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上り方面からやって来る線路遠くに見えた流線形の顔をした深い青色が、一秒後にはもう目の前にいる。ホームに停車した電車は、観光特急列車『ブルーホーク』第BF1編成。この特急列車の第一号編成であり、そして裕太の現在の姿でもあった。
多恵子とそして翔太も、ただ蒼く光を反射するボディが徐々にスピードを落としながら、羽を休める鳥のようにホームへピタリと停まった。
「来たよ、多恵子」
わかってる。やはり声は出ないが、大きく頷くことは出来た。行こう。ブルーホークがドアを開き誘っている。多恵子は何千日、何万日よりも重い一歩を踏み出して、ブルーホークの車内に足を入れた。
『久しぶり』
思わず多恵子は翔太の方へ振り返った。声の主はもちろん翔太ではなく、そんなことは多恵子も翔太もわかりきっていた。珍しく翔太も驚いた顔をして多恵子を見つめ、そして頷いた。
「あの子、もっと気の聞いた言葉はなかったのかしら」
「仕方ないよ、俺の子だもん」
おかしくて多恵子は噴き出してしまった。緊張していた自分が馬鹿みたいだ。ブルーホークは全席グリーン席になっていて、景観を楽しめるように左右の天井にも窓があった。
「出発だよ、座ろう」
多恵子と翔太が着席したところで、少しの浮遊感の後に電車が発車した。見回すと、意外にも乗客が多い。この時代にも電車での旅行を望む人は多いのだろうか。開放感と高級感が調和した車内に、旅の楽しみに浮き足立った乗客たちの無邪気な笑顔は何にも代え難いものだった。
これが今の裕太の仕事なんだね。
「ねえ、おじちゃんとおばちゃんもお出かけなの?」
不意に声をかけられた方を見ると、通路を挟んだ座席に座る小さな女の子だった。隣に寄り添う母親が困った顔でこちらに頭を下げてくるものだから、多恵子は微笑んでみせた。
「おばさんたちも旅行なんだ。お嬢ちゃんもお出かけ?」
「うん、みんなでね。お父さんとマコトはね、後ろに座ってるんだよ」
みんなで良かったね、楽しんでおいでね。自然に笑みが溢れるのを感じながら、多恵子は女の子に手を振った。
そうだ、私たちも家族旅行なんだ。形は変わっても、それだけは変わらない。
ブルーホークは多恵子たちを連れてあの青を目指す。天井の窓には、鳥が三羽寄り添って空を舞うのが見える。八月の夏のことだった。
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