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カフェ料理店『ビストロB&C』
その玄関扉にCLOSEの看板を引っ下げ、本日のお務めを終了する。
「ん?」
カウンター席で熱心にお絵描きをしていた娘が突っ伏していることに気付いた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
先ほどまで煩いくらいに独りでピーチクパーチク話していた。
その時にはまるで思わなかった感情が、じんわりと胸打つのだから、親と言うのは困ったほどに身勝手だと思う。
その愛おしさに、俺は小さな頭をそっと撫でた。
この店を始める以前、俺は大手商社に勤めていた。
海外出張が頻繁で、家庭をまるで顧みていなかったツケは、ある日突然に三下り半となって返って来た。
それがもう五年前のことになる。
以来、元妻は一度も娘に会いに来ることなく、連絡もない。
当時二歳だった娘は、もう母親の顔を覚えていないかもしれない。
「こんなところで寝ていると、風邪引くぞ」
娘は眠気眼で、俺を見つめた。
久しぶりに抱っこしてやろうかと手を広げたが、その手はあっさりと袖にされてしまう。
「やだ、パパのココア飲んでから」
「ダメだ。虫歯になるぞ」
話題を変えようと、娘の描いていた手元を覗き込んだ。
描いていたのは王子さまのようだ。
「上手じゃないか」
「これね、レイちゃんだよ。だから金髪なの」
レイちゃんとは、三年前からうちで働いてくれているスタッフのことだ。
てっきり染めているのかと思っていたのだが、どうやらフランス人の血が曾祖母に混じっているとのことで、ハニーブラウンは地毛だと言うから驚きだった。
どおりで少しばかり日本人離れした端正な面差しだと思っていたのだが、納得がいく。
「ねぇ、パァパァ、ちゃんと後で歯磨きするからぁ……」
一度言ったことを覆すのは良くないだろうと、俺は首を横に振った。
「そのレイちゃんが、明日の朝ご飯にフレンチトーストを仕込んでおいてくれているから、今日のところは早く寝なさい」
「ケチっ」
近頃すっかり小生意気に成長しつつある娘に圧されながらも、俺は居住スペースになっている二階に追い立てた。
テレビを点けっぱなしにしていたのか、リビングから音声が漏れ出ている。
娘はしまったという顔で、上目遣いに俺を見た。
怒っていないことと、次からは気を付けることを、頭を撫で付けることで伝える。
独りで待っているのは寂しかったのかもしれないと思えば叱れないし、忘れてしまったことは仕方がない。
その代わりと言っては何だが、『しっかり歯磨きはしろよ』と、念押しする。
娘は今度こそは素直に頷いた。
「パパもすぐに行くから――」
タイムリーに流れてきたそのCMにハッとする。
部屋に戻る娘を見届け、俺は尻ポケットに挿し込んであった薄い財布に手を当てた。
「確か今日だったよな……」
財布から取り出したのは一枚の宝くじだった。
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