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 そこに居るのは侑だった。薫を見つけ、嬉しそうに会議室のドアを開ける。 「今日急に四コマ目が休講になって、小野寺さんに聞いたら早く来てもいいよって言ってくれたから来ちゃった」 「で、売り場に行かないのか?」 「えー、そんなの口実に決まってるでしょ。薫さんと話が出来たらなと思って来たんだから」  えへへ、と笑う侑に呆れて、でもそんな素直で一途なところが憎めなくて、薫は浅く息をついた。その手元に侑が視線を寄せる。 「あれ、これ。俺の履歴書だよね」 「ああ……そうだね」  どうしてここにあるのかと聞かれたら、と構え曖昧な返事をする。けれど侑は履歴書を手に取り、感慨深く見ているだけだった。 「これね、すごい一生懸命書いたけど、全然自信はなかったんだ。ほら、特技も資格も何もないし」  侑が履歴書の空欄を指差す。薫は、そうだったね、と笑った。 「でもさ、それを薫さんに言ったら、薫さんはさ、『これからってことだよね』って笑ってくれたんだよ。初めてありのままの自分を受け入れて貰えたような気がして、ホントに嬉しかった。覚えてる? 薫さん」 「さあ……たくさん面接したから」  薫は首を傾げて答えた。ホントに何を話したかまでは覚えていなかった。ただ、侑という存在に惹かれ、この子が職場に居たら目の保養になるなと思っただけだった。  今更ながら、そんな軽い気持ちで面接をしていた自分が恥ずかしかった。 「まあ、そうだよね。でも、嬉しかった。もちろん、それが薫さんだったからっていうのもあるんだけど。いいなって思った人に認められるのは最高に嬉しいでしょ」  薫は侑の笑顔から少しだけ視線を外して曖昧に頷いた。そこで、会議室のドアが突然開いた。驚いて二人がそちらを振り向くと、そこに小野寺が立っていた。 「夏目くん、仕事しに来たんじゃなかったの?」  腰に手をあて、仁王立ちの小野寺を見て侑が苦く笑う。 「ほら、だから言っただろ。戻りなさい」  薫が侑にため息混じりに言うと小野寺が、立原さんもですよ、と後ろを振り仰いだ。 「磯山部長……?」  薫は会議室の向こうを見つめ、目を眇める。 「や、生徒指導は終わったかい?」  にっこりと優雅に笑む顔に、薫は心のオアシスを見た気分でいっぱいになった。 「どうしたんですか、急に。視察ですか?」  磯山を社員用の休憩室に通し、お互いテーブルを挟んで腰を下ろすと薫は磯山に問いかけた。  磯山は本社の部長で、薫が勤める店を含めたエリアの担当をしている。販売戦略や他社との大きな商談なんかは磯山が全てしてくれていて、薫もよく世話になっているし、憧れている。器も体型も大きい彼に度々愚痴や泣き言を零しているのは、内緒にして貰っている。  そんな磯山はいつもどこか飛び回っているので、急にこうして店舗へ来ることは珍しい。 「うん。最近ずっと不調なレンタルのね……って、メール見てなかった?」  メール? と首を傾げてから、今朝はメールすら開けずに早々に事務所を出たことを思い出した。 「ダメだよ、君も上に立つ人間になったんだから、メールくらい毎日チェックしないと」  薫の表情を見てか、磯山はただでさえ下がり気味の眉を更に下げて浅くため息をつく。 「すみません……」 「いや、今日は別に怒るつもりで来たんじゃないんだ。ちょっと君のドタバタぶりでも見ようかなと思って」 「ドタ……って、随分酷いじゃないですか」  実際ドタバタしているので、それ以上の反論も出来ずに薫は唇を噛んで押し黙る。それを見て、磯山は大きなお腹を揺らして笑った。 「まあ、見学料も持ってきたから」  テーブルに置きっぱなしになっていた白い箱を磯山は薫の前まで滑らせる。磯山に促され箱を開けると小さなビンに入ったプリンが並んでいた。 「これですか?」 「嫌いじゃないよね、甘いの。本社の近くにさ、昔ながらの菓子屋があって、そこのプリンなんだけど、美味いんだよね」  はあ、と曖昧な返事をして箱からプリンを取り出すと一つを磯山に戻す。付属のスプーンで一口分黄色を掬い上げてから磯山に、いただきます、と一言置いてそれを口に運んだ。 「あ、うまい……」 「でしょ」  磯山が得意げに笑う。本当に美味しかった。喉を通っていく優しい味は疲れた体を中から癒してくれるようだった。
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