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「そうですね……この手の本だと一箇所には固まってないので順にご案内致します」  客に声を掛けられ案内をするのは日常の仕事だ。仕事が詰まってくると時々鬱陶しい気にもなるが、そこは長年の接客経験がなせる業、表面だけはするりと笑顔になれる。この時もそんな気持ちで客を案内する予定だった。  ただ、目の前に見える男がこちらに寄ってこなければ、の話だが。 「薫さん」  売り場の中ほどで在庫補充をしていた侑が薫の姿を見て駆け寄ってくる。 「接客中だ。後にしなさい」  薫は短く答えると視線を後方へと流す。 「わからないことがあれば、すぐに聞けって言ったの、薫さんだよ」 「確かにそうだが……」  呆れたようにため息を吐くと、侑の目が怯んだ。 「あの……場所を教えてくだされば、私探せますから」  二人の状況を察したのか、婦人がそっと話しかける。薫は、いえ、とその申し出を辞退しようと口を開いたが、それよりも瞬間早く侑が言葉を発した。 「ありがとう、おばちゃん。この関係の本探してるの?」  侑は満面の笑みで婦人に言うと、手にしていたメモを覗き込む。 「あ、これならね、ここから三番目の棚の少し奥の方に少しと、カウンターの手前の新書のコーナーに少しあるよ」  侑は薫が案内しようとしていた場所を的確に婦人に伝える。婦人は、お仕事頑張ってね、と二人の元を離れていった。 「夏目くん……言いたいことは山ほどあるんだが、聞いてくれるか」 「薫さんの言葉なら、いくらでも」  いつもよりトーンの下がった声音の薫に、侑は怖じもせず頷く。 「じゃあまず。お客様には敬語を使え、それから僕の仕事の邪魔をするな、一分だって惜しいんだ。客に気を遣わせるな。以上」 「はーい」 「伸ばすな」 「はい。じゃあ、次俺の話聞いて」 「聞く暇なんかない」  たった今、一分だって惜しいと言ったばかりじゃないか、と侑をきつく見上げる。 「嘘吐きー。じゃあ後っていつ?」 「就業時間後だ。質問事項はまとめて……」 「それって……デートしてくれるってこと?」  薫の言葉を遮った侑の表情が華やぎ、薫はその話の飛躍の仕方に追いつけず眉根を寄せる。  「就業時間以降に二人で会う。それってつまりデートじゃん」 「そういうわけじゃない。大体、二人で会うなんて一度も……」 「二人で話したい」  侑の真っ直ぐな声に薫は口を閉ざす。有無を言わせぬ瞳。こうありたいと強く願うからこそ生まれる、人を動かす光だ。薫は侑の面接の時、この強い光に惹かれたんだ、と納得した。そして今もそれに抗うことが出来なかった。 「――わかった。時間を作ろう」  薫が折れるように頷くと、侑は口角を思い切り引き上げる。 「じゃあ、次の休み、十一時に駅で待ち合わせね」 「休みの日?」  十一時に駅とはどういうことか。薫は聞き返すが、侑は微笑むだけだ。 「俺の話、ものすごーく長いの。一日かかると思うから。でも、聞いてくれるんだよね、楽しみにしてるから」 「楽しみって……」 「あ、俺、放送かけてって頼まれてたんだ。声が通るらしくてよく頼まれるんだ。じゃ」  侑は一方的にまくし立てると、この時ばかりはあっさりと持ち場に戻っていった。ここでちょっと待て、と言うのは業務妨害になる。そうすれば「ダメだよ、業務中の私語は」なんて逆さに取られるのかオチだ。  しかし、と薫は浅く息をつく。  二人でなんて会っていいものだろうか。これ以上に侑のことを知って、万が一それがいいところばかりだとしたら自分は彼に惹かれずに居られるだろうか……そう考えると不安だった。元々好みの顔だ、そうならないとは限らない。  ――また、傷つきたいのか、僕は……  辺りの客が振り返るような盛大なため息を漏らしながら薫も仕方なく業務に戻った。
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