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 思っていたよりも交換はスムーズに終わり、薫はほっとしながら店に戻ってきた。この後は侑に話をしなくてはいけない。 「あ、立原さんお帰りなさい」  薫の姿に一番に気付いたのはカウンターでレジ作業をしていた小野寺だった。 「今、コミックの補充させてます」  客の途切れた隙に彼女が侑の居場所を伝える。薫は頷いて、徹底的に説教してやる、と侑の元へ向かった。 「だって、知らなかったし。当然の権利だと思ったし……服とかカバンとか、そうでしょ」  倉庫に呼び出して薫が説教を終えたとき、侑が最初に口にしたのがそんな言葉だった。  薫は大きくため息を吐きながらデスクチェアの背もたれに大きく寄りかかった。立ちっぱなしの侑はそれを不服そうに見ている。 「知らないって……本は違うんだよ。こちらで勝手に価格を変えることは出来ない」 「じゃあ教えてよ。薫さんが手取り足取り」  ふいに侑が薫に近づく。嫌味のない香りが鼻先をくすぐり、それに気を取られていると侑は更に近づく。薫の脚の間に片膝を割り入れて椅子の座面に足を掛けるとそのまま薫を椅子ごと抱きしめた。  驚いた薫は、椅子ごと侑から離れようと、その体を押し返した。バランスを崩した侑が机に縋ることで転倒を食い止める。 「夏目くん、何のつもりだ? 君、今僕に怒られてるって、理解してる?」  ――何なんだよ、いったい。待ってくれよ!  侑自身には呆れているが、急に自分好みの顔に接近されては、対応のしようがない。心ではすっかり動揺しているが、なるべく冷静に薫は口を開いた。 「だって……今せっかく二人きりなのに、すごく薫さんが遠く感じたから。ああ、やっぱり上司なんだと思ったら、体が勝手に……ごめんなさい」 「――二度とするなよ」 「ごめん、その約束はできないかも」  その言葉にため息をついて、まあいい、と薫は話題を切り替えた。 「……難しい言葉で言うと、再販売価格維持制度と言うんだ。つまり、本の価格は『定価』だから、勝手に変えることは出来ない」  薫の言葉に侑が首を傾げる。それでも薫はそのまま言葉を繋げた。 「本は全て創作物だ。それに価格分の価値がある。その価値をこちらの判断で変えちゃいけないんだ。それをするとね、本屋には高く売れる本しか置かなくなる。だから出版社は売れる本しか作らなくなる。同じような本しか置いてない本屋なんて、本屋って言える?」 「それは……変、かも」 「そう……そんな選択肢の少ない本屋、行きたくないだろ? すると本屋はあっという間に減っていく。ただでさえ、今は電子に押されて少なくなってるのに、だ」 「……そっか……そう言われたら、納得する」  素直に頷いた侑に薫は小さく笑って頷いた。 「わからないことがあったら聞きなさい。誰でもいいから」 「なら、薫さんがいい」 「それならそれでいいから」  不満そうにしている侑を横目に、薫は小さく息を吐く。 「僕が休みの時は、ここに。だから必ず行動に出る前に曖昧なところがあるなら確認して」  薫は自身のスマホを取り出して、侑に向けた。首を傾げる侑に、君のも、とスマホを取り出すように促す。 「メッセージアプリでいいな?」 「……え、それって薫さんのプライベートの……?」 「会社に居ない時に連絡するのに、会社の番号じゃ困るだろ」 「やった! 薫さんの連絡先貰った! 電話していい? メッセいっぱい送っていい?」  侑の表情がみるみる綻んでいく。そんなに喜ぶような代物かよ、と思いながらも少しくすぐったい気分になって、慌てて冷静な自分を呼び戻す。 「仕事以外の内容に返事はしないけどな。さ、売り場に戻りなさい。僕は帰るから」  倉庫のドアを開けて侑を促す。侑は素直に頷いて売り場へと小走りに出て行った。その後姿を見送りながら、アプリのアカウントまで教えてしまって、笑顔にほだされている自分は既に罠の中だろうかと今更ながらに考えてから薫は店を出た。
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