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第10話 幻のこだま
桜の開花は年々早くなっているらしい。いつのまにか咲いて、あっという間に散る。
マンションの近くのコーヒーショップで彼は人を待っていた。通りの向こうは大学のキャンパスで、柵の上から桜の木が道に枝を伸ばしている。満開をすぎた花びらが雪のように舞っていた。
誓はまだあらわれない。バーで会った年上の男と彼はその後ものんびりしたつきあいを続けていた。セックスも二回した。時間をかけた優しい交わりだった。
誓は生活や思考に余裕のある楽観的な人物だった。彼は誓を好きになっていた。誓は彼からやすやすと本音を引き出す。意見があわずに口論をすることもあるが、一緒にいるだけで安らげて、楽しい気持ちになれる相手だ。最初に会った時にみっともないところを晒したので、これ以上格好をつけられなかった、というのもあった。
彼より八歳年上で、これまで真面目につきあった相手もいたようだ。でも「マサキ君ほどじゃないけど、ぼくも嫌なことはあったから」と漏らしたこともあり、彼はそれを聞いて逆に安心した。
空は春特有のかすんだ色をしていた。コーヒーは半分ほど空になっている。
暇つぶしにスマホを取り出そうとして、ふと、桜の枝の下に立つ若者の一団に目がいった。大学生だろうか? 連れだって横断歩道をこちらに渡ってくる。
その中のひとりが彼の目を引いた。背が高く肩幅があって――ジャケットにトートバッグ――
胸のあたりがきゅっと縮まるのを感じた。
大洋?
まさか。では、夏生――?
若者は隣を歩く女性に話しかけている。彼はまばたきした。夏生のようにみえた顔は一瞬で、まったくべつの、見知らぬ人物にとってかわった。
遠目の勘違いだ。でなければ、いまだに忘れられない心に映った、ただのまぼろし――
「マサキ、遅れてごめん」
声が呪縛をやぶった。ふりむくと誓がコーヒーカップを片手に立っている。
彼はほっと息を吐いたが、誓は不思議そうにたずねた。
「どうしたんだ、変な顔して。何かあった?」
彼は首をふった。
「何も。待ちくたびれただけだ」
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