第5話 侵される

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第5話 侵される

 金曜の夜だった。彼は駅のコーヒーショップで待っていた。ガラス窓からみえる景色は電飾と広告、そしてさまざまな服装をした人々でいっぱいだ。郊外への乗換駅だけあって、今の時刻は彼のような勤め人も多いが、これから遊びに繰り出そうとしているような若者もいる。  夏生が入ってきたのはすぐにわかった。向こうが彼に気づいたのも。視線を向けられたとたん、空気が左右に切り分けられるような気がした。夏生は今日も薄いコートを来てトートバッグを持ち、注文もせずに彼の席までやってくる。 「成海さん」 「座って。話をしよう」 「ここでは無理です。うるさすぎます」  夏生はガラスの向こうを指さした。 「行きましょう」  彼は首をふった。 「僕はここがいい」  夏生はトートバッグを持ち上げていった。 「本当にいいんですか?」  畳みかけられて、彼は立ち上がった。  たしかに駅の周辺はひどく騒がしい。金曜の夜ともなるとどこも混んでいて、静かに話せる喫茶店などないに等しい。夏生はどんどん歩いていく。彼は急いでついていったが、途中で行先を察してしまった。ホテル街だ。  男のふたり連れでも夏生に臆した様子はなかった。彼の二歩前でとあるラブホテルの入口をくぐり、慣れた様子で機械を操作している。 「ラッキー。いい部屋が空いてます」 「夏生君」 「ここなら静かでしょう?」  声には断固とした響きがあった。  こんな相手には関わってはいけない。まだ遅くはない、引き返せばいい。なぜ引き返さない。内心ではそんな思いが渦巻いているのに、どうしてエレベーターに乗ってしまったのか。  まだ新しいホテルらしく、内装はしゃれていた。部屋に入るなり、夏生は真っ先に大きなベッドへ腰を下ろした。 「写っているの、あなたですよね?」  ポーカーゲームのように並べられた写真を彼は無表情でみつめた。  写っているのは若い男だ。今の彼より痩せていて、肉づきは悪いが肌には張りがある。全裸で、出来の悪いポルノのようなポーズをとっている。うつ伏せになっているもの、尻をつきだしているもの、シーツに顔を押し付けている横顔、さらに何もかもさらけだしている正面向きの写真。家庭用プリンターのインクも馬鹿にできない。月日が経ってもまだ鮮やかだ。  全部で五枚。 (これは永年保存しておくぜ)  もちろん彼は覚えていた。大洋は借りた金の話を持ち出すたび、この写真について話した。 「それで?」  凍りついたように夏生の前に立ったまま、彼はいった。自分でも意外なくらい冷静な声が出た。 「相手はおやじなんでしょう?」 「だから?」 「脅迫なんてしませんよ」  夏生は微笑んでいた。大洋にそっくりだ。そのとたん呪縛が解けた。 「返してくれ」  彼はシーツに並べられた写真に飛びかかろうとした――が、待っていたようにその手を取られ、押さえつけられた。ベッドの上でもみあいになって、彼は自分の筋力のなさに絶望した。四十代、中年太りしていなくてもこのざまだ。 「すごくいい写真なのにもったいない」  彼の足の上に乗った夏生が、くしゃくしゃになった写真をつまみあげて、どこかへ落とした。 「大丈夫ですから」 「夏生――」 「あの写真を撮った時って、どんな感じでした? あれ、おやじが撮ったんでしょ? そんなにラブラブだったの?」  スラックスのファスナーを下ろされる。布の上からやわやわと揉まれて彼の体は最初すくんだが、夏生の指が直接触れると自然に反応しはじめた。 「なつ――あっ、ああっ」 「脱いでください」夏生は命令口調でいった。 「あの写真めちゃくちゃエロいけど、今のマキさんも悪くないですよ」 「ふざけてな――」 「俺がふざけていると思います?」  舌が触れたとたん、彼は抵抗できなくなった。夏生の唇に包みこまれ、温くて柔らかな感触になぞられて足の力が抜ける。何度もキュっと吸いつかれて、腰が自然に浮き上がる。 「夏生君、あっ」  声が零れたとたんに舌先の愛撫は止まった。 「まだ嫌がってます?」 「やめ……」 「嫌じゃないんですよね? 脱いでくださいよ」  夏生は彼の足に体重をかけたまま服を脱ぎはじめる。Tシャツで隠されていた上腕や肩の筋肉があらわになるにつれ、彼は思わず唾を飲みこんだ。夏生はそんな彼を見逃さなかった。 「マキさん、来て」  言葉の調子はおとなしいが、実際にされたことは逆だ。夏生が力任せにシャツをひっぱるので、彼はあきらめてボタンを外した。痺れた足を引きずられて、今はもう浴室に連れこまれている。夏生はタイルの壁に彼を追いやると、背中にぴったりはりつくように立ち、上からシャワーを降らせた。  ぬるい湯とたくみな手のひらが肌を這い、彼の体に震えが走る。上を向いた雄が腰をなぞるのを感じる。と、背後から回った指に右胸の尖りを弄ばれた。 「……夏生くん、なぜ……こんなことを……」  彼はうめいたが、水音を背景にきこえる夏生の声は柔らかく、ほとんど優しいくらいだった。 「おやじはどんなふうにしました?」 「そんなの――」  忘れた、といいかけて、彼は唇を引き結ぶ。尻に回った指が繊細な部分を探ろうとしている。夏生はシャワーをとると、押し広げるようにして彼の中を洗いはじめた。股のあいだを流れていくぬるま湯を意識したとき、脳裏に大洋の声が蘇った。 (きれいにしとけよ。マキのここは俺のものなんだから) 「すごい、ゆるんできましたよ」  夏生がささやいた。中をさぐる指が敏感な部分に触れ、彼はびくっと体を震わせた。 「あっ、だめっ、」 「みつけた」  耳たぶに舌が絡んでくる。彼はひたいをタイルにおしつけ、懸命に刺激に耐えようとした。 「あっ、あん、」 「ああ、待ちきれないな。親と同じ年の男なんてないと思ってたけど、マキさんってほんと――」 「やめて、夏生君」 「いま? 嫌です」  シャワーの音が止まった。指が体から出て行き、彼はタイルにひたいをつけたまま息を吐いたが、中途半端に止められた愛撫は彼を完全に混乱させていた。バスタオルで背中を包まれただけでびくっと反応してしまう。夏生がふふ、と笑った。 「ベッドに行きましょうよ」  震える足に清潔なシーツは嬉しかったが、もたらされたのは安息ではなかった。うつ伏せにさせられた尻をぬめる液体が流れていく。夏生の指が彼の奥を弄るたびに、グチュグチュ、と水音が鳴る。 「あっ、は、はぁ、ああんっ」 「挿れますよ……」  ぐっと押しこまれた雄の感触は、最初こそ彼を圧迫したが、まもなくゆるんだ。 「ああ……締まってるのに奥はとろとろだ」  背中で夏生がささやいている。 「動いていい?」 「あっ、ああっ、や、ゆるして……」 「気持ちよさそうなのに?」  たしかにそうだった――彼の中を埋めた雄がズッと奥を突いたとたん、何年も忘れていた快楽が全身を満たし、頭の芯を痺れさせた。ずるっと半ばまで抜かれたと思うとまた奥を突かれ、そのたびに射精の感覚とは別の、いつまでも続く大きな波がやってくる。 「あっ、あああ、あん、あ、あ、あ、あ――」 「すご、いい……」  一度抜かれて、仰向けにされても、彼は夏生になされるがままだった。足を曲げられ、正面から入れられる。蕩けたような彼の体は雄をするすると飲みこんだ。 「ふふ、出してないのにイッちゃって」 「あっ、あっ、ん、はぁ、ああん」  自制をなくした唾液があごをつたう。快楽の波に洗われるまま意識が遠くへ運ばれていく。その果てで自分が何を口走ったのか、彼は覚えていなかった。 「たいよう――」  気がつくと、部屋にいたのは彼ひとりだった。  乱れたベッドから抜け出して、彼は乾いた精液で汚れた体を洗った。床にはコンドームがふたつ投げ捨てられている。彼は顔をしかめたが、内心ほっとしてもいた。そしてそんな自分に腹が立った。  床にすべり落ちた上掛けを持ち上げると、例の写真がこぼれおちた。彼はまた顔をしかめ、一枚ずつ拾った。五枚あった。  持ち帰らなかったのか。  彼は夏生の意図を考えまいとした。どんな可能性だって思いつけるが、今はそんな気力もない。ホテル代を精算して深夜の街を歩き、駅前でようやくタクシーをつかまえた。
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