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何事かと全員の目がそこへ集中する。
「間に合った……?」
そこにいたのは、息を上げ苦しそうに立っている侑だった。
「間に合ったよ」
磯山が答える。気づくとその表情はいつもの穏やかなものに戻っていた。
「たしかにこういうヒーローっぽいの好きだしやりたかったけど、磯山さん時間教えるの遅すぎだもん」
「いや、悪かったね」
侑と磯山がなにやら通じていたのは理解したが、侑がここに何をしに来たのか、それは見当がつかなかった。
「君は何をしに来た」
社長の鋭い声が飛んだ。
「問題の張本人、夏目です。謝りにきました」
「謝って済むのは、子供だけだよ」
あざ笑うように社長が侑に言い放つ。それでも侑はたじろがず、はい、と答えた。
「僕はまだ子供です。だから、私用に会社のものを使ってはいけないということすらわからなかった。すみません」
「そんな理由が通用すると思っているのか。それに、あの内容で不快になった客にどう責任を取る」
「責任は取れません。あの内容に関しては一歩も譲る気はないです。僕が立原フロアマネージャーのことが好きなのは、本当のことですから」
侑の視線が社長から薫へと移る。口元だけで微笑まれて、薫はぎゅっと唇をかみ締めた。そうしていないと、泣き出してしまいそうだった――嬉しくて。
「あの、社長……こういうのはいかがですか」
磯山が二人の間に言葉を挟んだ。社長は言ってみろ、という風に頷く。
「夏目くんは、まだまだ発展途上ですが、僕はいい店員になると思っています。ですから、今回の過ちは大目にみてあげて、教育、監督役として、立原くんをつけて、徹底させる……というのは」
その言葉に社長が黙り込む。それを聞いて薫は、それは今まで通りということじゃないだろうか、と首を傾げた。けれどそんなこと気にすることもない磯山は言葉を続けた。
「僕のところに店宛に届いた手紙があるんです。差出人は女性客で、内容は夏目くんが丁寧に説明してくれたおかげで、病床のご主人が喜ぶ本を贈ることが出来た、という感謝状です」
磯山が言うと、侑が、あ、と声を漏らす。
「あのおばちゃんの旦那さん喜んでくれたんだ。よかったあ……気になって棚見に行って正解だった。あん時は薫さんと約束とりつけるの必死で無下にしちゃったから」
侑が、ふぅ、と息を漏らす。その言葉に薫は一人の客を思い出した。
「もしかして、それは元は僕が案内していた人か?」
「そう、あの人だよ」
侑が微笑んで頷く。自分と話した後に、客の元に向かったというのか――自分には出来なかったことだ。
薫が侑に感心していると社長が大きく息をついた。
「――今回の処分については磯山の案を採る。が、次はないということはしっかり覚えておくように」
社長が侑を見つめ、言い放つ。侑は大きく頷いた。
会議が終了し、皆が散る中金岡はまっすぐに薫の下へと歩み寄った。
「彼が、今のお前の相手か」
その問いに、そうだよ、と答えたのは薫ではなく侑だった。薫の隣に立った侑は金岡と対峙した。
「急にお呼びしてすみませんでした。でも、あなたにも俺の気持ちを聞いてもらいたかったから」
侑の言葉に金岡が嘲るように少し笑った。
「どうして俺に?」
お門違いじゃない、と言う金岡に、侑は首を振る。
「過去、あなたが薫さんにしたことで、薫さんは辛い思いをしてた。人を信じられなくなるくらい」
金岡は、薫に目顔で、そうなのか、と問う。薫には答えられなかった。そうだとも言えるし、大げさとも言えるからだ。
「薫さんを、その思い込みから解放してあげるには俺がどんな努力しても足りない。あなたと、ちゃんと決着をつけてもらわなきゃ、と思って」
「なるほどね……俺は、薫に謝ればいいのかな?」
金岡は侑の言葉をあっさりと受け、薫を見る。でも、薫はその問いかけに首を振った。
「僕らの間にちゃんとした結末がなかったのは、逃げた僕のせいでもあるんだから、謝らなくていい」
薫が言うと、金岡はほっとしたように短く息を吐いた。
「じゃあ、前のように同期の親友に戻れるんだな」
嬉しそうな金岡に、薫はもう一度首を振った。
「それは多分、彼が許さないと思うから金岡とはもう会わない」
言った後で薫が侑を窺う。笑顔で頷くその答えに、薫もまた笑顔になる。
「まあ、そういうことなんで。この先の薫さんの全部は俺が引き受けますから」
侑は金岡に向かって宣言すると、そのまま薫の手を取って歩き出した。薫は引き摺られながら、待って、とそれを止める。不満そうな侑に、少しだから、と言ってから薫は再び金岡に向き合った。
「僕のこと、ちょっとでも申し訳なかったって思うなら、家族のこと、ちゃんと大事にしてあげて」
金岡は薫の言葉に、自らの薬指にはまるリングを右手で擦った。
「もちろん、今までだって大事にしてる」
薫はその答えに笑顔で頷くと、侑と並んで会議室を後にした。
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