白菫を偲ぶ

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 ──私は今、宴の後の静寂の中にいる。  本日は孫たちが主催者となり、米寿の宴を催してくれた。それぞれ仕事で忙しいだろうに、家族全員が揃うようにと奔走してくれたらしい。  ありがたいことだ。  帰り際、末孫の明莉(あかり)は、 『楽しかったから、またやろうね!』  と満面の笑顔で言い、初孫の正史(ただし)に、 『祝い事なら、次は2年後だろ』  と、いつものように、やさしくたしなめられていた。  年齢を問わず、仲が良いことを喜ばしく思う。また皆健康で、それぞれの道を切り開きながら進んでいることを頼もしく感じる。  私は、ひとりになった居間で、亀が描かれた湯のみから茶をすすった。本日から使い始めたとは思えぬほど手に馴染み、(たなごころ)にしっくりと収まっている。亀は米寿にちなみ、金色だそうだ。 『90歳は何色?』 『卒寿にちなむなら、紫だな』  孫たちの会話を思い返し、仏壇に目をやった。こちらを向いて微笑む妻の静江は、亡くなる数週間前の写真とは思えぬほど、穏やかな表情をしている。身に纏うのは、愛用していた白菫色の着物。  私より5歳上の妻は、卒寿の祝いを受けた1ヶ月ほど後、眠りながら息を引き取った。最期の言葉は、 『おやすみなさい、あなた』  だった。翌日も、またいつもと変わらぬやりとりができるものと思っていたが、まさかそのまま永遠の眠りにつくとは。  せめてもの救いは、隣で寝ていた私の耳に、うめき声などが入ってこなかったことだろうか。穏やかだった妻は、去り際も穏やかに逝けたのだと思うと、寂しさも少しだけ和らぐ気がする。  妻は、白菫が似合う人だった。  着物の色も、飾る花も。  半世紀以上を共に過ごしたが、いつも白かと見まがうような淡い紫を纏い、笑顔をたやさない人だった。  他の着物を買ってやっても、いつの間にか白菫を着ていた。  ある時、 『気に入らんかったのか?』  と訊ねると、 『あなたからいただいた物は、おとっときの時に着たいのよ。普段は、これで充分なの』  と朗らかに笑って答えた。  年齢を重ねても誠実で謙虚だった妻は、私の自慢だった。後々知った、菫の花言葉そのものだった。だが、ただ控えめだったわけではない。自分の芯をしっかりと持った上での、謙虚さだった。 「……あと、2年だな」  私は妻へ語りかけた。  卒寿を迎えた時、白菫を纏った妻が迎えに来てくれるような気がするのだ。  遺影の妻は、穏やかに微笑むだけ。だが、なんとなく、  わかっているわ、あなた。  と言っているような気がした。
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