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─7─
「ゆりさん」
長かった朝の勤務が終わり、更衣室で着替えようとしているときだった。
「萌香おつかれ」
何か言いたげな顔をしている。
「──さっきのこと気になってるんでしょ」
私がいじめられていたと知り、気になっているだろうとは思っていた。
「ゆりさん、大丈夫ですか? さっき、だいぶ言われていたみたいだったから」
「全然大丈夫よ。知ってるでしょ? 私が強いこと」
少しの沈黙のあと、萌香が私を見た。
「ゆりさん……誰かに心、開いたことあります?」
突然、心臓を射抜くような質問に思わず固まる。
「ないですよね? もちろん、私のことだって信用してくれてないんですよね」
慌てて否定する。
「そんなことないわよ。こう見えて萌香のこと頼りにしてるのよ」
「本当ですか? 私、いつもゆりさんに近づけたと思ったら前に壁が立ちはだかってそれ以上近づけないんです。踏み込ませないし、ゆりさん自身も踏み込んでこないというか……それがもし、私のことが嫌いでそうしてるなら仕方ないですけど、そうじゃなかったら……悲しいなって……」
萌香がそんなことを考えていたとは、思ってもみなかった。いつも厳しくしている私のことなんて、嫌いなのだろうと思っていた。懐いてくれていると感じても、それは愛嬌、なんだと……
「萌香。萌香のこと本当に信用しているのよ。よく周りのこと見てるなって思ってるし、今日だって私のことすぐに気遣ってくれたでしょ? 素直にうれしかったのよ」
「──ゆりさんはずっと人との距離が一定で、どうしてなんだろうって思っていたんです。でも……ある日ゆりさんの手首の傷を見てしまったとき、このことが原因なのかなって……」
そうか。特に隠しているわけではないが、見えないように気を付けてはいた。それは、自分が恥ずかしいと思うのと同じくらい、相手に気を使わせたくなかったのだ。こんな傷「私は暗い過去を持ち、心に闇を抱えてます」と言っているようなものだと思ったからだ。
「──気を使わせていたのね。ごめんなさい」
萌香は複雑な表情を浮かべていた。
「──そうね。今朝の彼女の件でわかったと思うけど、高校二年の頃から卒業までの間、いじめを受けていたわ。その中心人物が彼女だったの。今思えば、私の中だけでなく、彼女の中でも、いじめは続いていたのね」
改めて口にすると、いじめというものは心の中にある限り、終わりがないものなのかもしれない。
「そして、この手首の傷は彼女に言われて切った時のもの。そして、その後数回、自分の感情を落ち着かせる為に傷つけたもの。もちろん、死ぬ気などないのだから傷は浅いわ」
ここまで話したあと、急に虚しさに襲われた。
十歳ほど離れた後輩に、こんなこと話してなんになるのだろう、恥を晒して、この先どんな顔をして働けばいいのだろうと……
「──ゆりさん、生きていてくれてありがとうございます」
声を詰まらせた、彼女から発せられた言葉は、波動のように私の心の奥底まで広がった。
それと同時に、温かい涙が溢れていた。
「ゆりさん!」
思いがけない反応に、彼女は慌てているようだった。
「大丈夫、大丈夫。ありがとう……ありがとう」
彼女の優しさで、硬く、何重にも重なっていた最後の扉が開いた。
「私、人を信じない、寄せ付けないことで自分を守っていたの。もうこれ以上傷つくのは嫌だったから。でも、本当は親友だってほしかったし、悩みも聞いてもらいたかった。相談もされたかった。全て自分を守るため、気持ちに蓋をして生きてきたけど、もうそれもおしまい。この世の中にはこんな心優しい人がいるんだもの……もう、恐くないわ」
涙がこんなにも温かく優しいものだったなんて。
もう、人を信じてもいい、自分を信じてもいいんだ。
「ゆりさん、私、これからたくさん相談してもいいですか?」
鼻を赤くし、目じりを下げ、いつもの愛嬌たっぷりの萌香に戻っていた。
「もちろん、なんでも相談して」
「恋愛もいいんですか?」
「え、ええ、もちろんよ!」
「すみません、恋愛は担当外ですよね」
いじわるな笑みを浮かべる萌香を見て、私は笑った。
「そういうとこはかわいくない!」
こんなにも穏やかな気持ちはいつぶりだろう。
よく、言葉を大切に使いなさいと母親に言われてきたが、きっと、萌香は今まで言葉を大切にしてきたのだろう。心に響く言葉を、まるで花束をプレゼントするかのように私にくれた。
私もいつか、大きな言葉の花束を、プレゼントできるよう、大切に育てていきたい。
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