204人が本棚に入れています
本棚に追加
第5話 侵される
金曜の夜だった。彼は駅のコーヒーショップで待っていた。ガラス窓からみえる景色は電飾と広告、そしてさまざまな服装をした人々でいっぱいだ。郊外への乗換駅だけあって、今の時刻は彼のような勤め人も多いが、これから遊びに繰り出そうとしているような若者もいる。
夏生が入ってきたのはすぐにわかった。向こうが彼に気づいたのも。視線を向けられたとたん、空気が左右に切り分けられるような気がした。夏生は今日も薄いコートを来てトートバッグを持ち、注文もせずに彼の席までやってくる。
「成海さん」
「座って。話をしよう」
「ここでは無理です。うるさすぎます」
夏生はガラスの向こうを指さした。
「行きましょう」
彼は首をふった。
「僕はここがいい」
夏生はトートバッグを持ち上げていった。
「本当にいいんですか?」
畳みかけられて、彼は立ち上がった。
たしかに駅の周辺はひどく騒がしい。金曜の夜ともなるとどこも混んでいて、静かに話せる喫茶店などないに等しい。夏生はどんどん歩いていく。彼は急いでついていったが、途中で行先を察してしまった。ホテル街だ。
男のふたり連れでも夏生に臆した様子はなかった。彼の二歩前でとあるラブホテルの入口をくぐり、慣れた様子で機械を操作している。
「ラッキー。いい部屋が空いてます」
「夏生君」
「ここなら静かでしょう?」
声には断固とした響きがあった。
こんな相手には関わってはいけない。まだ遅くはない、引き返せばいい。なぜ引き返さない。内心ではそんな思いが渦巻いているのに、どうしてエレベーターに乗ってしまったのか。
まだ新しいホテルらしく、内装はしゃれていた。部屋に入るなり、夏生は真っ先に大きなベッドへ腰を下ろした。
「写っているの、あなたですよね?」
ポーカーゲームのように並べられた写真を彼は無表情でみつめた。
写っているのは若い男だ。今の彼より痩せていて、肉づきは悪いが肌には張りがある。全裸で、出来の悪いポルノのようなポーズをとっている。うつ伏せになっているもの、尻をつきだしているもの、シーツに顔を押し付けている横顔、さらに何もかもさらけだしている正面向きの写真。家庭用プリンターのインクも馬鹿にできない。月日が経ってもまだ鮮やかだ。
全部で五枚。
(これは永年保存しておくぜ)
もちろん彼は覚えていた。大洋は借りた金の話を持ち出すたび、この写真について話した。
「それで?」
凍りついたように夏生の前に立ったまま、彼はいった。自分でも意外なくらい冷静な声が出た。
「相手はおやじなんでしょう?」
「だから?」
「脅迫なんてしませんよ」
夏生は微笑んでいた。大洋にそっくりだ。そのとたん呪縛が解けた。
「返してくれ」
彼はシーツに並べられた写真に飛びかかろうとした――が、待っていたようにその手を取られ、押さえつけられた。ベッドの上でもみあいになって、彼は自分の筋力のなさに絶望した。四十代、中年太りしていなくてもこのざまだ。
「すごくいい写真なのにもったいない」
彼の足の上に乗った夏生が、くしゃくしゃになった写真をつまみあげて、どこかへ落とした。
「大丈夫ですから」
「夏生――」
「あの写真を撮った時って、どんな感じでした? あれ、おやじが撮ったんでしょ? そんなにラブラブだったの?」
スラックスのファスナーを下ろされる。布の上からやわやわと揉まれて彼の体は最初すくんだが、夏生の指が直接触れると自然に反応しはじめた。
「なつ――あっ、ああっ」
「脱いでください」夏生は命令口調でいった。
「あの写真めちゃくちゃエロいけど、今のマキさんも悪くないですよ」
「ふざけてな――」
「俺がふざけていると思います?」
舌が触れたとたん、彼は抵抗できなくなった。夏生の唇に包みこまれ、温くて柔らかな感触になぞられて足の力が抜ける。何度もキュっと吸いつかれて、腰が自然に浮き上がる。
「夏生君、あっ」
声が零れたとたんに舌先の愛撫は止まった。
「まだ嫌がってます?」
「やめ……」
「嫌じゃないんですよね? 脱いでくださいよ」
夏生は彼の足に体重をかけたまま服を脱ぎはじめる。Tシャツで隠されていた上腕や肩の筋肉があらわになるにつれ、彼は思わず唾を飲みこんだ。夏生はそんな彼を見逃さなかった。
「マキさん、来て」
言葉の調子はおとなしいが、実際にされたことは逆だ。夏生が力任せにシャツをひっぱるので、彼はあきらめてボタンを外した。痺れた足を引きずられて、今はもう浴室に連れこまれている。夏生はタイルの壁に彼を追いやると、背中にぴったりはりつくように立ち、上からシャワーを降らせた。
ぬるい湯とたくみな手のひらが肌を這い、彼の体に震えが走る。上を向いた雄が腰をなぞるのを感じる。と、背後から回った指に右胸の尖りを弄ばれた。
「……夏生くん、なぜ……こんなことを……」
彼はうめいたが、水音を背景にきこえる夏生の声は柔らかく、ほとんど優しいくらいだった。
「おやじはどんなふうにしました?」
「そんなの――」
忘れた、といいかけて、彼は唇を引き結ぶ。尻に回った指が繊細な部分を探ろうとしている。夏生はシャワーをとると、押し広げるようにして彼の中を洗いはじめた。股のあいだを流れていくぬるま湯を意識したとき、脳裏に大洋の声が蘇った。
(きれいにしとけよ。マキのここは俺のものなんだから)
「すごい、ゆるんできましたよ」
夏生がささやいた。中をさぐる指が敏感な部分に触れ、彼はびくっと体を震わせた。
「あっ、だめっ、」
「みつけた」
耳たぶに舌が絡んでくる。彼はひたいをタイルにおしつけ、懸命に刺激に耐えようとした。
「あっ、あん、」
「ああ、待ちきれないな。親と同じ年の男なんてないと思ってたけど、マキさんってほんと――」
「やめて、夏生君」
「いま? 嫌です」
シャワーの音が止まった。指が体から出て行き、彼はタイルにひたいをつけたまま息を吐いたが、中途半端に止められた愛撫は彼を完全に混乱させていた。バスタオルで背中を包まれただけでびくっと反応してしまう。夏生がふふ、と笑った。
「ベッドに行きましょうよ」
震える足に清潔なシーツは嬉しかったが、もたらされたのは安息ではなかった。うつ伏せにさせられた尻をぬめる液体が流れていく。夏生の指が彼の奥を弄るたびに、グチュグチュ、と水音が鳴る。
「あっ、は、はぁ、ああんっ」
「挿れますよ……」
ぐっと押しこまれた雄の感触は、最初こそ彼を圧迫したが、まもなくゆるんだ。
「ああ……締まってるのに奥はとろとろだ」
背中で夏生がささやいている。
「動いていい?」
「あっ、ああっ、や、ゆるして……」
「気持ちよさそうなのに?」
たしかにそうだった――彼の中を埋めた雄がズッと奥を突いたとたん、何年も忘れていた快楽が全身を満たし、頭の芯を痺れさせた。ずるっと半ばまで抜かれたと思うとまた奥を突かれ、そのたびに射精の感覚とは別の、いつまでも続く大きな波がやってくる。
「あっ、あああ、あん、あ、あ、あ、あ――」
「すご、いい……」
一度抜かれて、仰向けにされても、彼は夏生になされるがままだった。足を曲げられ、正面から入れられる。蕩けたような彼の体は雄をするすると飲みこんだ。
「ふふ、出してないのにイッちゃって」
「あっ、あっ、ん、はぁ、ああん」
自制をなくした唾液があごをつたう。快楽の波に洗われるまま意識が遠くへ運ばれていく。その果てで自分が何を口走ったのか、彼は覚えていなかった。
「たいよう――」
気がつくと、部屋にいたのは彼ひとりだった。
乱れたベッドから抜け出して、彼は乾いた精液で汚れた体を洗った。床にはコンドームがふたつ投げ捨てられている。彼は顔をしかめたが、内心ほっとしてもいた。そしてそんな自分に腹が立った。
床にすべり落ちた上掛けを持ち上げると、例の写真がこぼれおちた。彼はまた顔をしかめ、一枚ずつ拾った。五枚あった。
持ち帰らなかったのか。
彼は夏生の意図を考えまいとした。どんな可能性だって思いつけるが、今はそんな気力もない。ホテル代を精算して深夜の街を歩き、駅前でようやくタクシーをつかまえた。
最初のコメントを投稿しよう!