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珈琲を待っている間、城島さんは落ち着いているように見せながらも実は落ち着いていないのではないだろうかという様子だった。煙草を吸えない珈琲店に慣れていないのだろう。卓上をトントンと指で叩いている。楽器を演奏するように、指が忙しく動いている。
「お待たせしました。本日の珈琲です」
城島さんは白磁の器に淹れられた珈琲を見ると「黒曜石のようだ」と驚いていた。
「では早速一口いただきますか」そう言って珈琲を啜ると眉をひそめる。
「ちょっと君」
手招きをされて「はい」と城島さんの傍へ。
「おたく、珈琲豆はどこの国のものを使っているの?」
ひそひそ話をするように訊ねられた。別に内緒話をする内容ではないのに。
「伯剌西爾です」
「ぶ、ぶらじる?」
俺の顔を珈琲を交互に見て「え。本当に伯剌西爾なの?」と念を押される。
「はい」
「そうかぁ。うちも伯剌西爾の珈琲豆を使っているが、風味が全然違う……」
それから城島さんは独り言を言いながら、珈琲を完飲した。椅子から立ち上がり、会計が終わり扉を開ける直前にこちらを振り返った。
「では。お達者で。アデュー!」
満足そうに何だか楽し気に店を出て行った。
「あ……あでゅう?」
「仏蘭西語でさようならという意味ですね」
「へ、へえ。そうなんですか。嵐のような人だったな」
営業時間後に今後のカリー倫敦に対抗する策を改めて考えることとなった。
「城島さんが珈琲を誉めてくれたのは嬉しいですね」
「はい……」
「それでやはり──うちは珈琲が中心ですから。カリー倫敦のように主な料理を提供したところで、お客さんに受け入れられるとは思えないんですよ」
「確かに、言われてみれば……」
「とはいえ、新しいものは出していきたいところです。今提供しているものが、西洋菓子なので、逆をついて甘くない食べ物が良いのですがね」
クッキー、フィナンシェ、マドレーヌ──どれもこれも景子さんと先代の店主の人脈で仕入れている。
「気軽に食べられる物──片手に珈琲、片手に食べ物……うーん」
珈琲の相棒を思い浮かべるが、頭に甘いお菓子が浮かんでは消える。
「カリーも匙で掬って食べるから、片手で食べられるんですよね。そこまで気軽ではありませんが」
「カリー……ライス……逆をつく……あっ!」
閃いた。ライスの逆だ。
「逆をつく。パンはどうでしょう?」
パン。そうだ、パンがあった。カリーは温かいライスの上に乗っている食べ物だ。逆をついてパンはどうだろうか。
「パンなら甘いパンも塩気のあるパンもあります。珈琲ともきっと合うはずです」
「有りですね」
沈黙していた景子さんが口を開いた。その後の景子さんの行動は速くて、前掛けを目にも止まらぬ速さで身に着けて厨房へと向かっていった。厨房から調理道具を探す荒々しい音が聞こえてくる。
「景子さん、大丈夫ですか?」
厨房にいる景子さんに声を掛けると、鉄鍋を握りしめた彼女は「大丈夫ですよ」と笑って答えたのだ。
「四郎さん。私、思いつきました。四郎さんがパンの話をした際に……」
「えっ」
「カリーパンですよ」
景子さんの瞳は輝いていた。
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