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俺がカリー倫敦を出た時も、冬らしい澄んだ空気に包まれる中で店の外には、まだまだ長い列ができていた。店がいかに繁盛しているかの証拠だ。
「あら?」
並んでいた女性から声を掛けられて、俺は目を瞬く。
「え? ああ──!」
志乃さんだ。友達と一緒にいる。
「こんにちは、志乃さん」
「こんにちは。お一人で食事ですか?」
「ええ、まあ、はい」
間者のようなことをしていたなんて言えない。
「カリー倫敦は学校でも噂になっているんですよ。まさかこんなに人が並んでいるなんて思いもしませんでした」
志乃さんの通う学校でもか。カリー倫敦の存在感恐るべし。にしても、彼女達は流行に敏感だなあ。
「──近いうちに月と宝石にも行きますね」
他愛ない会話なのに志乃さんの一言が、温かく胸に沁みた。
「ありがとうございます」
月と宝石に帰ると、珈琲の香りが店内に溢れていて安堵した。カリー倫敦にはなかった香りだ。
「四郎さん。お疲れ様でした」
店内には数人だけお客がいて、景子さんが厨房で珈琲を淹れている。一杯の珈琲を飲みに月と宝石を訪れてくれることが、不思議と嬉しい。しかし今日も繁盛しているとはいえず、一日の売り上げは昨日よりも落ちていた。お客が皆帰ってから、景子さんにカリー倫敦のことを話す。
「食後に珈琲を出しているとなると、やはりうちにカリー倫敦のお客さんを呼び込むのは難しいですね。カリーの食後に甘いお菓子と珈琲を考えてもいましたが、わざわざうちに足を運ぶ必要がありませんから」
ちょうど向かいに月と宝石という美味しい珈琲と甘い西洋菓子を出す店があるというのに、現実は厳しい。景子さんは考えてながら、とんとんと指で卓(テーブル)を叩く。
「ああ──そういえば、志乃さんにお会いしましたよ」
「まあ、志乃さん! 最近はお見かけしていませんね」
「友達と一緒でした。あ、それで──近いうちに月と宝石にも行きます、と」
先ほどまで暗い表情をしていた景子さんだったが──。
「ふふ。嬉しい。うちは常連さんに支えられていますね。もっと頑張らないと」
表情が温かい微笑みに変わった。
「俺も月と宝石のために良い案を考えます。一緒に頑張りましょう、景子さん」
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