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次に何が起こったかというと、抑制です。“自由気まま”という自分の本質から程遠い抑制。日常の中に、自分があらわれないように。感情を殺し、いつか解放される日まで、ただ、淡々としていればいいんだと。
これは大変なことでした。もともとは感情の振れ幅が大きく、とくに『怒』を抜いた『喜哀楽』がとても激しかったんですよね。それを、もう、家では金輪際、喜ばない、泣かない、はしゃがない! と心に決めて、平坦でいることにしたんです。
『怒』が抜けてるのは、もともとあまり怒りを感じなかったからです。普段から怒り狂う母を目の当たりにしていたものだから『怒り』というものが、いかに見苦しいか。怒りの感情を表面に出すという事が、自分の中でなりたくない自分ナンバーワンだったのです。自然に遠ざけていたのだと思います。
余談ですが、小説を書くようになった今は、『怒り』という感情はとても激しく何かを突き動かす強い力になる、美しいものだと思うようになりました。
自分の中にそんな感情が生まれた時も押し殺さずにかみしめるようにしています。
それに、母のアレは怒りとは似て非なるものだと、今は思います。
あれは思い通りにいかない憤り。有り体に言ってしまうと自分の意見が通らずに暴れてるというところですね。
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