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頭の中に雷が落とされた。
「真央、高校卒業後は調理の専門学校に行きなさい。それで将来はうちの喫茶店を継ぐの」
夕食の席での母の発言はあまりにも唐突で、強すぎた衝撃は思考回路を遮断させた。高校二年に上がったばかりで、もちろん大学入試を受けるつもりだった。それなのに。思えば俺は、母親に振り回されてばかりだった。二つ年上の兄である真樹との別れを余儀なくされたことも、大好きだった横浜から鎌倉への引っ越しも、全部母のせいだった。母の隣で静かに箸を動かしている、戸籍上の父親を一瞥した。いつも穏やかというよりもぼんやりとしていてカピバラに似ているこの人が、喫茶店の経営者であり母の再婚相手である敦史さんだ。彼は今どんな思いで母の話を聞いているんだろう。この人に継いでほしいと言われたときの断り方なんて、俺にはわからないとビクビクとした気持ちで横目で眺めていたけど、いつも通り黙々と食事を続けるだけだった。母の発言にもそのスムーズな箸の動きを止めることはない。
「将来何になるかなんて話、まだ早いよ」
冷静を保とうと無理して口角を上げてみたものの、早くないことなんてわかっていた。教師になりたいとか、医学部を目指すとかデザインの勉強をしたいとか、具体的な目標を持ったクラスメイトは何人もいた。将来を考えることを先延ばしにしたって良いことなんて一パーセントもないことはわかっている。
俺はまた母の意見に従うんだろうか。サイコロに従うすごろくの上の駒のように。反抗しないというのは楽だ。ただ浮き輪につかまって浅瀬の海を漂っていればいい。だけど俺の人生、本当にそれでいいのだろうか。
将来なりたい職業はまだ見つかっていない。それでも、目標はある。やりたいことは、ある。
「俺さ……」
喉の奥から搾り出した細い声は、軽快なメロディーの電子音に簡単に消されてしまった。母が手近にあったスマホを手に立ち上がる。どうやら電話のようで廊下へと出て行った。
「ごちそうさま」
俺の声は聞こえなかったのか、最後にお茶をすすった敦史さんは、丁寧に手を合わせてから食べ終えた食器を片付け始めた。腹の中にもやもやとした黒い塊を残したままの俺だけが、ぽつんと夕食の席に残された。
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