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「ジジッ ジジッ ジジッ ジジッ」 最初は数時間に一度聞こえる程度だった。 だから気になる程でもなく外から聞こえてくる物音だろうくらいに思っていた。 だがそれはやがて1時間、30分と間隔が短くなり、今では数分に1回はその音が私の周りで鳴り響く。私が知る限り、その音はこの世界にある物のどんな音にも似ていない。似ているものがあるとしたら、それは脚が不自由な人間が足を引きずって歩く時に出る音だろうか。 これはあくまで私が音を聞いた感想であって、正確ではないかもしれない。もしかしたら、ドラマか映画などで観た記憶とリンクして、私にそう思わせているだけの事だという場合も考えられる。だけど、それがどんな音に似ていようが、私にはどうでも良い事だった。要はこの音が治まってくれれば良いだけだ。そんな風に思ってから既に1か月が過ぎた。その間に私は仕事を辞めた。最初、この音は外部から聞こえてくる音だと思っていた。だが聞こえてくる感覚が短くなって行くにつれ、それはいつしか私の頭の中で鳴り響くようになっていった。その音が頻繁に鳴り続くせいで、仕事に集中出来ず、ミスを連発したからだ。余りにもその音を気にするせいで私はいつしか周囲の声にも耳を貸せない程、音に悩まされ続けていた。相当、私は参っていたのだ。 婚約をしていた彼にも相談し、心療内科などにも行き、薬を処方されたが全く効き目はなかった。食事中も鳴り響く為、まともに食べられなくなっていた。いつしか身体は痩せ細っていき、気づけば優しく励ましてくれていた彼氏とは少しずつ疎遠になっていった。いつしか全く連絡が取れなくなり気づいたら一方的に婚約が破棄されてしまった。慰謝料なども取れると家族などにも言われたが、私はそれを断った。仮にも最初は献身的に私を支えてくれていたからだ。その恩が彼を憎む事への気持ちを踏みとどまらせていた。だがその代償だろうか。私はこれまで以上に深い闇へと追い詰められていった。心から信頼していた人間から一方的に別れを告げられた時の絶望感といったらなかったのだ。 勿論、私自身、この状態が長く続けば、そういう事もあり得るかも知れないとは考えていた。それが頭の隅っこになかったといえば嘘になる。だからこそ私は必死に治そうと頑張っていたのだ。だが現実は私に容赦しなかった。私はその音のせいで気が狂いそうになるのを彼との幸せな結婚を希望とし、水際で堪え続けていたのに。だが、別れの言葉により私の心はあっさりと決壊を許してしまった。当然、私が彼の立場だったら?と何十回、何百回と考えた事もある。日に日に痩せ細り、四六時中、頭の中で鳴り響く音に歯軋りをし、震え悲鳴をあげるような恋人とずっといたいと思うだろうか?思うわけがない。だけど婚約解消をしたい、私と別れたいという言葉は彼の口から直接聞きたかった。そうすればまだ私の傷はさほど深くはなかった筈だ。けれど実際はそうならず彼のお母さんから手紙が来ただけだった。 私が元気な頃には一緒に買い物に出かけたり、女同士2人だけで飲みにも行ったり旅行にも一緒に行った。私は彼のお母さんが大好きだったし、向こうも私を可愛がってくれていた。そんな人から他人行儀な敬語を使われ、あのような言葉を言われた私は悲しみを通り越して笑いたくなった程だった。 「家の大事な息子を気が変な娘と結婚させるわけにはいきません」 私がその手紙の事をお父さんに話すと電話口から聞こえて来たのは家族だとは思えない、信じられない言葉だった。 「病気になったのはお前だ。お前が悪いんだ。だから仕方ない」 馬鹿じゃない!私は好きで病気になったわけではない、誰が好き好んでこんな意味不明な病気になりたいと思うわけ?と怒りをぶち撒けたかったが、その時点での私は既に精神が疲弊し切っていて怒りを言葉にする事すら出来なかった。 お陰でで私は、強引に実家に連れ戻される事になった。確かに今の私は1人で生きられる力も自信もないから、そういう結果にはなるだろう事は容易に想像出来たし、諦めもついていた。でも、私はそれを彼の口から言われたかった。それがせめてもの慰めになった筈だからだ。 だが結果は私が思うようには行かず、私は実家に戻る羽目になった。 茨城の家はそれなりに大きな家だった。学生時代までここで暮らしていた私には3人の兄がいる。3人は年子で三男の私とは2つ離れていた。四兄妹の末っ子の私は中学1年の時、運動バカな兄達と同じ部屋では勉強も出来ないと父親に駄々をこね、広い庭にある離れ小屋を改築してもらいそこを部屋にして使っていたが、連れ戻された私は当然のように、その離れ小屋で生活するよう言われた。正直、このような状態だから両親の目の届く場所に住まわされるのを覚悟していたが、そうはならなかった。 恐らく自分達が知っている娘とはかけ離れた容姿になってしまった私を、出来る限り直視したくなかったのだと思う。もしくはミイラのように痩せ細った私が母家で暮らす事は常に2人のストレスになる、そう考えたのかもしれない。俗に言う隔離というやつだ。監禁、いや軟禁に近いかもしれない。そうまでして、人の手を借りないとまともに歩けないほど痩せ細った私を、実家に連れ戻す理由があったのだろうか。放っておけば私は直ぐにでも死んでいたかもしれないのに。そちらの方が両親にも兄達にも良かったのではないか?自分より先に我が子が亡くなるのは親にとってはとてつもない悲しく辛い出来事なのだろうけど、こうして軟禁状態にしながら、私が死んで行くかもしれない道のりを側で見守る方が余程、辛いのではないかと私は思う。そう思うのは子ゆえの思い上がりなのかも知れない。だけど私からしたら悲しみの先送りとしか思えなかった。よっぽどそちらの方が辛いと私は思うが、どうやら両親にはそれが出来なかったようだ。 何がきっかけで、こうなってしまったのか?なんてものは、後々になって気づくものだ。 あの時、あんな事があったから?いえ、又別のあの時だろうか?と考え、今の結果に当て嵌めてみる。それが間違いのような気がするのであれば、又、他の事柄を持ち出し無理矢理にでも気づいたフリを装い、自分を納得させる。それは決して悪いわけでは無い、むしろ良い事だと私は思っている。何故ならこじつける事で、それを原因に今の結果があるのだと割り切る事が出来て、その先に進む事が可能であるからだ。だけど私にはそのこじつけが出来なかった。だが、こじつけの為の思い当たる節がないわけではなかった。 それは私の部屋で見つかったあの盗聴器だった。誰がいつどのタイミングで私の部屋に6個もの盗聴器を仕掛けたのか全くわからない。ガスの報知器の点検、室内クリーニングなどの作業員や友達、そして前の住人や同僚、元彼など、ありとあらゆる人間があの部屋に出入り出来たので盗聴器は充分に仕掛けられた筈だ。管理人だって怪しい。仕事で都合がつかず、点検などの立ち合いが出来ない無い場合は管理人にお願いしていた。もし管理人や管理会社、不動産業者がグルだったとしたら、いくらでも私の部屋に出入り出来るのだ。それだけ多くの人間が私の部屋に出入りしたり、出入り出来たのであればその中で間違いなくこいつが仕掛けたと絞るのはとても難しかった。それはつまり原因はこれだったのかと、私が私自身に納得出来る理由を見つけられないという事に他ならなかった。そうなれば当然、私が先に進めるわけは無かった。 1番最初に怪しむべきは婚約者だった彼だった。私と結婚するのが嫌になり婚約を破談にする為の何らかの理由を探る為、盗聴器を仕掛けたと考えられなくも無い。漏らすかも知れない彼への愚痴や彼の家族への中傷などを録音し、私と別れるきっかけにしたかったのかもしれない。でも私は彼のお母さんと仲が良かった。それにもし彼がそのような気持ちであったのであれば、婚約解消の時、姿を見せなかったのは何故だろう。直接、別れを切り出さなかったのは何故だろうか?そんなチャンスは幾らでもあったのだから。それとも精神や肉体的にも完全に参り、痩せ細っていく私の姿を見ていられなくなったから?私という女から2人の未来像が見えなかったから?そんな未来が刃物で枝を削るように少しずつ崩壊へと向かいつつあるように感じたからだろうか?そんな状況でも私は元気になって彼との未来を想像したりしていた。例えそれが叶わぬものになりかけていても、私は諦めなかった。だが結果的に、彼の方は違っていたのだ。私はそれが一番悲しかった。私だって馬鹿じゃない。自分の置かれている状況がどんなものかくらいわかっていた。だからこそ支えが欲しかった。それでも私が快方に向かわなければ、最悪結婚を諦めるという選択をしなければならない事ぐらいわかっていた。でも彼は私よりも随分と早くその答えを出していたのだ。そんな彼だからこそ私は真っ先に疑ったし、私と別れる為の工作の一つとして盗聴器を仕掛けたのではないかと考えた。けれど彼が仕掛けたという証拠も、私と別れたいその理由も、納得出来る答えは私には出せなかった。それはそうだ。最後の最後まで彼の口から、別れたい理由を、彼の本心を、その気持ちを聞くことが出来なかったからだ。だから私はその後、管理人や出入りの業者を疑いはしたけど、盗聴器しかけましたね?などと証拠もないのに問い詰める事など出来るわけがなかった。 盗聴器が仕掛けられているかもしれないと思ったのは、あの宅配便の出来事があった直ぐ後だった。牛の着ぐるみを着た大男… 何故、あの時の私はあのような物を受け取ってしまったのだろう。受け取りのサインだっておかしいと気づいていたじゃない。それなのに私は受け取り、中身は食べなかったとはいえ、あのような物を部屋の中に持ち帰ってしまったのだろう。あの事さえなければ、私はこのような状況に陥っていなかったかも知れないのに… 私は高校生の時と何一つ模様替えされていない離れの部屋のベッドの上で、そのような事を考え始めていた。 だけど、私は受け取り中身のビーフシチューをキッチンのシンクの中にぶち撒けた。かなりの火力で煮詰めていたのか、シンクからは目に見えるほどハッキリとした湯気が立ち上り、シンクを焦がすジジッ、ジジッという音が耳についた。そして私は鍋を捨てようとゴミ袋に手を伸ばした瞬間、鍋底に書かれていたあの言葉を目にしたのだ。私は心底、驚き怯えた。身体が震え出し掴んでいた手から力が抜け、鍋が床に落ちた。激しい音を上げ鍋は跳ね上がり私は悲鳴を上げながら、その場から飛び退いた。その反動で足を滑らせた私は床に尻餅をついた。その態勢のまま後退りして何とかスマホを手に取り、急いで彼に連絡をした。泣きながら助けを求めたのだ。
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