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夜空は厚い雲に覆われていた。風が吹くたびに雲はゆっくりと流れていき、雲間から少しだけ三日月が顔を覗かせている。外は静かだったが店内は打って変わって、明るくて景子さんも俺もカリーパンの調理に夢中だった。
景子さんは落ち込むどころか、嬉々として困難を乗り越えていく。
鉄鍋にバターを溶かして、玉ねぎを炒める。次に細かい牛肉を炒めたいところだが生憎今は手元にないため蛙肉を代用する。蛙肉を細かく切って、蛙と分からないように、試作品とはいえ俺が気になるものだから徹底的に細かく切る。この細かい蛙肉も炒めて肉に色が付いて火が通ったのを目視で確認する。最後の工程となる小麦粉とカリー粉を加えて、まんべんなく火を通す。
──いい匂いだ。これでパンの中身であるカリーの具が完成した。
「具はまだ熱いので、少し冷ましましょう」
「はい。あの、景子さんは休んでください。パン生地は俺が作りますから」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて少し休みますね」
俺はパン生地の準備に取り掛かる。
パン作りは意外と地味な力仕事だ。景子さんには休憩してもらい、俺は小麦粉の生地を捏ねて伸ばしていく。パン生地は個々が均等な大きさになるように楕円形に整えた。
「食べやすい形だとこんな風かな……」
上出来かもしれない。
パン生地の中にカリーの具を詰めていく。ここから再び景子さんにも厨房に入ってもらった。形を整えたら油で揚げていく。もうすでに深めの鉄鍋に油を適量入れて中火で熱していたから、油は温まっている。カリーの具を詰めたパンを慎重に、慎重に、勢いつけて落とさないように、油に入れる。
片面がきつね色になるまで揚げ、裏返して両面が均等に揚がるように。パンを揚げていると、食欲をそそる心地良い音が厨房に広がり、パンの表面からは小さな気泡が立ちのぼった。
「おっ。いい感じだ。こんがりきつね色になった」
熱々のカリーパンが完成した。
「初めてなので……どんな味がするのか緊張しますね」
肉は蛙なんだよな──いいや。それは考えないようにしよう。
「凄くいい匂いで、食べるが楽しみです。早く食べましょう」
俺は出来上がったばかりのパンに齧りつく。パンの衣はサクサク、中身はしっとりした甘辛いカリーの風味が口の中に広がった。
「美味しい!」
初めて食べる揚げパンがとても美味しくて声を上げる。
「不思議な感じですね。カリーライスがパンになるなんて」
景子さんはパンの味を噛みしめていた。今まさにカリーパンの誕生したのだ。
珈琲との相性は……どうだろうか。
「珈琲とカリーパン、合いますよ!」
「良かったです」
景子さんがはにかむ。
これまで未知だったカリーパン。そのカリーパンが店で提供されるこの日、俺は浮足立っていた。
「四郎さん。そわそわしすぎですよ」
「すみません。落ち着いていられなくて」
「私もです」
景子さんはお客さん達を厨房から眺めていた。うっとりと、本当に嬉しそうな表情で。
結果は大成功だった。
カリーパンは月と宝石の名物になった。
だが──文明開花の世は、あっという間に先駆者を過去の人にしてしまう。カリーパンと珈琲の裏でまた新しいものが生まれていたのだ。
太陽が沈む。
頭上に重たげな黄昏が覆い被さる。彼女が腕を伸ばすと、この場所が押し潰されないように一人で空を支えているようだった。
珈琲とカリー 完
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