてこの世に生を受けた。しかし、それらを手放さずにいるには、それなりの努力が必要だ。手早く着替えを済ませ、勉強机へ向かう。返却された定期考査を見比べ、一番点数の低い古典の解答用紙を数秒間見つめた後、その解答用紙をカバンへ戻し、生物の教科書に手を伸ばした。  「頂きます。」  18時30分。いつも通り夕食の時間にダイニングへ向かう。メイドが運んでくる料理を、正面に座る母と共に手を付ける。  「美紀さん。定期考査の結果はいかがかしら。」  数秒間沈黙と共に動きを止めた私だったが、すぐに笑みを浮かべて答える。  「はいお母様。全く問題ありませんでした。」  「全く問題がない、ね・・・」  母はどこからともなく一枚の紙を取り出し、鋭い視線を紙に落とす。  「この古典の数字を見ても、あなたは全く問題がないと言うのね。」  「それは・・・でも前回より点数をあげていて、理系科目を含めた総合では学年一位を取って」  「言い訳は聞きたくありません。」  僅かに反抗的な態度を示した私をぴしゃりと遮る。  「いいですか。東条の歴史は日本の歴史です。東条の長女であるあなたが、高校という小さな箱の中ですら言葉の歴史に触れる古典で一番になれないというのは、東条の家に泥を塗る行為であると毎回口酸っぱく教えているはずです。それなのにあなたは・・・」  「・・・申し訳ございません。お母様。」  こうなることはわかりきっていたというのに、のうのうと問題ないと反応してしまった自分の浅はかさに嫌気が差す。  「あなたは女なのですから、数学や物理を出来すぎる必要などないのです。寧ろ理系科目に強すぎ女性は、本来あるべき女性らしさを損ねます。教養として歴史を知り、正しく美しい言葉を操るようになることこそがあなたに求められているのです。  「はい、お母様。」    翌日学校へ着いた私は、靴を履き替えるために下駄箱を開ける。  「・・・また、か。」  内履きの中に数個の画鋲を確認する。私は静かに靴の中から手のひらへ移し、クラスへ向かう。  「・・・」  自分の席に座ると、意味ありげな視線をこちらに送って来る一人の人物が入れ替わるようにクラスの外へ出ていく。  これは呼ばれているな。  一度ため息を吐いた後、私は立ち上がりその女を追いかけた。  「東条さん、わざわざ追いかけてきて何の用かしら?」  「・・・内山さん。これはお返しします。」  手のひらを返し、手に持っていた画鋲を地面へ落とす。  「あら、一体何のこと?」  「とぼける必要もないでしょう。この画鋲にはあなたの名前が書いてありましたもの。」  「へえー。東条家のご令嬢ともなれば、目に見えないものまで見えるようになるのね。」  「当然でしょう。こんな短絡的で自己主張の強いプレゼントの送り主はあなただけですもの。誰でもわかりますわ。」  挨拶代わりの皮肉の打ち合いを一通り終え、私は目つきを変えて問いただす。  「考査が終わる度にこんな陳腐な嫌がらせをするのは、一体どういう了見なの?」  私の態度に呼応するように、内山もあからさまに攻撃的な声色を発する。  「あなたが私の提案に乗ってこないからよ。」  「はあ?」  呆れたように聞き返したことが、内山の怒りを助長させた。  「いいから私に理系科目を譲りなさいよっ!」  身勝手な叫びが二人しかいない教室に響く。  「毎回毎回、あなたは私に見せつけるように理系科目で学年一位になっていく・・・私が医者の家系とも知らずに。」  「ええ、あなたの血筋なんてこの私が知る訳ないでしょ。」  「それは前に教えたわ!」  身勝手さに拍車がかかり、もはや言い返す気力も起こらない。  「いつも定期考査の結果を家族に見せる度、女子しかいないのに一番になれないのはあり得ないと責め立てられる。だから私はあなたに文系科目の一位を譲る代わりに、理系科目を一位を譲ってほしいとお願いした。でもそれをあなたは断った!」  「当然でしょ。私とてそんな都合よく点数を調整できるほど器用じゃないはないわ。」  「・・・何でも上手にやれるのに、施しを与えるのは苦手なのね。」  静かに呟いた内山の言葉が、今までのどの台詞よりも癪に障った。  「今の言葉、どういう意味よ・・・ねえ、どういう意味よっ!」  思わず興奮した私も大きな声を上げてしまう。そんな私と対照的に内山は、俯いたまま沈黙を破るために数秒を要した。  「・・・あなたはいいわよ、美人で家柄も良くて、勉強もスポーツも出来て人当たりもいい・・・私には勉強しかないの。女である私を家族に認めさせるためにも、友人を繋ぎ止めるためにも、私には勉強しかない・・・いいじゃない、一つくらい譲ってくれたって・・・」  ぽたぽたと、涙が頬を経由せずに直接地面に落ちていた。そんな内山を、私は突き放す。  「はっきり言って、あんたみたいな人間の妬みにはもう慣れっこなの。そんなので同情は誘えないわ。悔しかったら実力で私を抜きなさい、こんな下らないことをしている暇があるならね。」  私は足元の画鋲を軽く蹴った後、自分のクラスへと戻った。  帰り道の車の中。私はぼんやりと空を眺める。  今日の一件、内山の気持ちがわからない訳ではなかった。自分の得意分野と求められている分野が違い、出た結果に対して向けられる近しい人間の冷たい目線というものは、心にダメージを残すには十分過ぎる攻撃性を孕んでいる。  一方で、だからこそ正々堂々と実力で挑んで来てほしい。私が内山のような行動に出ていないからこそ、同じ土俵で真正面からぶつかってきて欲しかった。ましてや、勉強以外の話題を持ち出して同情を誘うなんて、絶対に許せなかった。  「・・・」  一体いつになれば、私の努力を評価してくれるのだろう。  私は多くを持った存在としてこの世に生を受けた。だけど、生まれた時に持ったものをこぼさずに持ち続けているのは、紛れもなく私の努力だ。勉強も人間関係も容姿も、磨くための努力は怠らなかった。だけど周りはそれを生まれ持ったものと考え、誰も生まれてからの私に目を向けようとはしない。  「いっそ普通の人間になれれば、努力を評価してくれるのかな。」  血筋も美貌も何もかも捨てれば、今の私を見てくれるのかな。そんな考えが頭をよぎった瞬間だった。  「じゃあ変えてみますか?」  「きゃっ!」  いきなり隣で男の声がする。  「どうも、人生移行屋です~。」  葬式に出るかのような黒いスーツ黒いネクタイに身を包んだ、案外若そうなひょろっとした男が、能天気に自己紹介をした。  「ちょっとあなた・・・さっきまでそこには誰も・・・」  まずどの疑問から解決をするべきか、そんな初歩の段階で身動きが取れなくなった私に、男は変わらず能天気に続けた。  「お嬢様ってのも案外大変なんすよねー。いやーわかりますよ、そんな感じの映画とかアニメめっちゃありますし。庶民になって自由になりたい的な?・・・その割には誰も気遣ってくれないんすよねー。金持ちで勉強も何でも出来て、しかもお客さんの場合はえらい美人さんってボーナスポイントまで付属してる。そうもなれば、まあ七人に五人くらいはお客さんに嫉妬するでしょうねえ。」  未だ状況が飲み込めず困惑する私に、男は思い出したかのように補足事項を口にする。  「あ、安心してください。ドライバーさんには私見えてませんし、お客さんの狼狽した様子も見えてません。」  「そ、そこじゃないです!」  困惑を吹き飛ばすように声を張り上げた私は、男にもっとも根本的な疑問をぶつける。  「一体あなたは何者なんですか?」  「あれ、さっき言いませんでしたか?」  男はとぼけ顔で頭をかき、一から説明を再開する。  「私は人生移行屋です。美人お嬢様人生に辟易した様子のあなたに、極めて一般的な人生への移行プランをお持ちしました。」  「人生、移行屋?」  「そうです、人生移行屋です。」  この状況を私に理解させるためのものとして、男の説明と提案はお世辞にも親切なものとは言えなかった。  「何を言っているのか理解出来ないわ・・・人生を移行させるって、そんなこと出来る訳がないでしょ?」  「うーん、出来るものは出来るとしか言えないっすけど、まあ信じられないならそれはそれでしょうがないか。」  思いの外あっさりと引き下がりそうな男を、何故か私が引き止める。  「ちょっと待って、あなたにお願いをすれば本当に人生が変わるの?」  「ええ。しかも初回は一週間の体験コース付きですから、元の人生の方が良かったって場合は、一週間後に何事もなかったように元通りになれまっせ・・・まあプランはこちらでお持ちしたものだけですけど。」  この男の話がどこまで本当なのか。いや普通に考えれば普通な訳がないのだが、当然動いている車の中に何もない所から現れ、この常軌を逸した会話に一切ドライバーが反応していないことからも、この男が異常であることは十分わかっていた。  「・・・気に入らなければ、一週間で元に戻れるんでしょ?」  「はい、もちろんです。」  「わかった。申し込むわ。」  私の言葉に、男はニヤリと口角を上げた。  「美紀ー、起きなさいー・・・遅刻するわよ。」  聞きなれない声を感じ取り、勢い良く上半身を起こす。  「・・・随分安い布団ね。」  辺りには六畳ほどの、見慣れないはずなのに既に親しみを感じる狭い部屋の景色が広がっている。  「ちょっと、本当に遅刻するわよ。」  ノックもせずに勢い良くドアを開け、一人の女性が部屋へ入っている。その見たこともない女性のことを、一瞬で自分の母であると認識をする。  「はい、お母様。今行きます。」  普段と同じように返事をしたつもりが、その言葉遣いに母と思われる人物は目を見開いて驚いている。  「なにあんた、まだ寝ぼけてるの?」    「いってきます。」  朝食を済ませ、家を出る。そこは全く知らない街であったのに、学校への道のりもここで生まれ育った感覚も時の経過と共に全てが湧き上がってくる。  「美紀ー、おはよー。」  「あ、おはようござい・・・うん、おはよ。」  通学路で声をかけてくる人たちは、みな知らない顔であるはずなのに、すぐに相手との関係性が把握できた。  それは学校に着いてからも変わらない。  「うわー次数学だ・・・だる。」  「しかも今日小テストだよ。」  「はあ、最悪じゃん。」  私の周りで話をする二人、髪が長いのが優菜で、眼鏡をかけているのが絵美。特に自己紹介をされた訳でもないのに、すぐに理解をした。  「美紀は勉強してきた?」  「え、あ、うん。多分・・・」  「多分ってなによ。」  「優菜、美紀が勉強してくる訳ないでしょ?」  そう言って二人は笑う。  もちろんこの小テストのために勉強はしてないが、一介の公立高校の小テスト、しかも得意の数学ともなれば、私がわからないはずがない。少なからずそんな自信が頭の中にはあった。  しかし、そんな自信は一瞬にして崩壊する。  「はい、それじゃ始め。」  テストに並んだ計算式は、全て見たことがあり、昨日まではいとも簡単に解けていたことはわかるのに、今は全く理解が出来ない。どこをどう計算するのか、どれだけ頭の中を絞り出そうとしても浮かんではこない。  「はい、そこまで。」  結局、昨日まで敵として認識すらしていなかったような相手に歯が立たないまま、テストは終わった。  「うわーまじで終わった。」  「点数悪い奴追試って言ってたよね?」  優菜と絵美が感想戦を行っている横で、私は自然と一人の男の子に目を奪われる。  「・・・き?ちょっと美紀。聞いてる?」  「え?」  優菜に肩を叩かれ、思わず視線を二人に戻す。  「この子、まーた横山くんに見惚れてたよ。」  「そうねえ、横山くんとのデート今週末でしょ?そりゃあテストどころじゃないよ。」  え、絵美は何て言った?今週末にデート?男の人とデートなんて、人生で一度も・・・  それからというもの、常に横山を意識し続けて学校を過ごし、あっという間に週末がやってきた。  「今日は誘ってくれてありがとう。じゃあ、行こうか。」  どうやら今日は私のみたい映画に横山を誘ったようだった。近くの映画館に二人で入ると、その目当ての映画は話題作のようで、席はほとんど埋まっていた。私と横山は事前にネットで買ったチケットで入場をする。  映画館など前の人生で来たこともなければ、ネットで何かを買ったこともない。だけど、全てが滞りなく進んでいく。  「映画、面白かったね。」  今までの人生であれば、何の琴線にも触れなかったような恋愛映画に、妙な気持ちの高揚感を引き起こされた。その事実に若干の不快感を抱きながらも、二人で近くのカフェに入り少し遅めの昼食を取る。そして映画館に併設された商業施設を見て回っては、買い物やゲームセンターなどを満喫する。  「今日は楽しかった。ありがとう。」  あっという間に時間は過ぎて、夕陽に照らされた横山が私に別れを告げようとする。  「ま、待って。」  今までに感じたことのない感情は、どうしても私の中で抑えることが出来なかった。  「私、横山くんのことが好きです。私と付き合って、また今日みたいに遊んでくれませんか・・・?」  ただただそのまま、胸に浮かんだ気持ちを言葉にする。しばしの沈黙の後、横山は口を開く。  「・・・ごめん、俺他に好きな人がいるんだ。」  静かにそう告げると、横山が背を向けて駅へ向かった。その背中を見送った後、私は耐えられなくなってその場に泣き崩れた。  人生を移行したこの一週間、私にとって刺激的で楽しい側面がある一方で、こんなに屈辱的な気持ちになるとは思わなかった。  ただの公立高校の授業が理解出来ない。理解しようと何度教科書と格闘をしても、生まれるのは睡魔だけで、中学生の時に知っているはずのことすら呼び起こすことは出来ない。面子だけでなく、純粋に好きな気持ちがあった理系科目がわからなくなるのは、大切なものを奪われた喪失感に襲われる。  そして自分の感情を冷静に制御も出来ず、暴走をしては、男に惨めに振られていく。この人生でなければ、もっと計画的に行動が出来たはずなのに、自らの手綱すら握ることが出来ていない。  まさか、ここまで自分が変わることが苦痛だとは、想像が出来ていなかった。  「いかかでしたか?」  背後からの声かけに振り返ると、そこには人生移行屋の男が立っている。  「今回のプラン、ご満足頂けましたか?もし満足頂けたのであれば、正式契約を致しますが・・・?」  満足?こんな惨めな庶民の生活なんて二度とごめんだわ。そんな啖呵が喉元まで上がってきたその直後、男は口を開く。  「どうです、この人生も辛いでしょ?・・・結局、生きることなんてどの道辛いんすよね。」  今までのように飄々としながらも、どこか体重の乗った言葉を男は続ける。  「でも忘れないで下さい。今までの人生も、お試しで移行してきたこの人生も、辛いのはあなたなんです。お嬢様が辛い訳でも庶民が辛い訳でもない、実際に辛い思いをしているのはあなたなんです。だからこそ、この移行はチャンスなんです。結局どっちも辛いなら、あなたが本当に欲しいものを見定めて下さいね。」  男の言葉に、私は改めてこの一週間を振り返る。  この人生の両親は遠慮なく私に踏み込んできては、私の知らない暖かみを与えてくれた。優菜や絵美は、私を下の名前で呼んでくれた。男の人とデートなんて、今までの人生なら絶対にあり得ないことだ。まして、自分で相手を選ぶなんて。  ここで出会った誰しもが、私を東条の長女ではなく美紀として扱ってくれた。そんな期間は、生まれてこの方一度としてなかった。  生まれた時に持っている沢山のものを守る人生に帰るのか、何も持ってはいないけど、これから沢山のものを手に入れるチャンスのある人生を続けるのか。  「私は、私は・・・」  さあ、あなたはどちらになりたい?      
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!