追憶のプロポーズ

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「まさかあの悪ガキに……」  自分の子供時代を知っている幼馴染の父親が、スーツ姿の俺を見てしみじみと呟いた。小学四年の時に転校しているので、おじさんの記憶の中の俺は悪ガキのまま止まっているらしい。 「それで、プロポーズの言葉は?」  今度はおばさんが身を乗り出して俺を見た。  極めて普通に「結婚しよう」と告げた俺は、ロマンティックを求めるおばさんの期待に耐えられず視線を逸らす。  その隣で、「フフッ」と小さな息をついて彼女が笑った。 「キュンキュンするのはね。帰りの会でもらったの」  そんな彼女の言葉で、記憶の引き出しから、青いパーカーを着た小学四年生の俺が顔を出す。  ※   ※   ※   ※ 「先生! 佐野くんが園田さんに意地悪しました!」  四年二組の帰りの会は、いつも女子が男子の悪さを先生に言い付けることから始まる。涙ぐむ園田の周りで、女子達が俺を睨んでいた。  昨日、園田にブスと言って、今日は話しかけるなと言った。こっちに来るなとも言ったし、お前のこと嫌いなんだよとも言った。先生に言いつけられても、仕方がないと分かっている。 『父さん転勤になったんだ』 『もうすぐ引越しだからね』  俺がそれを聞いたのは、おとついの夜だった。 「佐野くん。どうして園田さんに意地悪したんですか?」  うるさい。 「そーよ、そーよ。どうして急に園ちゃんばっかり意地悪するのよ!」  うるさい。 『このマンションともお別れだな。そういえば、洗濯機の水漏れで下の階に謝りに行った時は大変だったよな』 『え? ()()()()()()()()のが、それ?』 『人の記憶ってさ。何故か良い思い出より()()()()()()()()()()()()らしいぞ』 『そうなの?』 『ああ。ほら、今ちょうどテレビで脳科学の専門家が話してる』  その時、ヒステリックな先生の声が胸を刺した。 「佐野君! 謝らないなら、どうして意地悪したのか言いなさい」  覚えていて欲しかった。 「……きだから」  俺のこと、真っ先に思い出して欲しかった。  園田のことが、 「好きだからイジメました」  俺を見る園田は驚いたように瞬きをする。その瞬間、瞳の中いっぱいに溜まっていた涙がこぼれ落ちるのが見えた。自分が泣かしておきながら、こんな時でさえ『泣き顔も可愛いんだな』と少しみとれる。  うるさかった周りの奴らはいつの間にか大人しくなり、そんな静けさの中で、壁掛け時計の針の音だけが教室に響いていた。 「ごめんな、意地悪して」  思った以上に小さな声しか出なかった。それでもちゃんと届いたようで、園田が俺を見て「うん」と(うなず)く。そして、まだ涙の乾いていない瞳を細めて嬉しそうに笑った。  俺はこの先、ヨボヨボのじーちゃんになっても、この瞬間の胸の鼓動を忘れられないような気がした。  ※   ※   ※   ※  大人になって思う。  あれは多分、小さな俺の全力のプロポーズだ。
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