私には手に入らない世界

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私には手に入らない世界

私には、ずっとなりたい人間がいた。 彼女は、保育所からの幼馴染みである中川優香(なかがわゆうか)だ。 彼女は、いつだって私の欲しいものをもっていた。 母子家庭でお金のなかった小学生の頃、私はどうしてもキラキラの筆箱が欲しかった。 キラキラとは、当時、私達の間で流行っていた星の顔をした猫とも犬とも言えるようなキャラクターだった。そんなキラキラを女子は、みんな集めていた。 私は、勿論買ってもらえなかった。 だけど、優香はそれを嫌味ったらしく持ってきたのだ。 それは、どんどん増えていって、いつの間にか優香はクラスのみんなが「見せて、見せて」とおねだりする程、キラキラのグッズを持っていた。 そればかりか、私が一つ上の近所のお姉ちゃんの奈々美ちゃんから服を譲り受け、それを着ていくと…。 二日後、学校にどこかで見つけた、その服を着てきたりもした。 それは、年を重ねるごとに酷くなっていった。 私は、何故か同級生に「優香ちゃんの真似をしているのか?」と聞かれた。 それが、悔しくて堪らない反面、私は中川優香になりたい気持ちも抱えていた。 そんな学生時代を過ごした私も、もうすぐ38歳を迎える。 私の名前は、笹野杏梨(ささのあんり)。私は、いまだに結婚もしていない。 SNSを見つめながら、ため息を繰り返す。どうして、こうも人生が違うのかな?優香は、結婚して二児の母親になっていた。旦那さんは、そこそこイケメンでそこそこ稼いでいるらしい。三ヶ月前、駅前で優香に会ってその話を嬉しそうにされたのだ。 その時についでみたいに、優香はこう言った。 「杏梨は、まだ結婚しないの?子供は、可愛いよ!でも、一人は気楽でいいわよね」 そう言いながら、笑ってる優香を見ていた。降り注いだ劣等感と一緒に飲んだコーヒーの苦さは、私は一生忘れないと思う。キラキラを一度も買ってもらえなかった敗北感と同じだった。 別に、結婚をしたくなかったわけではない。 私には、10年間付き合っていた男がいた。彼の名前は、水森慶太(みずもりけいた)。私の2つ上だった。 職場の人と行った合コンで出会い、何度か悩みを相談するのに食事に行くうちに、いつの間にか私達は付き合っていた。当時、私は、25歳で、彼は27歳だった。 結婚願望は、まだなかった私は彼と楽しくお付き合いをしていた。 結婚適齢期を向かえた頃から私は、慶太との結婚を意識し始めた。 どうしても、慶太と結婚がしたくてしたくて堪らなかった。 そして私は、とんでもない光景を目撃した。 それは、慶太が小学生ぐらいの男の子と歩いてる所だった。私は、慶太に問い詰めた。最初は、妹の子供だとしらをきっていた。私が、慶太の友人に聞いていい?と尋ねると観念したように結婚して12年目ですと言われたのだった。馬鹿馬鹿しくて笑えた。何も知らなかったのは、私と私の職場の人達だったという。 慶太の友人達は、最初から割りきった関係の女を探せばと慶太に言って合コンに連れてきたのだという。日曜日が休みではない慶太は、浮気するのに丁度よかったと私に話した。 私は、この日、慶太と別れた。 そして、世の中の渦に飲み込まれるように会社も倒産した。 人生のどん底を味わった35歳の私。 追い討ちをかけるように、私は子宮の病気になった。そして、不倫していた代償を払うように子宮と卵巣は手術で奪われてしまった。残念ながら、卵子を残す事は出来なかった。まあ、命があったからよかった。そう思うしか生きていく方法がなかった。 そして、元気になった私は、また仕事を探した。面接に行く度に言われる言葉にうんざりした。「結婚されると困るんだよ」「子供産んで、すぐに辞めるって言われたら困るんだよ」そう言われて何度も何度も落とされた。 ようやく、受かったのはスナックのバイトだった。最初は、嫌だったけれど…。ここ最近は、それなりに楽しくやっている。 「子供ぐらいは、産みたかった」 私は、今日久しぶりの休みだった。 いつも、誰かの代わりに入らされていたから…。ようやく、ゆっくり出来る。 慶太と別れてから、私は愛についてたくさん考えた。 慶太の言った「愛してる」が全部嘘だったからだ。 愛って、吹けば飛ぶようなものなのかな…。愛って何?愛してるって何?そう考えれば考える程、わからなくて苦しくて…。 出口のない迷路を進んでいく気がした。 ブー、ブー。 私は、スマホの画面を見つめていた。【優香】の文字が出ている。 「もしもし」 『あの、杏梨。今日予定ある?』 慌てた様子で、優香が話す。 「どうして?」 『お願いがあるんだけど…』 「ごめんね。今日は、ちょっと無理かな」 私は、嘘をついた。 『お願い。杏梨しか頼める人がいないの…。本当、お願い』 電話越しに優香が泣きながら焦っているのがわかった。 「何かあるの?」 『今日中に飛行機に乗って祖母に会いに行きたいの』 「行けばいいじゃない」 『主人の帰りが真夜中になるから無理なの』 「旦那さんに相談して行けばいいでしょ!」 『下の子供を連れていけないの。見てくれる人がいなくて…』 そう言って、優香が泣いている。 「下の子も連れていけばいいじゃない」 『熱があるから、連れていけないの。色んな人に聞いたけど、杏梨しかもういなくて…』 そう言って、優香は「お願い」と何度も繰り返した。 私は、優香に弱い。 そのお願いを聞いてしまった。 この選択は、間違いだったと今でも思ってる。 昔は、優香になりたかった。確かに、今だって憧れはある。 だけど、私は…。 あの日、私は仕方なく優香の家に行った。 「ごめんね、杏梨。この埋め合わせは、必ずするから…」 「旦那さんは?」 「主人には、話してるから!(しょう)の事、よろしくお願いします」 「気をつけてね」 「また、帰る時に連絡するね!じゃあ、行くね。(さくら)、行くよ」 タクシーがやってきて、優香は乗り込んで行った。私は、それを見送って家に入った。 二歳の子供の看病を任された、未婚の私。兎に角、優香に聞いた通りに看病をして私はクタクタで翔君の隣で眠ってしまっていた。 暫くして、体が重たくなる感覚がして私は目を開けた。 翔君が起きたのだと思ったのだ。 「やっぱり、優香と違って可愛い人だなーって思ってたんだよ」 「な、なに!」 「しっー。翔が起きちゃうから…」 「何よ!おりて…」 「独身で彼氏もいないんでしょ?寂しいでしょ?この歳になったら…」 「寂しくない。おりて」 私は、暴れる両腕を力ずくで押さえられる。 「離して…やめ…」 来るんじゃなかったと激しく後悔をした。 「杏梨ちゃん。これからも、割り切った関係しようか」 そう言って、彼は私のスマホに連絡先を入れる。 割り切った関係……。 世の中で一番、私が大嫌いな関係だった。 「優香を愛してるんじゃないんですか?」 私の言葉に、優香の夫は笑った。 「愛してるんじゃないかな…。それなりに…」 「どういう意味?」 「そのままの意味だよ」 私は、また愛がわからない迷路の入り口に立たされてしまった。 最悪だった。 私は、世の中で不倫が一番大嫌い。それは、慶太にされていた事を思い出すから…。 次の日の夜に優香は、帰宅してきた。 「ごめんね。杏梨」 「ううん。おばあちゃんは?」 「何とか大丈夫だった。ありがとう。これ、お土産」 「ありがとう。じゃあ、私帰るね」 「今日も泊まっていったら?」 「ごめん、彼氏がくるから」 私は、優香に嘘をついて帰宅した。 ブー、ブー 優香の旦那さんからメッセージがやってくる。 【次は、いつ会える?】 会うわけなんてない。 会いたくなんかない。 私は、そのメッセージに返事をしなかった。 「おはよう、杏ちゃん」 「おはよう」 私は、今日遅くに出勤をしていた。 「やだー、それで」 結婚してない、子供もいない、そんな私でも愛されるこの場所が今は大好きだった。 「お疲れ様」 「お疲れ様でした」 「杏、何かあった?」 私は、ママにそう言われた。一人じゃ抱えきれなかった闇を私はママに打ち明けた。 「何、それ?最低な男じゃない」 「でも、友人には言えなくて」 「そうね。傷つけたくないわよね」 「それもあるんですが…」 「あっ!杏は、その子になりたかったの?」 「昔ですよ」 ママは、お酒でやけた声で笑った。 「子宮がなくなってからもでしょ?」 ママには、私の気持ちがわかるのだ。ママは、旦那さんが駄目で出来なかったという。 「そうですね」 「女の価値を子供が産む事だって思ってる人がムカつくけど。そいつらと自分も変わらないのを知っちゃうのが一番悲しいのよね」 「そうかもしれないです」 「杏の価値は、それだけじゃないわよ!私のこの店。いつか、杏にあげるわ」 「えっ?」 「私ね、これでも杏が大好きなのよ」 ママにそう言われて、私は嬉しかった。 「じゃあ、帰ります」 「お疲れさま。気を付けてね」 「はい」 私は、ママにお辞儀をしてタクシーに乗って帰った。 「な、何で…」 帰宅した私を待っていたのは、優香の夫だった。 「お疲れさま。早く開けてよ」 「無理です」 「じゃあ、デカイ声だそうかな」 そう言われて、私は仕方なく鍵を開けた。 「お邪魔します」 そう言って、私の後ろに立つ。 「ど、どうぞ」 「お酒飲みたいなー」 私は、冷蔵庫からビールを取り出して渡した。 「お酌してよ。おしゃく…」 私は、驚いた顔をしながらグラスを持っていく。隣に座れと指示をされて、隣に座ってビールを注いだ。優香の旦那は、嬉しそうにビールを飲んでいた。 「それ飲んだら、帰って下さい」 「嫌だよ」 そう言って、優香の旦那に腕を掴まれる。 「何でですか?」 「杏梨ちゃん。結婚式で会ったよね」 そう言って、優香の旦那は頬を撫でてくる。 「それが?」 「その時から、狙ってたんだよね」 「はっ?」 言ってる意味がわからなくて、私は嫌な顔をしていた。 「昨日、そうなれた時は興奮したよ。やっぱり、想像よりよかった。優香なんかよりよかった」 「何を言ってるんですか?」 私は、優香の旦那を見つめていた。 「何って、そのままの意味だよ!俺は、ずっと杏梨ちゃんが欲しかったんだ。それが、叶ったのが昨日なんだよ。わかる?」 私は、首を横に振った。 「わからないの?」 その顔に、足に力が入らなくて立ち上がれない。 「だったら、教えてやるよ」 「や、やめて」 無理矢理に私はそうなった。 また、都合のいい相手みたいな扱いをされる。慶太との日々に戻りたくない。 「また、来るから」 そう言って、優香の旦那はいなくなった。 あれから、一年が経っていた。私が妊娠できない体と知った優香の旦那は、都合がいいと言って笑った。 口では、「愛してる」と言ってくるけれど、私にはわかっている愛ではない事を…。 私は、出口のない迷路をさ迷っていた。 「お疲れさま」 「お疲れさまです」 スナックでの仕事には、だいぶ慣れた。ここにいる時間だけが、幸せだった。 「あっ、ごめん」 タクシーを一緒に乗り込もうとしてしまった。 「すみません」 「一緒に帰る?」 「あっ、はい」 青色の髪の毛をしている男の人にそう言われた。 「二階のスナックの人だよね?」 「えっ?あっ、はい」 「俺、一階のbarで働いてる風馬亮(ふうまりょう)よろしくね」 「あっ、はい。私は…」 「杏ちゃんでしょ?」 そう言われて、私は驚いた顔をした。 「どうして?」 「barで噂になってたから、二階のスナックの女の子で杏ちゃんっているんだけど、優しくて可愛くて本当にいい子なんだよって…」 「そんな事ないです」 「見た瞬間、杏ちゃんだって思ったから、その通りだと思うよ。あっ、ここで一人降ります」 そう言って、止まったマンションは同じマンションだった。 「杏ちゃんは?どこ?」 「ここです」 「えっ?」 風馬さんは、驚いた顔をした。私達は、一緒にタクシーを降りた。 「同じマンションって、偶然だね」 「ですね」 「何階?」 「5階です」 「俺は、7階」 風馬さんと一緒にエレベーターに乗る。 「今度、(うち)に遊びにおいでよ」 「はい、行きたいです」 何故か、風馬さんと話すと楽になれた。 「じゃあ、待ってるよ」 「はい」 ピンポーンと鳴って、五階で扉が開いた。 「じゃあね、おやすみ」 「はい」 エレベーターを出た瞬間だった優香の旦那さんに腕を引っ張られた。 「ちょっとこい」 「痛い。離して」 「うるさい、早く。鍵を開けろ」 私は、鍵を開ける。 「また、いたの?もう、こないでって話したよね」 「杏梨は、俺のだろ?来ないでってなんだよ」 「やめて、離して」 「うるさい」 ガチャ……。 鍵をかけてなくて、ドアが開いた。 「何だ、お前」 「話しましょうか?」 そう言って、風馬さんは優香の旦那を見つめた。 「何も話しなんてない。出てけ」 「無理です」 「何でだよ」 「警察、呼びますよ」 その言葉に、優香の旦那さんは風馬さんを睨み付ける。 「杏梨、また来る」 そう言って、部屋から出て行った。 「大丈夫だった?ごめんね。彼氏との事、邪魔しちゃって」 私は、風馬さんに抱きついていた。 「杏ちゃん?」 体がガタガタと震えているのが自分でもわかる。 「大丈夫?」 「ありがとう」 また、そうやっていい加減な関係に流されていくのだと思った。好きでもない人に抱かれるのは、心が磨り減っていくのを感じていた。 「杏ちゃん」 風馬さんは、優しく私の背中を擦ってくれた。 あれから、三ヶ月が経った。 私は、亮に全てを話した。 「杏、荷物、段ボールに詰めてる?」 「うん」 優香の旦那さんは、別れないの一点張りで話を聞いてくれそうになくて、亮は優香の旦那さんがいないうちに引っ越す事を提案してくれた。 「明日までには、ここ出ないとだよ」 「うん」 何故、今かというと優香のおばあちゃんが亡くなったので、優香の旦那さんは三日間は帰宅しないからだ。 「俺は、もうバッチリだよ」 「うん」 私は、新居で亮と同棲をする事になった。亮は、私の全てを受け止めてくれた。 「杏、これは?」 「こっちの段ボール」 「はい」 亮といると私は、自分らしくいられた。 誰かになりたいなんて気持ちも全くわかない。 「これも?」 「ここ」 愛って何かも迷わなくなった。 目の前にあるのが愛だって自信を持って言えるから…。 「これは?」 「こっち」 私は、亮を見ながら幸せだった。 これ以上ない程の幸せ。 やっと、望んでいた場所にいけた。
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