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「私、最近大学に行ってないんだ……」
「えっ?」
「弟が生まれてからは余計に家の中に居場所がなくなって……、ただ家を出たいってだけで選んだ大学だったから、結局大学行ったって特別な居場所なんかなかったの」
「ああ、そうか……」
正しい答えをなぞるだけの人生から抜け出す為に逃げてきたオレは、結局ここでも自分の人生なんてなかった。
野々花も同じなのかもしれない。
「謙ちゃんとの子供の頃の思い出は私にとって宝物なの。『思い出は美しい』って言うでしょ? どんなに頑張っても美化されたあの頃の思い出には勝てなくて……。だから私は謙ちゃんが今頃はクソ男に成長してるって思う事にしたの」
「何だそれ」
「何人もの女の子をはべらせてるチャラ男とか、何もしないで引きこもっていながら親に暴力振るう最低男とか……」
野々花の言葉にオレは自嘲気味に小さく笑う。
あながち間違いではないかもしれない……。
「そうやって『今の方がまだマシ』って自分に言い聞かせながら生きてきたのに……。謙ちゃんズルいよ。昔と変わらず真っ直ぐなままで、しかもちゃんと自立した生活してて。そんな立派な姿見せたまま逃げられちゃったら、思い出を上書きされちゃったら、私もう前を向いてなんて生きていけない」
「全然、そんなんじゃないよ。オレは逃げてきたんだ。良い息子を演じるのが嫌になって。しかも今だって、野々花が昔と変わらずキラキラしてるのが眩しくて、惨めになって逃げ出したんだ」
野々花の求める答えをあげる。
オレはやっぱり最低男だ。
「キラキラなんてしてないよ。親のお金で大学いって、仕送りもして貰って、そのくせサボったりしてるわがままな人間だよ」
「オレだって、『自分の人生を生きたい』って思って家を出たのに、人の求める答えをなぞってばかりだ。自立なんてしてないよ」
「謙ちゃんは昔から優しかったから……。私はどうしたって現状に満足できなくて、他のものが良く見えちゃうの」
「オレだって……」
オレはそう言いかけてふっと笑う。
「オレら何で『自分の方が最低』自慢してんだろう」
「本当だ」
野々花も大きな目を細めてふわりと笑った。
「……ねえ、謙ちゃんが引越しちゃう前、作文の宿題が出たの覚えてる? 謙ちゃんが何て書いたのか、ずっと気になってたんだけど……」
犬のようなクリクリとした瞳で見上げられて、少年の頃の記憶が蘇ってくる……。
オレはあの時『野々花のお婿さん』と書きたかった。
でもそんな事は書ける訳もなく、『大切な人の想いを叶えてあげられる人になりたい』とか、曖昧な事を書いたのを思い出した。
だからオレは母さんの求める答えばかり選んで生きてきたのかな。
当時はそれが正解だと思っていたけれど、オレがもっと自分の感情に素直になっていたら、良い息子を演じないでいたら、もしかしたら母さんも野々花の父親みたいに自分の幸せの為だけに突き進む事ができたのかもしれない。
きっと初めから決められた正しい答えなんてないんだろう……。
「あっ」
白い花びらが二人の間をふわりと舞っていく。
「もう桜が咲いてるのかな?」
野々花の言葉に、オレは「ああそうか」と思う。
オレは植物の事なんか良くわからない。
オレが梅の花だと思っていたのは、もしかしたら違う花だったのかもしれない。思い出の中の花が梅の花ではなかったのか、それともさっき見たのが別の花だったのか。
でもそれはどうでも良い事だ。
正解は一つじゃない。
きっと人生の数だけ答えはあるんだろう。
〈完〉
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