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 昼間に侑がとんでもない事をしでかしたので店もある程度ざわめくかと思っていたが、薫の方が拍子抜けするほど、通常通りだった。社員曰く「だって、夏目くんが立原さんのことを好きなのはみんな周知してるじゃないですか」なんだとか。  ほっとするやら納得いかないやら、でも結論としては混乱を起こさず済んでよかったと思ったので、いい方に捉えることに決めた。 「薫さん、お疲れ様」  駐車場の愛車の前で、侑が手を上げる。薫よりも二時間前に仕事を終えた侑だったが、やっぱりちゃんと話がしたいと、待ってることにしたらしい。薫はそんな侑に返事をして車のキーを開ける。二人はほぼ同時に車に乗り込んだ。 「どこかで食事していこうか」  なんとなく重い空気を纏っている侑に、薫は明るく声を掛ける。 「いや、それより薫さんの家に行っていい?」 「それは構わないけど……そんなに深刻な顔することないよ」  薫は優しく声を掛けてから、車を走らせた。うん、と侑は頷くがその笑顔はいつもよりも随分下手だった。  部屋に着くと、ドアノブに大量のスーツとネクタイが掛かっていた。夕べ出したクリーニングが戻ってきたらしい。あの時は頭が動いているようで全然機能していなかったのですっかり忘れていた。 「入って」  クリーニングを抱え、薫はドアを開けた。いつもと変わらない部屋に侑を通すと、キッチンの前で侑に後ろから抱きしめられた。 「なっ、ちょっ、……夏目くん?」  驚いて落としてしまったスーツを見下ろしながら、薫は侑に声を掛けて様子を窺う。 「限界」 「……なん、の?」  聞く傍から、侑の手は薫のスーツのボタンをプツリ、と外す。 「夏目くん、ちょっ……」  家について早々に衣服に手が掛けられれば相手が好きな人とはいえ、驚く。薫は侑の手をぎゅっと押さえた。 「何? どうしたの?」  なるべく優しく薫が聞くと、侑は指を止め薫を抱きしめた。 「このネクタイ、俺があげたやつ、だよね」 「あ……ごめん。他の、全部間違ってクリーニングに出しちゃって。こんな、普段付けて怒ってる?」  上質でおしゃれなネクタイだ。特別な日に付けてもいいくらいだった。それを責められたら謝るしかない。 「全然。やっぱり似合ってて嬉しい。それに、楽しみ」 「楽しみ?」 「いつもさ、薫さんってきっちりネクタイしてるでしょ? いつか解きたいって思ってたんだ。それが俺の贈ったものなら、俺に解く権利、あるよね?」  止まっていた手が再び動き出した。上着のボタンが外れ、するりとそれが床に落ちる。後ろからネクタイのノットに手を掛けられ、ゆっくり解かれると、それだけで心臓が跳ね返るようだった。 「薫さん、俺今日、すごく悪いことしたと思ってる。ごめん、薫さんにまで影響するとは思ってなかった」  耳元で侑が囁く。くすぐったくて、首を縮めると、それに気づいたのか更に侑は唇を耳朶に近づける。 「でもさ、あれは薫さんにだって責任あるんだよ」  シャツのボタンが手際よく外されていく。同性、しかも後ろからとあっては、既に自分の服を脱ぐのと同じ感覚だろう。 「僕に? 何かしたかな」  あの直前まで二人は互いの思いを伝え合ったはずだ。薫だって恥ずかしい思いまでして、今の気持ちを侑に告げた。それでよかったのではないか。 「薫さん、自分の誕生日をPINにしちゃダメだよ。好奇心で開いちゃった」  侑は薫のシャツから手を離すと、自分のジーンズのポケットをまさぐった。再び前に廻った手に乗っているのは、薫自身のスマホだった。侑がロック画面に指を滑らせ解除する。それからメッセージアプリを開いた。 「あ……!」  薫は恥ずかしいやら情けないやらで、慌ててそのスマホに手を伸ばした。けれど、侑の長い腕は、薫の届かないところまでスマホを遠ざけてしまう。 「僕のだ、返せ」 「最後、なんて返信しようとしてたのかなって気になって開いたら、こんなこと書いてるんだもん。これ、このまま送信してもいい?」  書きかけの文は『好きだよ』の一言。  侑に返信しようとしたが、そのまま電話が掛かってきたりして、その画面のまま、感情に任せて侑に投げつけてしまった。 「だめだ。返せ」 「じゃあ、今、直接聞かせて」  不意に耳元で囁かれ、その湿った空気に全身が小さく震える。 「嫌だよ」 「俺、薫さんに嫌われたと思って、すっげー落ちたんだよ……飯食えなくなって、胃炎になるし、ちょっとでも時間あるとすぐ薫さんのこと考えちゃうからすぐ泣けてきてコンタクト全然使えなくなるし」  その言葉に薫の胸が痛む。全部、自分の弱さが引き起こしたものだと思うと申し訳なさ過ぎる。 「ごめん……」 「そう思うなら言って。メッセージにしようとした言葉」  侑は耳元で囁くと、そのまま耳朶にキスを落とした。耳の後ろ、首、と唇を押し当てていく。
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