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私は中学二年の時、潜在するユーモア精神を遺憾なく発揮してクラスの人気者になった。担任の先生にも好感を持たれ、人の良さは抜群、真面目で堅実な性格で級友たちに信頼され書記に選出されたなぞと通信簿に書いてある。確かに私は中学二年三年の頃はまだ俗物を認識出来る歳ではなかったのでクラスに溶け込み、私の道化の裏に隠された人格を先生は認めていた訳だ。多分クラスの中で最も認められていた、その私が当時の学級写真を見ると、本当にいい奴だったなあと思えるのは、男子20人の内2人しかいない。彼らは一方が転校してもう一方が私と同じ高校には進まなかったから、その後どうなったか分からないが、恐らく彼らにしても大人になって行くに従って俗に塗れ穢れたことであろう。
当時、私をちやほやしていた奴らに至っては悉く当時から既に信頼出来ない人間だった。或る者は小学生の時、私を苛めていたが、御多分に漏れずオポチュニストだから掌を返したように私に優しくなり、また或る者は中学二年になるまで全然、私のことなんか相手にしていなかったのに私にべったりになって付き合うようになった。しかし、高校二年になってまた同じクラスになった時は、私が全然、元気のない人間になったのを見て取って全く相手にしなくなった。
この者だけでなく高校の時、苛めっ子以外は誰も私を相手にしなくなった。誰一人として私に救いの手を差し伸べる者はいなかった。だから私は高校を卒業した時点で誰も頼れない誰も信じられない人間になっていた。
大学でも巧く行かず挫折して中退して何のスキルも身に付けられずに社会に放り出された。で、ダメダメの社会人になってからも誰も救いの手を差し伸べる者はいなかった。それどころか尻目に掛け馬鹿にする者ばかりだった。実際、誰も私の中身を見抜けず重視せず弱者たる上辺ばかりに囚われる俗物ばかりだった。その弱味につけ込もうとする腐りきった賤しい精神に対し、普段溜め込んでいた義憤を爆発させトラブルを起こすことが何度もあり、その度に首になり、職を転々としていた。
そういう私に唯一光明を見させてくれたのは、日系ブラジル人の道管さんだった。それも粋なことに如何にも渋く無言のまま私に寄って来てマールボロの箱から一本取り出したかと思うと、吸うかというように目配せして煙草の吸い口を差し向けて来たのだ。恐らく孤独な私を不憫に思ってのことだろう、且つ何か符合するものを感じてのことだろう。
私はこんな心の琴線に触れる接し方をする人間に出会ったことがなかったので自ずと塞いでいた心が開き、顔が綻び、喜んで煙草を咥えた。
すると、道管さんはジッポライターを取り出して煙草に火をつけてくれた。本当に映画のワンシーンのようなドラマティックで感動的な出来事だった。
差し詰め往年の名画「さらば友よ」のラストシーンを演じたアランドロンが道管さんならチャールズブロンソンは私みたいな気がした。勿論そこまで人物自体が格好良い訳ではないが、煙草を吸うまでのいきさつは、私たちの方が格好良かったかもしれない。本当にそんなシーンがあったのだ。
しかし、本当に道管さんは私からおさらばしてしまった。と言うのは私が職場でまたトラブルを起こしてしまって首を言い渡された時、にいちゃん(私)が辞めるなら俺も辞めるよと道管さんは言って、知り合いを頼って何処か他の職場へ移るとの旨を私に告げたのだ。後に道管さんが住んでいた寮の部屋がもぬけの殻になっていたのを確かめて道管さんの言葉に嘘偽りがないことが判然とした。正しく道管さんは信義に篤い人だ。
道管さんとの交流は1年足らずで終わってしまったけれど、道管さんは私同様ニヒルな感じのする、後にも先にも私の唯一の同志だった。ブラジルの大陸的な雅量があったればこそ私を受け入れたのだ。それに対し日本人は島国根性がある所為か閉鎖的で狭量だ。物の哀れを知る心も武士道の仁の心も廃れ、惻隠の情が育まれていないからいけないのだ。
道管さんにはそれがあった。嗚呼、私も道管さんみたいになりたい。しかし、私は狭量な所為か清濁併せ呑むことが出来ず孤独から逃れられない。何せ清い人がいなくて濁った者ばかりだから…清き水に魚住まずか、ま、私にしたって、そんなに清い訳ではないが、少なくとも俗物よりはましだろう。
私は独善を衒っている訳ではなくて、君子は義に喩り小人は利に喩ると孔子がいみじくも言ったようにこの世に蔓延る小人つまり俗物は義に関するメリットしかない者には優しく出来ないが、利に関するメリットのある者には優しく出来る。けれども、それは本当の優しさではないのであって一旦、相手の利に関するメリットがなくなれば、コロッと態度を変えるに違いない。だから、いざという時は信頼出来るものではないのだ。
哀しいかな私は凡俗の子で文豪のように文苑に生きられる程、生まれつき頭が良くないので俗物とばかり接する俗界にド底辺として生きなければならずも俗に染まらず、なまじ活眼があるのでこんなエッセイをしたためる仕儀になってしまったのである。
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