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「お待たせしてすみませんでした。ご案内させていただきます、書籍フロアマネージャーの立原です」  社長の隣に立つ客人に、薫は名刺を渡す。本来ならレンタルのマネージャーが出てくるべきなのだが、社長の指名で薫が案内することになっていた。本人としては、面倒事を押し付けられたような感が先行しているのだが、他の部署のマネージャーからは、羨望や嫉妬の視線を向けられてしまった。社長に名前を覚えられたからといって出世するわけでもないだろうに、と薫はそれをため息混じりに受け流していた。 「立原くん、まずは書籍から案内を頼むよ」  社長に促され、薫は足を進めた。店内の説明をしながら、連携した時の展望を聞く。順調に仕事をこなせていたと思う――次の瞬間までは。  いつもの店内放送の音が響いた。そこまでは薫も耳には入らなかった。それが薫の日常の音の中に入っているからだ。いつもの放送、この後に続くのは迷子や車の移動などの連絡だ。けれど、この時は違った。 『本日は三津谷書店にお越しくださり、誠にありがとうございます……私事で申し訳ありませんが、しばらく俺にマイクを貸してください』  その声に、薫はぎょっとする。よく通るテナーは耳を惹き、売り場で足を止める客もいた。薫はメインカウンターが見える通路へ出ると、遠くカウンターの端にある放送機材の前に侑の姿を見つけた。客も何事かとざわめきはじめていた。 『……薫さん、聞こえてる? ちゃんと聞いててね』  社長が眉をひそめ、眇めた目でこちらを見る。隣に立つ客人はさっき薫が渡した名刺を見てから、こちらを振り仰いだ。二人の視線が集中し、言葉など出ない。  薫はフロアを駆け出していた。侑の元へ、この放送を少しでも早く止めるべく。けれど、その間にも侑の言葉は続いていく。 『俺、夏目侑は立原薫さんが好きです』  その言葉を聴き終えたところで、薫はカウンターにたどり着く。カウンターに身を乗り出すようにしてスイッチに手を伸ばす。マイクの電源が切れた。 「――俺の一生を賭けて、死ぬまで好きでいます」  目の前に侑の真剣な目があった。その目に曇りがないのは、眼鏡越しでもよくわかる。マイクが切れても尚、侑は言葉を紡ぐ。間近にある薫の目だけを見つめ、その情熱的な言葉全部を薫にぶつけるように。 言い終えた、どこか清々しい顔の侑を見つめ、薫は乗り出していた体を戻す。とん、と両足が床についたところで、薫はくすくすと笑い出した。 「お前、馬鹿だよ。ホントに馬鹿だ」  可笑しくて笑いが止まらない。こんな自分に一生を賭けるなんて馬鹿だ。こんなふうに告白するなんてもっと馬鹿だ。けれど、多分これが嬉しいと思える自分は誰よりも馬鹿なんだろう。 「薫さん……」  笑い出した薫に侑は戸惑っているようだ。その顔が困惑の色を示す。  ――ああ、好きだ。僕はこんなにも、この子が好きなんだ。  大人びた強い瞳も、叱られた犬のような今の表情も全部。だから、こんな大それたことをしてくれた、その勇気に褒美くらいあげてもいいだろう、そんなふうに感じた。 「――けど、夏目くんの言葉、背骨にきた」  正直に話すと、侑は嬉しそうに頷いた。今度は侑も笑顔になる。 「……立原くん」  二人で笑いあう後ろから、殺気が近づいてきたような気がして、薫は表情を引き締めて振り返った。予想通り、気色ばんだ顔の社長がそこに立っていた。 「はい」  薫はその社長に向き合う。不思議と恐怖は感じなかった。 「説明は聞かない。だが、君の責任は問うつもりだ」  覚悟はしておきなさい、と社長は言い放った。怒りで身を震わせる社長はずかずかと店を後にした。 「夏目くん、とりあえずお客様にお詫びを」  薫が言うと、侑は頷き、お騒がせしました、と放送をかける。それを合図に店は通常通りの顔に戻った。そして、二人の周りに佐々木や小野寺が駆け寄ってくる。 「今更、どうしたの?」  小野寺の言葉に薫は苦く笑う。今更、とはなんて言い草だ、と言いたかったが今は受け流すことにした。 「恥ずかしいな、相変わらず。そういうの、嫌いじゃないけど」  佐々木が笑う。侑は、だよね、と笑って返した。  なんて平和な職場なんだ、と呆れるやら感心するやらの薫だったが、問題はここの社員たちではない。本社にいるお偉方の方だ。 「でも、芳しくない空気になってますよね」  佐々木は表情をきつく戻して薫を見やった。完全に侑一人でやったことだとしても、薫の責任であることには変わりない。 「まあ、こうなった以上、なるようにしかならないだろうな」 「……フロアマネージャー……」  薫の言葉を聞いた小野寺が眉を下げる。佐々木も、侑でさえも黙って薫を見つめる。 「大丈夫、なるべく処分を軽くして貰えるように頑張ってみるから」  さ、仕事だよ、と薫が言うと佐々木も小野寺も自分の持ち場へと戻っていった。薫も中途半端にしてきたデスクワークに戻るため、売り場を出る。 「薫さん……!」  そこで侑が薫の背中を追ってきた。事務所へ続く階段の前で立ち止まった薫は振り返らないままで口を開く。 「――大丈夫。なんとかするから」 「でも……」 「僕は嬉しかった。君が、堂々と僕への気持ちを告げてくれたこと……ちょっと、やり方を間違っただけだ」 「薫さん……」 「任せておきなさい」  振り返って笑顔を作ると、心配そうな顔が不器用に頷く。それを見て薫は再び歩き出した。引継ぎ用の資料を作らなきゃいけないかもな、と考えながら。
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