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また、京急の音のはなしである。
はやくからのんで9時まえにねて、おきて、電車走っている音きこえるので、5時すぎの始発とおもったら、12時すぎの終電であったとき、のことである。
深酒をして目がさめてしまうと、そういうときもある。下におりてきて、まだすこしのもうかとおもうも、からだはそうではない。そして京急の音もしばらくきこえてはこない。おもうことはあるが、ぼんやりとしている。ぼんやりついでに、すしやの情景をもういちどおもいうかべてみている。
むかしからある町のすしやである。入ると、左かわに、4人がけのテーブルがふたつ、右かわにL字のカウンターで、みぢかいほうにふたりながいほうに6人またはせまいながらもいすをひとつたして7人にもなる、こういったつくりの小体なすしやである。
が、なかなか、そうぞうしい。きている客はいつもおなじひとばかりである。はやくからのんで、きている客がおなじひとばかりなので、深酒をして、ねて、あらぬ時間に京急の音がきこえてしまうのであろうかともおもうも、そんなことはわからないのである。おなじお客さんとおなじようなせけんばなしやちわばなしをつづけてのんで、またひとりぼんやりのんでいるからといって、あらぬ時間の京急の音がきこえるというわけでもないし、夜のおもてまで、はしゃぎ声、大声がききもれてくる、そのようなすしやの混然一体となった喧騒がまたそのような作用をつくりだしているとはおもわれないが、ひょっとしたら、なにかしらかの音と音とが京急の音とつながっているのかもしれない。すしやからの声がなにかしらかに派生しないかするかは、はかりしれないものの、そんなすしやが現にあって、おなじひとたちのはしゃぐ声の作用によって、引き戸からのれんをくぐりぬけてここの界隈の音をつくりだして、いっしょくたになっているのかもしれない。
それにしてもここではまったく京急の音はしない。
いつもおなじお客さんの声であふれかえっている。
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